【本編完結済み】頑張り屋で甘え下手な後輩が、もっと頑張り屋な甘え上手になるまで
木ノ上ヒロマサ
第1章
第1話『夕暮れの日に』
「……何だあれ」
日々の気温が下がりつつある十月下旬の放課後。濃い夕暮れの光が差し込む廊下で、
部活の後始末を終え、鞄と手提げの紙袋を携えてさあ帰ろうとしたその矢先、振り向いた先の廊下の奥から姿を現した薄茶色。段ボール箱二段重ねのタワーはのそり、のそりとゆっくりとしたペースながらも着実に優人の方へと侵攻し、ついでにゆらゆらと左右に揺れてもいる。
学校の怪談にはちょっと時期が遅くないか、と我ながらズレた感想を抱くのも束の間、宙に浮いた段ボール箱の下に人間の下半身を見つけたことで「ですよねー」と一人納得してため息をついた。
どうやら誰かが段ボール箱を抱えて運んでいるというだけのことらしい。
運ぶのはいいが、あれではろくに前が見えていないだろうに。
ごく当たり前のさして面白くもないオチに嘆息しつつ、部室である家庭科室の扉を施錠して優人は歩き出す。帰る前にカギを返さないとだ。
職員室へ向かうには絶賛段ボール箱接近中の方から行くのが近いので、ぶつからないように廊下の端に寄って進む。
そしてすれ違おうとした瞬間、ふと気になって視線を横へ向けた。
――なんと、誰かと思ったらあの
優人より一個下の高校一年生で、この学校内でも飛び抜けて有名な女生徒。彼女を一言で表現するならば、まさしく美少女という言葉が適切だ。それも頭に“超”と修飾されるぐらいの。
澄んだ夜空を連想させる群青色の髪は、両サイドだけがやや伸びたさらさらのショートカット。つり目がちの大きな瞳は薄い黄色を帯びた
すれ違いざまの一瞬でも見惚れてしまいそうになる横顔はもちろん、すれ違った後の後ろ姿ですら絵になるのだから恐ろしい。
ここは彼女の荷物運びの手伝いを申し出て、それを機にお近付きに……なんてのが大半の男子生徒の考えることかもしれないが、生憎とその大半から外れている優人は少し見送っただけで視線を前に戻した。
生真面目なきらいがあるものの基本的には礼儀正しいと評判の雛に対し、こっちは親譲りの目つきの悪さが祟って、どちらかというと無愛想な人種だ。困っている人を見つけたら率先して手を差し伸べる、というのはどうにも柄じゃない。
下手に声をかけ、目つきの悪さで後輩の女子を怖がらせでもしたら、それこそ目も当てられないだろう。
とにもかくにも問題なく運べてはいるみたいだし、このままさよなら――
「ひゃっ!?」
前言撤回、問題発生。
想像よりも可愛らしい悲鳴とドササッと何かが崩れ落ちる音が優人の背後で響く。思わず振り返ると、たまたま
うっかり下着が見えるなんてハプニングは起きない。けどそれなりに乱れたスカートの裾から、黒タイツに包まれた太ももの際どいところまでが露わになっていて、わずかに心臓が跳ねた。
……さすがに目の前で転んだ人間をスルーするほど、優人も無愛想をこじらせてはいなかった。
「大丈夫か?」
できるだけ穏やかな声を意識して、雛に声をかける。ぴくんと肩を振るわせて振り返った彼女はまさに見返り美人。その場にただへたり込んでいるだけのポーズですらモデル顔負けだ。
ぱっちりとした二重の瞳が優人を見上げ、それから白い頬がさっと朱色に染まる。転んだ瞬間を目撃されたのが恥ずかしいのだろう。とりあえず目立った怪我も無さそうなので、優人は早々に廊下に散らばった物の回収に移る。
段ボール箱の中身は、少し前の文化祭で使った飾り付けのモールの数々。なるほど重くはないが、かさばるものばかりだ。というかまだ片付いてなかったことに呆れてしまう。
「……あの」
同年代に比べてやや大人びた、それでいて女の子らしさもある澄んだ声が優人の耳を撫でた。視線は向けず、遠くの方に散らばった物から優先的に拾いながら相槌を打つ。
「んー?」
「手伝って頂かなくても大丈夫ですよ? これは私が先生から頼まれた仕事なので」
「気にすんな。屍を踏み越えていくのもどうかと思っただけの話だ」
「……勝手に殺さないでくれますか」
叩いた軽口は小さくツッコまれた。ちらりと表情を窺うと、雛は微かに頬を膨らませつつも近場のモールから拾い始めていた。
「これどこまで運ぶんだ?」
「……
「よりにもよってそこかよ」
校舎の最上階かつ最端で、ここからでもまだ距離がある。しばらく使わないからとりあえず押し込んでおこうという
……仕方ない、ここまで来たら乗りかかった船だ。
モールを段ボール箱に詰め直した後、優人はその内の一箱を担いで立ち上がる。
「何してるんですか」
「手伝うよ。さすがに一人で二箱はキツいだろ」
「気にしなくていいです。これは私が頼まれた――」
「また転んだらと思うと寝覚めが悪い」
そんな応酬をすれば雛の頬はさっきよりも膨らんだ。遠目から見てる分には表情の起伏に乏しい方だと思っていたが、こうして面と向かってみると思ったより感情が顔に出るから意外だ。
ただ冗談めかした物言いだったとはいえ、優人の言ったことは本心でもある。ここが平坦な廊下だったから良かったものの、もし階段で足を踏み外そうものなら洒落にならない。ガチの屍はもちろんノーサンキューだ。
という優人の意図は雛も理解したらしく、渋々ながらもそれ以上食い下がることはなく、残されたもう一箱を担いで立ち上がる。だが、その瞳には優人――というより異性への警戒の色が見え隠れしているように思えた。
「心配しなくても、手伝った代わりにデートしろとか言わねえよ」
目を見開き、それから気まずそうにそらす雛。やけに手伝いを遠慮しているからもしかしてと思って鎌をかけてみたが、実際に過去にそういうことがあったのだろう。話題の美少女はそれだけで大変そうだ。
「ほら、行くぞ」
雛を促して歩き出す。出遅れた雛は慌てて優人の横に並び、二人揃って目的地へと向かい始めた。
「あの」
「ん?」
「……ありがとうございまいます。正直助かりました」
「……そりゃどうも」
少したどたどしい雛からのお礼。それを口にした彼女を一瞥し、一拍置いて、そしてぶっきらぼうに返してから優人はまた前を向いた。
――言えやしない。
眉尻を下げ、ほんのわずかに口角を持ち上げた雛の表情。微笑みとも言えないようなそんな些細な感情表現にすら、一瞬心を奪われてしまったなんて。
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