第50話 下弦の月-2
「日記帳やったら勝手に読まれへんけど・・・・・・ほんなら、その代わりになんか頂戴?」
「代わりって・・・あ、やだ」
軽くスケッチブックを手元に引き寄せれば、慌てた瑠璃が手を伸ばして来た。
前のめりになった無防備な腰を攫って、ころんと畳の上に押し倒す。
「・・・・・・・・・あ」
西園寺がしたかった事に気づいた瑠璃が、小さく声を上げた。
瞬きを繰り返す目尻をそろりと撫でて、閉じた瞼を優しく指の腹で辿る。
彼女が目を閉じたことを確かめて、後ろを振り向いて伸ばした手で開けっ放しの障子を閉めた。
午後の柔らかな光だけを障子紙が吸い込んで、畳を優しく照らす。
「新しい家に行ったら、好きなだけ家探しして俺のこと暴いてくれてええから」
「見られて困るもの・・・・・・ないの?」
「あらへんよ。そんなん」
きっぱり言い返せば瑠璃が不服そうに頬を膨らませた。
「・・・・・・私は・・・あるの」
いじらしい反論に笑み崩れて、頬にキスを一つ。
閉じ込めた腕の中で、居心地悪げに瑠璃が身を捩った。
「ご飯食べる量減らしてんやって?」
「・・・・・・ちょっとだけ」
視線を前に逃がした彼女の耳たぶを甘噛みしながら、無防備な背中を優しく撫でた。
かりかりとホックを引っ掻いて、それなりに健全な提案を口にする。
「一分間のキスの消費カロリーっって6キロカロリーらしいで」
「・・・うそ」
眉根を寄せながらも興味を惹かれたらしい彼女がこちらを振り返って来る。
唇を優しく啄んで、彼女の肩を引いて仰向けにした。
「ハグにはストレス軽減と、リラックス効果もあるらしいし・・・・・・」
丸い肩を撫でてこめかみに唇を寄せる。
「体力ない瑠璃には、一番手っ取り早いダイエット方法ちゃう?」
「そんな何十分もキス出来な・・・っ」
「出来るよ」
捕まえた顎を引き寄せながら指の背で喉元を子猫にするように撫でてやる。
仰のいた瑠璃は素直に唇を開いてくれた。
軽く啄んで、いつものように緊張が解けるのを待ってからもう一度重ねる。
「息止めたらあかんで・・・・・・ちゃんとリラックスしてや」
「・・・・・・ドキドキするから・・・・・・無理っ」
詰るような声に脳髄を焼かれて、緩んだ唇の隙間から下を捻じ込んだ。
目を剥いた瑠璃が、小さく悲鳴を上げる。
「んっ・・・」
息苦しくさせるのは本望では無いが、いまのは仕方ない。
どう考えても瑠璃が悪い。
焦がれるように縋りついて来た今より薄いから身体の彼女でも十分過ぎるくらい気持ちよかったのに、今の瑠璃を抱いてしまえばどうなってしまうのか。
お互いの気持ちは十分すぎるほど確かめ合ったし、西園寺の結婚に口を挟む面倒な人間はどこにもいない。
吉凶占いで選んだ日取りが随分先であること以外はすべて思い通り。
それなのに、これほど焦らされながらまだ手を出してないのは、瑠璃の引っ越し準備が整うのを待っているからだ。
家族の記憶が色濃く残るこの場所で瑠璃の肌を晒すのはさすがの西園寺にも抵抗があった。
だから、死ぬ気で我慢しているのだ、いまも、ずっと。
けれどこれ位なら許されるだろう。
二人はれっきとした恋人同士で、結納も済ませた仲である。
身体を繋げることは出来なくても、キスくらいは許されるはずだ。
多少行き過ぎたキスだとしても。
瑠璃の表情を確かめながら、ゆっくりと舌を絡ませる。
一瞬怯んで逃げたそれを追いかけて、舌先を捕まえるとすぐに素直に応えてくれた。
初めて彼女を抱いた夜を思い出す。
胸に縋りついて帰りたくないと必死に訴えた瑠璃の度胸は、ベッドに組み敷いた瞬間には霧散して、後は声を震わせて甘ったるく啼いてこちらを一方的に煽るだけだった。
彼女が唯一残した爪痕が薄くなるにつれて、後悔と恋慕は増していきそれは決意と覚悟になった。
甘やかして甘やかして余計なことを考えずに済むように。
心地よさだけを植え付けて蕩かせて今度こそ二度と失くさない。
舌の表面を擦り合わせて心地よさに浸っていると、息を詰めた瑠璃がぎゅっと西園寺の腕を掴んだ。
キスを解いて頬を覆う横髪をかき上げてやると、涙目になった彼女が身を捩って背中を向ける。
「まだ五分も経ってへんで?」
畳の上を滑る指先を包み込んで、項にキスを落としたら、可愛い悲鳴が零れた。
「ひゃ・・・っ」
どこもかしこも不安になるくらい敏感なのに、それでもまだ強請ってくれないなんて本当に手強いお姫様だ。
今日こそ上手いこと言いくるめて連れて帰ったろうかな。
そんな邪なこちらの心境を探るように、振り向いた瑠璃が震えた唇で呟く。
「あと・・・五分・・・・・・っ」
涙交じりの訴えに思わず天を仰いだ。
これはどんな試練だと神様に問いかけたい。
それなりに誠実に実直に、真面目に、瑠璃の幸せだけを祈って生きて来たつもりなのに。
肝心のご褒美の一歩手前でとんでもない爆弾を落として来る。
勘弁してくれと内心で毒づきながら、ことさらゆっくりと可愛い恋人を見下ろした。
「なにそれ・・・キスがしたいから?・・・・・・・・・それとも、ダイエットがしたいから?どっちなん?」
きゅっと眉根を寄せた瑠璃が、包み込まれた手のひらの内側を指の腹で引っ掻いて来る。
一度もそんな仕草は教えていないはずなのに。
「・・・・・・・・・・・・どっちも」
噛みつくように唇を塞いで、上がった悲鳴を飲み込んだ西園寺は、今度こそ自分を正当化した。
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