Chapter 2-5
血。
血の匂いがする。
少年は誘われるかのように意識を取り戻した。顔を上げると、そこはまさしく地獄だった。
純和風の屋敷は最早、見る影もない。燃え盛る炎が、畳を、障子を、天井までをも焼き尽くしていく。広がる業火の彼方に、錆びた鉄のような匂いを確かに感じる。
痛みに軋む身体を奮い立たせ、なんとか立ち上がった。
炎の勢いは増すばかりで、逃げ場はなくなっていく。轟音が脳髄を揺らし、身体の奥で警鐘が鳴り響く。死を前にした命の灯が、ここで死ぬわけにはいかないと告げている。
しかし、歩き出そうとした少年は、すぐに体勢を崩してしまう。足がもつれ、身体が前のめりに倒れていく。
ふわりと。
自分を包む大きな温もりを感じた。
見上げれば、自分を抱きしめる母と、彼女の微笑みがあった。もう大丈夫。大丈夫だから。母の子守唄のような優しい声は、炎の中でも確かに聞こえた。
彼女の声に縋り付くように目を閉じた。もう大丈夫だ。後は母に任せよう。母なら、誰よりも優しい彼女なら、なんとかしてくれるはずだ。
そう思っていたのも束の間、母の息を呑む音がした。ぽたりと、なにかが顔にかかる。水っぽいそれに触れると、まだ生暖かい、生きている人間の鼓動に触れた気がした。
瞬間、どくんと、心臓が跳ね上がる。耳まで届くそれが周囲の雑音を掻き消していく。外音は遮断され、聞こえるのは自分の中で脈打つ鼓動だけだ。それはどこか、自分ではない別の生き物のもののような気がする。
母の温もりが消える。母はやけにゆっくりと畳の上に倒れていった。母の唇が動く。声は聞こえなかった。それきり、母は目を閉じて動かなくなった。
母の胸元から、血がとめどなく溢れ出す。
少年は頬の液体を拭い、掌を見た。血の色が、炎の赤の中ではっきりと見えた。
そこへ、ドサリと音を立てて何かが投げ落とされた。
はっとしてそちらを見やれば、そこには血にまみれた男が倒れていた。
その顔は見間違いようがなく、少年の父のものだった。
鼓動が一際大きな音を立てる。
ゆらりと、炎の奥から部屋に侵入してくる男の影が見えた。目に付いたのは、その男が持っている長刀だった。その刀身を赤く染め上げているもの。それ一体、誰の――!
少年の足元には、父の落とした刀が、炎の中でその刀身を爛々と輝かせていた。怒りや迷いや怒りや恐怖や不安や怒り、怒りが、怒りが、怒りが――刀に引き寄せられるように、少年は震える手で刀を手に取る。
刀は少年の幼い身体の、三倍以上の刃渡りがあった。少年はそれを片手で振り上げる。もう片方の手も柄に添えて、
「ァァァァァァァァァァァァァァァァ――!!」
全身全霊を込めて、刀を振り下ろす。力任せに振り下ろされた刀身が彼奴の振り下ろした長刀と激突するその瞬間。
そこで、少年の記憶は途切れた。
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