第29話 共同戦線、ここまで

「……メルフィス、お前が裏切るとはな」


 硝煙の匂いが鼻を突く。一転して静かになったその場には、大河の激しい流れの音のみが遠くから響いていた。


「ここにエックスの代わりになる新しい王様がいるじゃん? ならもういつ裏切ったって構わないって寸法さ!」

「……? お前、真の目的をモルガナと共有していないのか」

「ちょっと、言わないでよ」


 エックスがモルガナに目を向けると、彼を見る彼女と目が合った。エックスは思わずたじろぐ。


「お兄様は昔から、あまり目を合わせてくれませんでしたわね」


 モルガナが申し訳なさそうに笑う。エックスは地面に膝をついたまま四肢を固められている。


「……モルガナ、お前はここへ何をしにきたんだ。私を殺しにきたのか」

「ええ、その通りです」


「メルフィス。モルガナがなぜ私を殺すか知っているか」

「え? 君の立場を奪いたいからじゃないの?」


「違う。そしてモルガナ、メルフィスが私を狙う理由を知っているか?」

「それは、今言っていた通り、新王国での権限を得るためなのでは……?」


「それもまた違う。二人とも、そんなことが真の目的ではない。お互い覚悟しておくことだ」


 流血したたる金髪の青い瞳は、一つ息をつくと、不意に昔の情景を思い返した。


「モルガナ、私は、昔からお前のことが恐ろしかった。私よりも優れているお前が恐ろしくて、私はあの家を出たのだ。お前が事を成すまでに、私は自分の目的を成さねばならなかった。そうでなければ、私は、私が生きている意味を見失いそうになったのだ」


「それは……驚き、ですわね。お兄様にそのように思われていたとは」


「そしてお前は実際にやり遂げた。少女が単身で二つの海と二つの大陸を渡ったのだ。それは、信者と共にキャラバンとして移動していた私とは別次元の難易度だっただろう。お前は不可能を可能にする人間だ。そういう星の元に生まれてきているのだ」


「……お言葉ですけれど、私もやるだけやって、その上で幾度もの奇跡に救われなければ、ここまで辿り着くことはできませんでしたわよ」


「だが辿り着いているじゃないか。少なくとも私にとってはこれが、お前が私より優れているという証明になる。そしてそうであるならば、お前が私と同じ結論に至る訳が無い。私の計画を乗っ取るようなことは絶対にしない。私などよりも崇高な思想があるはずなのだ」


 それは間違いではなかった。このセリフ一つに限っては、真理を突いていた。皮肉にも彼女を最も見誤っていたエックスこそが、しかし彼女を最もよく知るエックスこそが――モルガナの真の目的に気付いたのである。


「モルガナ。お前が命というものを大事に思っていたのは昔からだ。はは。家に入った虫を殺すのすら嫌がって、わざわざ捕まえて外に逃がしに行っていたな。あんなおんぼろな掘っ立て小屋じゃあ、虫なんていくらでも入ってきたのに。そのたび逃がしに行っていた。あの偽善みたいな行為、本当に見ていて気分が悪かったが——しかしここまで貫けているのならばあれは真の善行だったのだな」


 エックスは目を逸らして自嘲の笑いをこぼす。


「ああ、全く私は、醜いものだ」

「そんなの……昔のことですわ……」


 モルガナの心がさざなみのように波打つ。敬愛と哀愁の砂浜に、覚悟の波が寄せてくる。胸に湧き上がるものがある。


「そんなお前なら、果てしない旅の中で、人の営みを知って、その命の大切さを知ったはずだ。ならば私のような殺戮を許すわけはない。しかし私はもう人の命に手をかけてしまっていた。ならばお前はもう私を殺すしかない。しかしお前は私を殺して、自分を許せるのか? 人を殺した自分を認められるのか?」


 エックスは、ついにその眼でモルガナに向き合った。生まれて初めて、妹と面と向かった。


「私がお前の最も嫌いなところを、最後に指摘しよう。お前はいくら民に虐げられようとも石を投げ返すことは無かった。深夜に渡るお父様の教育で机に縛り付けられても、笑顔を絶やすことは無かった。まるで上流かと言わんばかりに、物乞いにはパンを分け与えた。お前だって、お前こそ、施しを受けるべきただの貧民の娘なのに。お前はあの環境であって、なぜかその博愛の精神を身に着けてしまっていたのだ。私はお前が大嫌いだった。その、身の程知らずな、自分を顧みない姿勢こそが大嫌いだった!」


 ――モルガナは、この事件を解決した後、その責任を取るつもりだろう。


「私は……お前にもっと、自分を大切にしてほしかったんだ! ……そうだ。私が、お前などに、殺されてたまるものか!!」


「——まっ……、まさか、お兄様っ……!?」


 エックスは自分の背中のエーテル石に意識を向ける。腕を伸ばすモルガナの身体をメルフィスが引く。背負った火薬庫には無数の弾薬が格納されている。銃口が石化されている今、それに火をつけたなら、弾は暴発する。


 一つ爆発する。続けて爆発する。背中が爆ぜ跳び意識もすぐに吹っ飛ぶが、しかしエックスは無意識の中でも石を働かせ続ける。


 モルガナの涙が地面を湿らせた頃、爆発は止まった。エックスの腰が前に折れ、重心を失って地面に倒れる。駆け寄る。


「お兄様ッッ!」


 メルフィスが渦巻く妖精ドラゴンフェアリーを召喚する。


「ふーん。これが君の最期か。意外とあっさりだな。結局は実の妹の方が大事だったってことか。最後の最後まで中途半端なやつだった。人を統べる器じゃなかったな」


 渦巻く妖精がエックスの頭に触れようとする。モルガナは慌てて妖精の喉元に機構剣の切っ先を向け、その背後のメルフィスに驚愕の目を向けた。


「あ、あなた、何のつもり!?」

「見ての通り、まだギリギリ蘇生できそうだから、洗脳して手駒にしようとしてるんだ」


 モルガナは剣を握りしめ、メルフィスを強く睨む。


「そんなことを、私が許すとでも」

「モルガナ、私は君のことが好きだ。シンパシーを感じるんだ」

「酷い侮辱ですわね」


 メルフィスは口笛をひゅうと吹く。


「君の底は見えたよ。目的も概ね理解した。そしてそれは果たされた。君の自殺と言う重大な結果を損なう形でねー。それはそこの男の献身によるものだ。なあ、その命を散らすのは、エックスに失礼じゃないか?」


「そもそも、私の目的は果たされていませんわ。お兄様が死ぬことで、我が家系を原因として始まった殺戮を止められると言うのなら、それは確かに果たされたでしょう。けれどまだお兄様の信者たち――〝アタラクシア〟のメンバーは残っている。彼らがお兄様の思想を継ぐと言うのなら、ジェリア家跡取りの責任をもって、それはこの私が食い止めなければなりません。加えて、そう。まだ討つべき邪悪が残っていますわ」


 モルガナは一人の人物を思い浮かべた。


「あなたが生きていては必ず、レーノの命は脅かされる」


 メルフィスはクックッと笑う。そうかと思えば、急に真顔に直る。


「あえて聞こう」


 杖を地面につく。三角帽子のへりを左指でなぞる。


「殺せるとでも?」


 モルガナはベルカと同じように、機構剣を目線に合わせて構える。


「覚悟なら、とっくの昔にできていますわ」

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