第29話 エアの実力(素手)

 南船町を出て二日目。

 渡は寝不足気味の顔でヒューポスに揺られていた。

 青い空、白い雲と照りつける太陽の光、青々とした芝の大地。

 そうした爽やかな風景も今は心が躍らない。


 まだ抱かない、などと宣言しておきながら、ベッドで一緒に寝ることになって興奮してなかなか寝付けなかったのだ。

 むしろ奴隷二人の方がよっぽど寝つきが良かった。

 襲われるかもって緊張しないのかよ、と脱力したものだ。


 渡も健全な男だから、いますぐ二人を抱きたいという欲はある。

 同時に良い主人でありたい、尊敬される男でありたいという見栄もある。

 それらは渡の中では両立して矛盾しない。


 今は両方の思いの天秤が均衡を保っているが、今後の成り行き次第では容易にどちらかに傾くことだろう。


 欠伸をしながら平穏な旅を続ける渡だった。


「しかし平和だな」

「いいことじゃないですか」

「そりゃそうだ。ただ景色も変わり映えしないし、早くモイー男爵と会いたいよ」


 宿場町の間には広々とした原野が広がるばかり。

 畑もなく、自然そのものの光景は、最初こそ物珍しさもあったが、それが丸二日も続くとさすがに慣れる。


 退屈を紛らわすために他愛のない話をマリエルとしている渡だったが、エアは護衛として周囲を警戒していた。

 その姿に意外はない。


 南船町で道を歩く時、エアはしっかりと真面目に護衛の任務を果たしていた。

 その仕事ぶりは、普段の雰囲気と違い信頼できるものだった。


 そのエアが目を眇めて遠くを注視している。


「あっち……何か来る」


 見渡す限りの原野で、脅威はなにも見えない。

 それだけに油断しきっていた渡だったが、しばらくして何を言っているのか分かった。


 豆粒ほどの遠くから土埃が立っていて、それが少しずつ近づいているのだ。

 周囲の護衛も気付いたようで、急に周囲が騒がしく、物々しい雰囲気になった。


「で、でかい……!」


 とんでもない巨体の動物だった。

 渡の記憶に該当するのは十トントラックだ。

 ずんぐりとした巨体にサイのような一本角を持ち、地響きを伴う足踏みで、大きさに似合わない速度で突進してくる。

 護衛の誰かがしきりに叫んでいる。


「ガラドドスだ! しかも六頭もいるぞ!」

「ダメだ、アイツら相手じゃ壁にもなれない。逃げろ逃げろ!」

「俺たちは何とか注意を惹きつける。戦えない奴は荷物は捨てて散開しろ! ぶつかられたら即死するぞ!」


 商人の誰かが悲鳴を上げた。


「そんな、商品を捨てるなんて!! これを捨てたら一文無しになっちまうよ」

「死ぬぞ! 全力で走っても助かるかどうか分からねえんだ」

「ち、ちくしょう! なんて不運だ!」


 商人の一人が自棄を起こして荷物を担いで逃げようとしたが、重たすぎてその歩みは遅い。

 狙いをつけられたら逃げられないだろう。


「いやはや、まさかこんなことになるとは。あなた方も早く逃げなさい」


 マルマルがやってきて渡に避難を勧めた。

 言葉に従って逃げようとした渡だが、その前にエアが言った。


「アタシがやる」

「エア!? お、お前、武器は木刀しかないんだぞ。無理だろ」

「武器は要らない。あいつには素手の方が良い。主、アタシが絶対に守るから、お願い、信じて」


 渡としては逃げたかった。

 だが、エアの真剣な瞳。

 その目に見つめられて、信じろと言われれば――断れない。


「…………ええい、くそ、怪我するなよ。信じてるんだからな」

「大丈夫。アタシはさいきょーだから! それを証明する!」


 逃げ惑う群衆をかき分けてエアがガラドドスに向き合う。

 護衛の誰かが制止しようと声をかけた。

 立派な鎧と武器を持った戦士だ。


「ばかっ逃げろ、潰されちまうぞ!」

「ええええ、エア、無理しなくて良いぞ!」

「アタシに、任せてっ!」


(本当に大丈夫なのかよ。大怪我をしたらどうするんだ。あんな巨体と素手で戦えるわけがないじゃないか)


 いくつもの思いが浮かんでは、消えていく。


 ガラドドスの群れの戦闘に向かって、エアが走り始める。

 放たれた矢の如く、という表現があるが、エアの突進は矢ではまだ足りない。

 放たれた銃弾の如く、舗装された石畳道を蹴り割り多量の土砂を巻き上げながら、エアが駆けた。


 ただ走る、それだけでとんでもなく加速しているのが分かる。

 目を見開いてエアが叫んだ。


「イッヤァアアアアアアアアアアアアアア!」


 大音声だいおんじょうの雄叫びには不思議な力があるのか、ガララドスがわずかに怯んだ。

 突進の速度がわずかに鈍る。

 その群れの先頭の一際大きな個体に向け、エアが体を沈めた。


 次の瞬間にはエアの体は跳びあがり、ガラドドスの角を掴んでいた。


「アイアラアアアァアアアァアァアアアアァ!!」

「ギュオオオオオオ――!?」


 瞬きほどの一瞬。

 須臾の間に、ガラドドスの首が捻じ曲がり、ボグリと異様な骨折音が大きく鳴り響いた。

 その巨体が沈み込み、突進の速度そのままに土の上を滑る。

 エアはその時には飛び跳ねて着地を決めて離れている。


 声もなく、誰もがその異様な光景に目を奪われ、動きを止めていた。


「……首の骨を、折った?」


 渡は、あるいはその場にいた誰かが呆然と口にした。


 驚愕したのはモンスターであるガラドドスも同じだっただろう。

 たんなる餌としか思っていなかった獲物が、まさかの反撃。

 群れの主を一瞬にして倒してしまったのだ。


 ガララドス達は動揺し、突進の方向性を慌てて変えて、そのまま原野へと走り去っていく。

 渡たちはその背を、相変わらず呆然と見続けていることしかできなかった。


 ただ一人、エアだけは胸を張って誇らしげに渡の側へと駆け寄ってくる。

 にっこりと満面の笑みを浮かべて、子どもがスキップするような足取りの軽やかさ。


「主、見てた!? アタシがんばったよ! 褒めて!」

「す……すごい! めちゃくちゃ強いんだな! さすが闘技場で不敗の戦士だ!」

「えへへ。しょれほどでも……」


 気付けば渡は夢中になって拍手を鳴らしていた。

 静けさに満ちた戦場跡に、拍手の音が鳴り響く。


 その音は次第に大きく、無数の人の手によって鳴らされていった。

 命を助けられた護衛がエアに礼を言いはじめ、我も我もと隊商の商人たちも後に続く。

 口での礼だけでなく、酒や食べものといった差し入れももらい、エアははにかみながら両手を一杯にする。


「一杯もらっちった♪」

「良かったじゃないか。それ全部エアのものにしていいからな」

「ほ、ほんとにいいの!?」

「ああ。頑張って働いたのはエアだしな」

「やったー! 主の太っ腹! で、でも主も食べても良いよ。ちょっと、ちょっとだけだけど!」


 本当は全部ほしい。

 そんな顔をしているエアが、先ほどの鬼神の如き強さを持っていたとは到底信じられない。


「ちょっと荷物を置いてこっちに来い。怪我はないか? 救急箱にポーション類を入れてるから遠慮なく言うんだぞ」

「大丈夫だよ」

「いやー、しかしエアがこんなにも強いなんて知らなかったよ。エアは金貨百枚でも惜しくない人材だな」

「にゃ、にゃははは……主が信じて送り出してくれたからだよ」

「あら珍しい。エアが顔を真っ赤にして照れてるわ」

「う、うるしゃいにゃ! マリエルこそお風呂から上がって身悶えてたくせに!」

「~~~~っ!! それは内緒にしておく話でしょ!」

「そんなのアタシ知らない!」


 褒められて顔を赤くするエアだが、その実力は今見たばかりだ。

 闘技場で無敗の戦士との話は誇張抜きの実力だったのだ。

 これで武器を持てばどれほど強くなるのだろうか。


 そして、そんな実力者に守られる事が、どれほど心強いか。

 これから先、旅行先でどんな困難に遭っても、エアがいれば何とかなる気がした。


「そうだ! マリエル、例の交渉の品が万が一でも傷ついてないか確認しておいてくれ」

「分かりました。壊れ物ですものね」

「ああ。こっちだと幾ら値がつくか分からないからな。それにまた買いに戻るのは勘弁してほしい。あと、エアはささみ肉の燻製は解禁だ。よくやったな」

「やったああああ! ささみにくー!」


 スーパーで買える食品一つで大喜びするエアの姿に、やっぱり渡はそんなに強そうに見えないなあ、とあらためて思った。

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