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戸棚から出してきた写真は、少し色褪せて時代を感じさせるものだった。若かりし頃の恵子が、例の服をまとって、花束をもってしゃがみ、穏やかな微笑みをカメラに向けている。新婚旅行の際に、立花が撮った写真だ。花束は現地の人が恵子の美しさに見惚れたといって、手渡してきたものだった。派手ではないが清楚な趣のある花束は、その時の恵子の格好によく合っていた。カメラが趣味で、写真へのこだわりも強い立花だが、恵子との思い出の写真はこの1枚きりである。
愛稀にとっても、それは嘆息するほどに美しい写真だった。立花は自分のことを妻に似ているというが、果たしてそうだろうかという気持ちになる。綺麗すぎて、自分など比べものにならないような気がしてくる。
「ぜひ、あなたの写真も撮らせていただけませんか?」
にもかかわらず、立花はそのようにお願いをしてくる。現像して、妻の写真と一緒に飾りたいのだそうだ。自分なんかで本当にいいのか……と愛稀は思った。けれども、愛稀もぜひお願いしますと言った。それで立花が喜んでくれるのなら、それは愛稀本人としても嬉しいことだった。
撮影のため、店の喫茶スペースから、がらんとした玄関口に出た。古民家を利用して作られた喫茶店だが、敷地の大きさから考えるに、もとはかなりの名家だったようだ。一体、いつごろまで、どんな人が住んでいたのか、立花も知らなかった。店をはじめた恵子ならば知っていたかもしれないが、立花もあえて彼女から聞くことはなかった。客からたまにその話題も出たりするので、今となっては聞いておいた方が良かったと思わなくもない。
「では、この辺で、先ほどの妻の写真と同じようなポーズをとっていただけませんか?」
そのように言う立花の手には大きなデジタルカメラがあった。愛稀にはカメラの知識はないが、随分高そうなカメラだということは分かった。
「分かりました」
と愛稀は応えた。例の写真では、恵子はカメラから右を向いて、斜に構えた状態で写っていた。愛稀もそうなるように、身体をレンズから斜めに向けて、その場にしゃがんでみせた。立花はカメラを構える。しかし、しばらくして、カメラをおろした。
「どうしました?」
愛稀が尋ねる。立花は少し不満げに言った。
「何か、違う」
こんなはずではない、何かが足りない――立花は思った。カメラとなると、こだわりが強くなりすぎるのが、立花の悪い癖だった。立花自身、そのことは分かっていて、愛稀に対して、そこまで自分の我儘を強いるのは良くないとも思っているが、それでもどうにも納得ができない。彼女が悪いのではない。モデルは完璧だ。不満の原因は、そもそもの準備がままならなかったことだ。あの写真と比べて明らかに足りないものがあった。
愛稀が心配そうな様子で立花を見ていた。立花は余計に申し訳ない気持ちになる。思えば、写真へのこだわりの件では、恵子にも随分と苦労をかけた。恵子の写真が少ないのも、立花が撮影する際に、あまりにあれこれと注文をつけるので、恵子にうんざりされてしまったというのもあった。
「ごめんなさい、やっぱり私なんかじゃ、いい絵になりませんか?」
「いえ、決してそんなことは! すみません。つい勝手なことを言ってしまいました。そのままで大丈夫ですよ」
立花は気を取り直した。仕方がない。これ以上、彼女を自分のわがままに付き合わせるわけにはいかない――。立花がカメラを構えたその時。
「ごめんください」
後ろから声がした。振り返ると、並びにある花屋の主人が立っていた。
「お取込み中でしたか?」
「こんにちは。いえ、大丈夫ですよ」
立花は花屋の主人の方へ向かっていく。外を見ると、いつしか雨は止んでいて、雲間から夕日が差している。花屋は抱えていた花束を差し出した。
「今日は恵子さんの命日でしたでしょう。なので、彼女の好きなカスミソウをお供えしたいと思いまして。すみません、雨が降っていたので、届けるのが遅くなってしまいました」
立花はそれを受け取った。進行旅行の際、現地の人から受け取ったのはカスミソウの花束だった。以来、カスミソウは恵子の一番好きな花となった。花屋の主人は、それを覚えていて、こうやって届けに来てくれたのであった。まさに、絶妙なタイミングで――。
「これだ……足りなかったのは、これです!」
立花は言った。撮影するのに足りないと思っていたもの。それは、恵子があの時抱えていたカスミソウの花束だった。愛稀に向かって言った。
「すみません。これを持っていただけませんか」
「もちろん」
と、愛稀は立ち上がりそれを受け取った。そして、あの写真のように抱えて、再びしゃがみ込む。それはまさに、立花が求めていた構図だった。
喜びと興奮で、立花の胸は高鳴っていた。溢れる期待を自らの人差し指にこめ、立花はシャッターを押した。
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