第31話 引ったくりとモイー男爵の噂

 領主の帰還を待つ間に、街を回ってみようという話になった。

 渡たちは商業区画にある宿を出て、まずは近辺の店を見て回ることにする。


 服屋、アクセサリー屋、薬屋、靴屋、鞄屋。

 それぞれの専門店が立ち並び、間には飲食店も入っている。

 ちょっとした交差点の広間には屋台が立っていて、これがまた香ばしいいい匂いをさせているのだ。

 朝食を食べたばかりだというのに、エアがすでに涎を垂らしそうな顔で屋台に鼻をひくつかせていた。


「昨日も思ったが、活気があるな」

「そうですね。やはり領主直轄地というだけありますね。歩く人の顔もどことなく元気に満ちているように見えます」

「あぅぅ、あるじぃ、あの芋のふかしたやつ、買ってもいい?」

「仕方ないな。一つだけだぞ」

「わあい! ありがと!」


 トタタ、と軽い足取りでエアが離れていく。

 その後を渡とマリエルが苦笑しながら後を付いていくのだが、混雑ゆえか誰かが肩に強くぶつかった。


「ととと……」

「ご主人様、大丈夫ですか?」

「ああ、ありがとう。」

「主!」


 軽く突き飛ばされてマリエルに受け止められた渡だが、エアの鋭い声がかかって驚いた。

 と思った次の瞬間には、エアが雑踏の中をすごい勢いで駆け寄ってくる。

 次の瞬間には、ぶつかった男の首をひっつかむと、地面に引き倒していた。


「ぐわああ! な、何をするんだ!」

「おいおい、何もそこまでしなくても」

「こいつ、引ったくり!」

「えっ……本当だ!? 俺の財布っ!」

「ゆ、許してくれ……ぎゃあああッ!?」


 バキっと鈍い音がした後、異様な角度に男の腕がひん曲がった。

 顔を険しくしたエアが、男の腕を折っていたのだ。

 渡にはあまりにも動きが速過ぎて素手で折ったのか、木刀を使ったのかまるで分からなかったが、結果として男の腕が折れていた。


(やりすぎだろ。衛兵に突き出せばいいんじゃ?)


 渡はもっと穏当な手段を考えたのだが、エアだけでなくマリエルも当然という顔をしている。

 騒ぎを遠巻きにしている集団も、その事自体には驚いたり非難する様子はない。


「腕がぁ、腕がぁああああ!」

「腕一本で済んだのですし、命を取られないだけ幸運だったのでは?」

「次はないから。行け。……はい、主、財布。前も言ったけど鞄はちゃんと締めて、しっかりと持っておかないとダメだよ」

「わ、悪い……。言われてたのにな。気を付けるよ」

「アタシも食べ物につられて離れちゃったから、ごめんなさい」


 しょんぼりと肩を落としているエアの姿に、そういえばこれでもしっかりと手加減しているんだな、などと思った。

 その気になればモンスターの首を捻り折ったように、即座に殺せるはずなのだ。

 腕一本で済ませたのはエアが問題とならない加減を知っているということだ。


 エアに蹴り飛ばされて、男が這う這うの体でその場を逃げ去っていく。

 後には騒動が終わったのかと、街の人々がいつもの調子を取り戻し、雑踏に紛れていく。


(引ったくり程度だと逮捕とかないんだ……)


 渡だけが常識の違いにびっくりとしたまま、現実逃避のように、


「俺も芋食うか……」


 と呟いた。


 ○


 この辺りの特産品だという芋はべらぼうに美味かった。

 渡が普段食べているじゃがいもと比べると色が薄く、白っぽい。

 茹でられたモイー芋はフカフカで、口の中に入れるとほろほろっと溶ける。

 表面に塩とバターをたっぷりと塗ったモイー芋は、しょっぱさと芋の甘さとバターの香りが混ざり合って、暴力的な美味しさだった。


「うみゃ、うみゃみゃ! あふいにゃ!」

「猫舌なんですから、エアは落ち着いて食べなさい」

「ホフッホフッ! あふいけど美味ふまいな!」


 屋台の横に置かれた長椅子に並んで座って芋を齧る。

 揚げても焼いても、潰してサラダにしても美味いだろう。


(日本の食品の方が美味いと思い込んでたけど、この世界の食材も馬鹿に出来ないな……)


 渡はあらためてこの世界の可能性に気付かされた。

 品種をかけあわせれば、あるいは病害に強かったり、収穫量が多かったり、季節や土に拘らない新しい品種が生まれるかもしれない。

 そう考えると、農作物一つでも宝の宝庫に化ける可能性は十分にあった。


「ご主人様、口元に食べかすがついてますよ。んっ、おいひっ」

「わ、悪い……って、お前っ」

「どうかしましたか?」

「い、いや……なんでもない」


 マリエルが口元に手を伸ばし、指先でヒョイッと取ると、そのまま口元へと運んでしまった。

 渡が目を見開いて驚くと、マリエルが目を細めてチロチロと舌を躍らせてみせた。

 反応を楽しんで弄ぶような目に、今後絶対に後悔させてやると心に誓いながら、渡は新しい話題を振った。


「やっぱりさ、この街は装飾品関係が多い気がする」

「そりゃ、ご領主様がコレクターだからだよ!」


 屋台の恰幅の良いおばちゃんが、元気な銅鑼声で疑問に答えてくれた。

 思いもよらないところから疑問が解消されたものだ。


「それとどういう関係があるんですか?」

「良い装飾品ができて、付与術師がすごい付術ができたら、コレクションに加えてくれるわけさ」

「はー、なるほど」

「もしかしたらお抱えにだってなれるかもしれないから、みんな頑張ってるのさ。出来がそこそこでも、ご領主様が外で売ってきてくれるしね」

「領主自らが商売もされているんですか?」

「ははは、そんなわけはないさ。買い付けたり売るお抱えの商人みたいな職があるんだそうだよ」

「へー……凄い方なんですね」

「ああ。今の代になってからうちの領地は景気が良くなってね。ご領主様々だよ!」


 嬉しそうに呵呵大笑するおばちゃんの話を聞きながら、渡は唾を呑み込んだ。


(均輸法だ……)


 物価の安定化を図ったり、領主自らが商行為をすることで商人による中間利益を削減し財源を確保する政策の一つだ。

 お役人としてよりも商売人として部下を抱えた方が、たしかに経済感覚は磨かれるだろう。


 モイー男爵が優れていればいるほど、その交渉は厳しいものになるかもしれない。

 これから先の交渉の厳しさを予感して、渡は急に喉の通りが悪くなった気がした。




 芋を食べ終えた後、渡は薬屋を回った。

 慢性用のポーションを購入するためだ。

 亮太に売ったポーションの反応は上々で、今後必要な数が増えるだろうが、南船町での在庫はあまり多くなかった。

 急性用のポーションが手軽な値段で購入されるため、大抵の場合はそちらが使用されるためだ。

 わざわざ高価で手間がかかり、魔力も必要とするらしい薬を量産するのは難しかったのだろう。

 翌日には装飾品を見てみようと決めた渡だったが、急遽予定を変更することになる。


 モイー男爵から面会の許可が下りたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る