それは夕入りと共に

 昼下がりの大通りは人がまだ十分に満ちていて、騒然とした雰囲気に包まれていた。

 道ゆく人々の殆どの顔は、新たな発見と出会いの喜びに満ちており、往来の人々全体が喜びに打ち震える一つの生き物の様だった。


 ——しかし、その活気ある街の風景の片隅、誰も気に留めないような薄暗い街角の隅っこで、暗い表情を浮かべている者達が少なからず存在していた。

 虐げられた者……失った者……怯える者……傷ついた者……これから傷つける者……皆それぞれが、思い思いの暗い表情を浮かべている。

 往来を行くメアリもその一人だった。その目の奥はどこか、暗い光で満たされている。

 その後ろをサンがついて、二人で往来の人をすり抜ける様に歩いていた。


「……あのよ」


 大通りを横にそれて、人通りがまばらな通りに入ってから、サンはメアリに言った。


「さっきは悪かった。無神経すぎた」


 謝罪をするサンに「別に」と、後ろを振り向かず、メアリはいった。


「…………お母さんはね」


 そうしてそのまま、母との想い出を語り始めた。

 

 メアリの母は、メアリが生まれてすぐに父……つまり自身の夫を事故で亡くしてから、女手一つでメアリを育てて来た。

 しかし、メアリの母は先天性の重い持病を抱えていた。その為選べる仕事も少なく、幼い娘の面倒を見ながら生活するのに並々ならない苦労をしたようだ。

 そして半年前……病気が祟り、メアリをのこして他界してしまったのだそうだ。


 運命に恵まれなかった母……しかし、メアリの母は、娘の前ではいつも笑っていた。


「いつも明るく前向きで……自分だって辛かった筈なのに……。

 お父さんを亡くして、自分の身体はどんどん弱っていって……でも、それなのにいつも私の前では笑顔でいてくれたの」


 メアリは道すがら、通りの一角にある小さな商店を見た。そこは外国の舶来品はくらいひんが売られている雑貨屋で、母と娘どちらかの特別な記念日に、そこの舶来品を買うのが親子のささやかな楽しみだった。

 メアリは、昔そこで手を繋いで買い物をしていた母と幼き頃の自分を思い浮かべた。

 痩せ細った母の手はその見た目の心細さとは反対に、とても暖かく大きかった。

 雑貨屋に行くと母はよく


「ねぇメアリ……、ほら! これ、見たことある?」


 と言って、外国のヘンテコなオモチャやちょっと不気味なアンティークなどをメアリに見せて驚かせていた。見慣れない異国の不可思議な品々に、慌てふためくメアリを見て


「アハハ! ごめんごめん!」

 と母は朗らかに笑うのだ。

 そんな明るくて、面白くて、優しい母がメアリは大好きだった。


「——このリボンもお母さんが買ってくれたのよ。ちょっと大人っぽいけど、将来きっと似合うから、って……」


 そう言いながら、メアリは自身の胸元に着いたリボンを撫でた。

 青色の滑らかな絹で作られたリボンは、メアリの手の中で風の様にサラサラと流れた。銀細工が、昼下がりの陽光に照らされ弱々しく光る。サンは、メアリの語る思い出の一つ一つを、静かに見守っていた。


「母さんはいつも私のことを考えていた、自分の身体が弱いことをものともせずに……それなのに……」


 メアリは振り向きながら

「……だから、勘違いしてほしくないから言うけど」

 

 と、サンの方を見つめた。その顔は強い怒りに満ちていた。


「——お母さんは、今回の件とは絶対に関係ないわ。

 お母さんが私にあんなことするわけ無い! お母さんが影鬼だなんて、ある筈ないのよ!」


 メアリがサンに見せた怒りの表情は先程の酒場のものとは全く別の物だった。

 それは母のための怒り……それほどまでに、メアリと母の生活は幸福だったのだ。メアリが影鬼について知る必要もないくらいに……。


 サンは、その彼女の視線を真っ直ぐ受け取った。


「そうだな。それはお前の態度を見てなんとなくわかるぜ」

 そう言ってサンは、さらに続けて言った。


「それに、さっきも言ったが……死者は影鬼を生み出すことは出来ねぇ。心という拠り所がないからな。

 全ての魂は死ぬ時に、自分の中の心を全部持っていっちまう。そう言われているんだ。

 だから死者は何も残せない…………光も、闇もな」

 

 その言葉を口にしたサンの表情が、一瞬だけ翳った。メアリがそれに違和感を覚える前に、サンはその一瞬の翳りを打ち消して、言葉を続けた。


「……死者が唯一残すものがあるとすれば、それは想い出だけだ」



 ——二人はいつの間にか小さなアパートの一室の前についていた。ここがメアリの家の様だ。


「ちょっと待ってて、中を片付けるから」

 そう言ってメアリはドアの中に消えた。


 メアリの家は、五階建てのアパートの二階に当たる部屋で、踊り場に面していた。

 サンは踊り場の手すりにもたれかけ、空を眺めた。澄み渡った青い空を眺めると、サンの頭の中に、先程のメアリのリボンが思い出された。

 少し経ってから、メアリが出てきた。


「良いわよ、入って」

 その言葉を聞いて、サンはドアの中に足を踏み入れた。


 部屋の中はこじんまりとしていて、しかし生活感に溢れいていた。

 リビングには変わった形の家具と、いくつかの本棚が置いてある。本棚の上には先程メアリの話しに出て来た雑貨屋で買ったのであろう舶来品と、写真立てに入った写真が二つ置いてある。

 その二枚の内の一つは、メアリが顔を合わせた事のない父親の肖像写真。そしてもう一つは、二人の人物が写る写真……今より少しだけ幼いメアリと母であろう女性が仲睦まじく写った写真だ。


「……散らかさないでね」


「へいへい。わかってますよっと……」

 

 そうして、サンは影鬼の手がかりを探し始めた。

 二人で何か手掛かりはないかと探すうちに、時刻はいつのまにか昼を過ぎ、夕暮れに差し迫る頃になっていた。その為に先ほどまで部屋を満たしていた昼の日差しは、淡い茜色の光にとって変わっていた。


 すると捜索の途中、サンはゴミ箱の中からある物を見つけた。……どうやらパンフレットの様だ。


「『巡回医療団』? なんだこれ?」


「それは……」

 

 それを見てメアリは、言い淀みながら話し始めた。


 ——巡回医療団じゅんかいいりょうだんとは沢山の医師や看護師が

様々な国の依頼で世界中を回り、医療の行き届いてない人々に治療を施したり、医療技術を伝えたりする医療団体の様だ。


「私、看護師見習いとして働いているの。」


 どうやら、看護師を志すメアリはこの医療団に入る事を夢見ていた様だった。


「…………でも、私はここを離れるわけにはいかなかったの」


 メアリは部屋の中にあった一つのドアを開けて、中へ入って行く。サンもそれに続いた。

 先程の生活感に溢れた室内とは違って綺麗に片付けられた部屋には、ベットが一つ置かれていた。それ以外には何もなく、部屋は薄暗い茜色に染まっていた。

 おそらく、ここはメアリの母の部屋だった場所なのだろう。


「……私の……」


「え?」


 部屋を眺めながら、震える声で呟くメアリを、サンは横からそっと覗き見た。その表情を見て、サンは僅かに息を詰まらせる。

 ——メアリの顔は、暗い感情で満たされていたのだ。

 重く、冷たい絶望。取り返しのつかない、深い、深い闇の……。


……お母さんが死んだのは……」


「おい! お前……」

 そう言ってサンはメアリの手を取ろうとした。しかし、メアリはそれを強く振り払って


「——私のせいなのよ! ……だって、私はお母さんを置いていってしまったんだから!!!」


 悲痛に叫んだ。

 メアリはそのまま、ベッドの方まで後ずさりしながら、言葉を続ける。暗い、何かに囚われているかのような表情のまま……。


「お母さんは自分の事を顧みず、私を大切にしてくれた。

 だからお母さんが苦しい時には私は側にいなきゃならなかった……なのに……」


 ——母の病が進行して、街の医者では手に負えなくなってきた時、メアリは街に偶々来ていた巡回医療団を頼ろうとした。何とか交渉して来てもらう約束をした後……そのまま医療団の活動を少し見学したのだそうだ。

 多くの人を救うという使命感と、遠い外国を感じさせる雰囲気……その幼い頃からの夢に触れて、メアリは幸せだった。

 そしてメアリは、母が助かるかもしれないという思いと、見学した時の感動を携えて家に帰った。


(お母さんに、早く伝えてあげるんだ! 今日のこと……お母さん助かるかもって! 医療団の人達は、やっぱり凄かったって)


 母にこの事を教えれば喜ぶ。そう思い、家に帰ったメアリだった。しかし……


「…………え? …………お母さん?」


 しかし、待っていたのは、ベットの上で喀血して亡くなっていた母だった。容体が急変したのである。


「お母さん! お母さん!! ……い、や……いやぁぁぁぁぁああああ!!!」


 赤い血に塗れた母の側でメアリは泣き崩れた。もうどうにもならなくなってしまった、絶望を前にしながら。

 そのまま時は残酷に流れ、その後の事は驚く程速やかに進んでいった。 

 

 そしていつしか、空っぽの母の部屋のベッドの前で、メアリは次のような思いを抱え始めた。



 ——なぜ、母の元を離れてしまったのか?


 ——なぜ、看護師を志す自分がこの急変に気づけなかったのか?


 ——なぜ、医療団を訪ねる時に母も連れて行かなかったのか?


 ——なぜ、母の死際に側にいてあげることができなかったのか?



 ————なぜ? ……なぜ? …………。



 自分は夢に浮かれてしまっていたのではないか? 全てはそのせいなのではないか?


「お母さんはいつも私の事を考えてくれた、それなのに……私は……」

 そう言ってメアリは俯きながら涙を流し始めた。


 サンは、一部始終の話を静かに聞いていた。そして


(もしや、影鬼の正体は……)

 と、一つの事実に思い至っていた。


 そのサンの視界に、部屋のベットの上で蠢く黒い物が映った。それは夕入りの暗い茜色の光に負けない漆黒の、闇の泥のような形を、モゾモゾと蠢かしていた。


「っ……下がれ!」


 サンの声に反応したメアリはハッ、と顔を上げて振り返り、ベットの上の黒いものに目を向けた。


 ——黒いものは蠢きながら段々と形を成していく。暗い感情を糧にして自己を形成する闇の中の住人……『影鬼』である。

 次第にそれは人の形を取り始め、頭からは髪の毛の様なものを振り乱し、顔を上げて、メアリに語りかけ始めた。


「メ……リ……、ニュぃ……」


そして語りかける言葉と共に、段々顔が鮮明に形作られて来た。その顔をみてメアリは


「…………お母さん?」

 と言った。

 

 よく見ると、影鬼の顔は、先ほどサンが見た写真立てで幼いメアリと写る、母の形をかたどっていた。

 メアリの声を受けて、影鬼は


「メア……リニ……テ……」

 と言った。


「お母さん!!!」

 そう言って影に抱きつこうとするその手をサンが掴んで引き戻した。


「違う! ダメだ、メアリ!!!」


 サンに腕を掴まれながらもメアリは叫びながら影鬼の元へ向かおうとする。

 しかしすぐに、影鬼は呟きながら蠢き、やがてスゥーっと霧散する様に消えていってしまった。


 薄暗くなった部屋にはサンと、膝から崩れ落ちたメアリだけが残っていた。


「そうか……そうなんだ。お母さんが、私を……」


 呆然とメアリがそう言った後、サンは静かに


「それは、少し違う。そう、正確に言えば、少しな……」

 と、誰もいなくなってしまったベッドを見ながら言う。



「——あれはな、。……お前自身なんだよ。メアリ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る