可能なるコモンウェルス〈5〉
人民主権の考え方においてはあたかもそれが当然であるかのように、人民は国家に先行して存在しており、「まるで人民(people)が王政から主権を取り返したかのように思われて」(※1)いる。だがしかし、実際にはそれとは全く逆な話なのであって、そもそも「人民は、まさに絶対的主権者の臣下として形成された」(※2)ものなのであった。
絶対主義王権国家という政治体は、「その内部に、それを相対化するような権力や各種の共同体を認めない」(※3)ような、まさしく「絶対的権力」として成立しているものなのである。逆の側面から見るとそれは、自身以外の「全ての者を『臣下(subject)』にする」(※4)ことによってこそようやく保たれうるような、ある意味いささか危うい絶対性として何とか成立している「権力」なのであった。
そこでは、それまで「様々な身分や集団に属していた人々が、絶対的主権者への臣下として同一化(=均質化)」(※5)されることとなる。それは同時に、その「様々な身分や集団に属していた人々が、主権者の下で臣下として同一の地位に置かれた時、はじめて人民となって」(※6)いくプロセスでもあったわけである。そこで、人民主権の原理の一つである「人々の平等性」ということも、そのように「絶対的な権力の下で人々が対等に扱われていた=支配されていた」ことに由来するのだ、と言ってもいいだろう。
あらためて言うと、絶対王権国家の「君主」とは、すなわち「国家そのもの」なのである。そして、絶対主義国家における君主の「絶対性」とは、それに並び立つような「相対的外部性」を有する「別の権力」が、その国家内部に生じることを絶対に認めないという意味で「絶対的」なのだ、ということである。
そんな絶対王権国家の「内部」においては、全ての人々が君主の臣下になることで、その全ての臣民はまさに「国家と同化している」かのように見える。絶対王権国家で人々は、臣下として「絶対君主と一体であること」が求められる。「君主=国家そのもの」の支配下に組み敷かれ、「被支配者=臣民」としてそれと一体になることにおいて、人民はようやく「その国家の内部にあるもの」として自らを位置づけることができるものとなる。
そのような人民と国家との「一体性」が、「人民主権国家」においてはある意味それまでからは全く反転し、あるいは全く「置き換えられて」(※7)、「主体(subject)としての国民」(※8)、すなわち「ネーション」を成立させるその土台を形成するものとして見出されるところとなるわけである。
繰り返すと、近代民主主義国民国家の主権者である国民・人民は、その前段階においてまず「絶対王権(…の主権者=君主による支配…)の下、それまでさまざまな身分や集団に属していた人たちが、王の臣下としての同一の地位におかれることを通して形成」(※9)されることとなる。言い換えれば、むしろ「このような絶対王権が先行しないと、主権者であるネーション(人民)は出現しない」(※10)のだ、ということにもなる。というのは、絶対主義王権国家は「その内部に、それを相対化するような権力や各種の共同体を認めない」(※11)がゆえに「絶対的」であることができる、そしてその内部においてそこに内属する全ての人々=臣民が「絶対的主権者への臣下として、同一化(均質化)される」(※12)ことにより、そのような「同一化=均質化」が人々=臣民自身において、「自分たちはそのような一つの共同性をもって一体化した民なのだ」として、その一員である自分自身を、同一化=均質化された人間集団の内部において発見し、かつそれを自己正当化するに至るのである。
一方で、絶対王権の「主権者」すなわち絶対君主は、彼以外の者たちが「主権者たりうるような可能性」を一切排除することによりはじめて自ら主権者たりうる。言い換えると、彼自身が「国家の主権者=絶対的権力者でありうるため」には、その一つの国家の中に「権力が複数ありうるような可能性」を一切排除する必要がまずあったのだ。ゆえに彼は、彼自身の他に「権力者でありうるような、他の封建諸侯」をことごとく打ち倒し、その領地にあった封建的諸共同体の一切を解体し、「それらの一切がもはや、いささかの権力も全く有しえない」という状態に持ち込むことにおいてそれらを一まとめにし、そしてそれらを自らの権力下に置いて、その権益一切を独占するに至るのであった。その絶対君主の下に組み敷かれた、「もはや権力をもちえない者たち」は、一まとめにされた上でただ一人の権力者すなわち絶対君主の下、「その絶対者の臣下」としてはじめて、一まとめの人間集団すなわち「人民」となりえた、というわけである。
この、一定の人間集団を一まとめにするという経験は、人民主権の成立においてもまた、その「一まとまりになった人間集団の内部から、ただ一人で権力者たりうるような者が現れてくる可能性」を完全に排除するという、「人民・国民主権の機能的構成」の成立を条件づけるものにもなったと考えられる。
一方では、かつての絶対王権からその主権者機能を引き継ぐ上で、「一つの国家の内部」には主権が複数存在しえないという、その機能的条件をも丸ごと引き継ぐことで、当の人民・国民「自身」が、「複数の主権者ではなく、一まとまりの、ただ一人の主権者として、国家の主権を引き継ぐ」という前提条件も丸ごと引き継ぐこととなったわけである。
〈つづく〉
◎引用・参照
※1 柄谷行人「世界共和国へ」
※2 柄谷行人「世界共和国へ」
※3 柄谷行人「世界共和国へ」
※4 柄谷行人「世界共和国へ」
※5 柄谷行人「世界共和国へ」
※6 柄谷行人「世界共和国へ」
※7 アレント「革命について」
※8 柄谷行人「世界共和国へ」
※9 柄谷行人「世界史の構造」
※10 柄谷行人「世界史の構造」
※11 柄谷行人「世界共和国へ」
※12 柄谷行人「世界共和国へ」
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