第36話 疾風と銀嶺


「ふふふ――」

「あはは――」


「やっぱりそう言うと思ったわ。エルフィーリエのことだから絶対そっちを選ぶと思ったわ」


「えー、なによ? どうして私がそっちを選ぶってわかるのよ?」


「だって、ジェノアには温泉があるって聞いてるもの――」

ケイコが答える。

「あんた、大の温泉マニアじゃない」


「ちぇ、ジェノアの温泉はお肌にいいらしいのよ? つるつるすべすべになるんだって――、そう宿屋のおじさんが言ってたんだもの。それはためしてみたいじゃない?」


「私は別に――。でも、ジェノアにはいい武器防具がそろってるって聞いてるから、そっちの方がいいかなって」



 そんなたわいもない会話だった。

 今でもはっきりと覚えている。その決断の結末を知りもしないで、陽気にただ前しか向いていなかった。


 ケイコの実力はこの「30年」の間にプラチナクラス冒険者にまで上がっていた。ここまでのエリアで野外フィールドに発生するモンスターのなかに、彼女に御せないものはほとんど存在しなくなっている。

 バウガルドのほぼ70パーセントに近い程度まですでに走破していた。あとは「果ての拠点群」と呼ばれる拠点と、「最果てのフィールドエリア」を残すのみとなっている。


 ケイコの「仕事」はこのバウガルドの探索と危険個所の洗い出しだ。前もってこれから訪れるであろう「旅行者ダイバー」たちにとって、絶対に近づいてはならない危険な場所やエリア、モンスターなどの情報を集めるのが彼女の役割だ。

 もちろん、バウガルドの世界もとてつもなくゆっくりとはいえ変わってゆくところもある。

 今集めた情報が、数年後(こちら世界バウガルドにおける数十年後)に変わってしまうことはあるかもしれないが、全く情報がないものを提供するというわけにはさすがにいかない。


 「テスター」であるケイコの存在意義はそういうものの情報をできる限り的確に収集し、この世界と「旅行」前の人たちに提供することにある。


 初めのうちは適度に危険な目にも遭った。

 片足を失ったときはさすがに焦って、死を覚悟した瞬間もあったが、それでも「ダイバー」には「緊急帰還呪文」がある。これの恩恵をうまく利用することで、かなり安全にこの世界を旅することができるという点は自信をもって勧められる。


 しかし、即死、あるいはコマンド発動不可状態はこれの限りではない。

 それが「ダイバー」にとっては最大の危険である。

 幸いなことに、これまでのエリアにおいて、そういった「即死」オブジェクトやトラップ、呪文、効果その他は発見されていない。し、冒険者たちの間でもそのような情報は皆無だ。

 ただ、一定エリアやモンスターの中に、「麻痺」系のスキルや特殊効果をもつものが存在していることが確認されている。この「麻痺」系の効果は「ダイバー」たちに限らず、冒険者たちにとっても非常に危険な生命の危機に直結する効果だ。

 「麻痺」効果を受けたものは一定時間、運動不能及び感覚喪失の状態に陥る。

 つまり、ダイバーにとっての命綱、「緊急帰還コマンド」が使用不可能の状況になるのだ。

 これを担保する方法は、無くはない。

 一番わかりやすく手っ取り早い方法は、パーティ行動だ。

 仲間が即座に状態回復系の魔法や防御魔法、回復魔法、あるいは小瓶ポーションを使って回復させればいい。


 しかしいつもそうできるとは限らない。

 そうなればやはり、それには近づかないことが一番の方法だ。


 そういった情報を収集することがケイコの「仕事」だった――。


 「だった」、はずなのにケイコはいつしかこの世界のになっていた。毎日が当たり前に過ぎてゆく。当たり前に異人種とおしゃべりをして、新しい情報が入ると一番に駆け付けた。まわりの冒険者からはそのあまりの行動の早さ故にいつしか二つ名を冠せられるまでになった。


 『疾風』――。


 ケイコの戦闘スタイルがそれのように速く直線的でまさしく吹き抜ける風のようであったからというのが異名の初めでもあるのは確かなのだが、あまりに探索に手を付けるのが速いという「忌み語あだな」でもあるのだろう。


 そしてその脇を固め、生命維持の役割ライフガードを担っているのがエルフィーリエなのだ。

 エルフィーリエはエルフ族の女性神官だ。神官職というのはいわゆる治癒系魔法の使い手で、様々な防御系支援系状態補強魔法や、状態回復魔法、治療回復魔法を操る「治療術士」で、前線パートナーの戦闘を支援しつつ、状況把握や生命維持を担う役回りだ。エルフィーリエの年齢は出会ったときに190歳と言っていたから、今では220歳ほどになる。冒険者ランクもケイコと同じプラチナクラスだ。

 『疾風』というケイコの二つ名に合わせて、エルフィーリエにも二つ名がつけられたが、その容姿の美しさもあってついた二つ名は『銀嶺』。肌の白さが輝くほどであることと、その銀色の長髪、溢れる気高さからつけられたという。


 そうして二人はついに「最果てのフィールドエリア」と呼ばれるエリアにまであと一歩というところまで来ていた。

 そのエリアは現在のバウガルドにおいて世界の端と言われている最外周エリアである。東西南北の極点には竜の住処とよばれる自然造形物フィールドオブジェクトが存在している。その極点と極点の間にはいくつかの果ての拠点群と呼ばれる拠点が点在していて、最果てエリアの探索拠点となっていた。


 バウガルドの各エリアには様々な迷宮が点在しており、どの拠点周辺エリアにおいても未だ未発見の探索ポイントがそれこそ星の数ほどあると言われている。それほどに広大で、また、冒険者の活動もまだまだ限定的なのだ。世界の形がケルンを中心とした円形の形状をしているらしいということも最近になってようやくわかってきたところだという。


 まったくもって不思議な世界だ。


 明らかにリアルであるのに、なんというかどことなく人工創造物のような感じもしないわけではない。


 いずれにしても、ケイコの仕事はそんな世界の探索であることに変わりはない。

 「最果てエリア」をぐるりと周回すれば、そんな長い時間をかけてやってきた仕事も終わりを告げる。そしてその先には、この世界に人類が訪れる新しい時代が来るのだ。


 そしてその足掛かりとなる、最果てエリア初めの拠点に、ケイコとエルフィーリエは温泉のある町、ジェノアを選択した。





 

  

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