第43話 6回表 佐山と風祭①

《青海視点》


『承前』

(2失点……か?) 

今村は立ち上がって苦々しい顔――食いしばった歯を見せる。

 スタートを切っている1塁ランナーの屋敷もホームに還りかねない。

(伸びすぎた?)

 華頂は表情を曇らせる。

 ボールが地面に落ちれば先制、ゲームは松濤の優勢に傾く。

(飛びこめ!!)

 流星と化した右翼手ライト貴船が、地面と平行に飛びながらグラブをさしだし、その先端にボールが。滞空する貴船は気づく。(グラウンドに落下したら衝撃でボールがこぼれ落ちる)、、0.01秒後に人工芝にその全身が落下した。

 そのままうつぶせに倒れる。その姿勢のままボールの入ったグラブをアピールし審判が「アウト!!」

 この日一番の盛り上がり、熱狂の渦に球場が巻きこまれる!


  青海00000    |0

  松濤00000    |0


 青海のベンチメンバーが沸き立つ。先制点不成立。倒れたままのライトをにらみつけ桜がベンチに引き返す。

 殊勲者になりえなかった華頂は無反応である。

「?」

 ……場内の空気が、そして試合の流れそのものが松濤から青海に傾いた。二度とないかもしれない得点チャンスが無下になったのだ。

(屋敷を止められずともやはり勝者は青海)

 青海を推す観衆の思惑に水を差すように、1塁ランナーの屋敷が指摘する。

「左膝から落ちたな」

 貴船が立ち上がれない。そばに立つ中堅手センター佐山が肩を貸し、立ち上がらせ、三塁ベンチまで引っ張っていく。球場は彼らを謳歌おうかする。

 痛みに顔をしかめながらも笑う貴船。

 自分の身を引き換えに華頂の先制タイムリーを止め、一人一殺を体現した。

 並んで歩く佐山から怯懦の意が消え去ったことを今村は確認した。

(佐山になにがあった?)

 大観衆の拍手を浴びる二人。

「俺は死んだよ佐山。眼を醒ましてくれるか?」

「ええ、もう眼は醒めましたた」

 佐山の眼に火がついた。

「僕は青海の『顔』だ。なら、することは決まってる」

(泡坂、風祭カザ置鮎アユ……。あの三人は自分が強くなるしか興味がない求道者だ。悪く言えばチームを背負ってない。……この『死線』でチームを勝たせるのは僕の役目)

 ベンチ前で控えの選手たちが佐山の腕から貴船を離し、救護室へ連れていく。

 チームメイトの姿を見ながら佐山は独り言を口にする。

(青海が強すぎて忘れていたな。このチームに救われてきたのはこの僕で、このチームを引っ張ってきたのも僕だったのに)

 主役は佐山だ。他の19人の誰でもない。

(学習面でチームの足を引っ張り大会の出場を見送られそうになったのも僕。危うく完全試合を達成させられそうになったあのゲームで初ヒットを打ったのも僕)

 目立ってしまうのは仕方ない。そういう星の生まれだ。

 佐山は振り返り、松濤のベンチのナインの様子を見る。

 こんな若い選手相手に大苦戦しているという現実。たった九人のチームに5イニング得点がない。

 

「みんな疲れてる? 下向いてるよ!! ここからが大事なんだ。……安心しなよ萌、みんなもそう。青海チームがピンチになったときは、いつも?」

 そう言って自分のユニフォームを指す佐山。

(僕が決めるんだ)

 5回裏が終了。グラウンド整備が始まった。両チームの選手たちがベンチ裏で補食をとり戦うためのエネルギーを満たす。


『佐山』

 2年前。

 青海野球部が『夏の選手権』の東東京予選を突破し、全国大会を目前に控えた時期のことだった。

 堂埜が1年生キャッチャー今村に話しかける。

「佐川はガリガリだろ? 157㎝50㎏。見た目で判断するとどうして野球部に推薦で入ったのかわからないくらいにさ……でもバッティングはこっちが教えることもないくらい『完成』していたよ」


「でも大事なのはフィジカルだよ。身体が弱かったら他の才能なんて無意味だ。安定して活躍してもらうには体力が必要なんだ。スポーツだし当たり前のことだけれど」


。週の半分は放課後寮に閉じこめて練習させなかったでしょ。いっぱい食べさせていっぱい眠らせて、ようやく身長に対して体重が一般の平均に達したんだ」


「でね、問題は佐川があまりにも練習に参加できなくて、そんな俺に贔屓されているように見える1年生をレギュラーで使うことは上級生たちからの反発が予想されるわけよ。佐川天才だし、イケメンだしね(笑)」


「小柄でパワーもない、ただ才能があるだけの1年生にレギュラー奪われたらそりゃ反感も買おうというものだよ。うちは実力主義だけど、それでも特別あつかいされてる1年生だからね」


――。一人一人と面会して説き伏せた」


「練習にろくに参加できていない僕がレギュラーになるのは申し訳ない。でも必ず、僕の活躍で青海を甲子園に連れていく」


「結果は知ってのとおりだよ。あいつは1年で一人だけ初戦でスタメンの座をつかんだ。泡坂もおまえも風祭も大会中に主力扱いされるようになったのに」

「佐山は俺の予想をはるかに上回った。特にバッティング――打ちとられた当たりはほぼなかっただろう? いや、そんなことより見ている人が気にしているのはあいつの性格だ」


「ヒットを打つたびにガッツポーズしてさ、観客席に指をむけて煽る。タイムリー打てばベース上で吠えるし、ベンチでは一番騒がしいし、それでいて礼儀正しい正義の味方面してるんだよね。クソ真面目で清廉潔白で。あいつは嘘を吐かない。仲間外れをつくらない。そりゃ人気も出るよ。まぁ性格別にしてもあのルックスだし甲子園じゃおっかけがダース単位で現れるかもね」


「練習に参加せず本来疎外感を感じているはずの1年生がこんなキャラクターキャラ渋滞させているなんて普通ありえないだろ? 『ビビりながら寡黙にプレーして才能の片鱗を見せる』のが本来の1年生ルーキーらしい控えめな態度なのにどうして佐山はこうなのって思ったろ?」


「おまえだけに教えるよ今村」


「佐山が青海チームのためにプレーできるのは、俺があいつを救ったからだ」


   *


「ぼ、僕が全部悪いんです。父さんはなにも悪くなんてない……!」


   *


「初めてあいつに会ったとき、佐山は虐待に等しい練習量を父親に強いられていた。毎日朝から晩までね。クラスメイトと放課後遊んだことがない。学校の行事にも参加しない。だってそれは『必要のないことだから』」


「8年前社会人野球を辞め、それから実家が裕福らしくまともに働いていなかった父親が、子供を過剰練習オーヴァートレーニング症候群になるほど過酷な練習をさせていた。端的に言って虐待死しかけていた」


「倒れて入院することすらあったそうだ」


「入った学校が学校だったら再起不能になっていた可能性すらある」


「きちんと休養をとらないと身体は成長しない。だから佐山は同世代の子と比べても身体が小さいんだ」


「父親の目的は自分の叶わなかった夢を息子に実現させる事。才能ある息子を一流のプロ野球選手にすることだ」


「佐山はそんな父親を異常だと認識していなかった。自分が父親の期待に応えられないことを心底恥じていたんだ。


「今村、そんな顔するなよ。大事なチームメイトのことなんだからさ……」


「俺はあいつを父親から引き離した。どうやってあのクソ親父を離したかというとそれは大人の事情で秘密ね……。あの男が佐山に会いにくることはない。青海に在学している間はそうだ」


「最低の父親だったが指導者としての才能はあった(いい選手には必ずいい指導者がついてるものだ)。息子の才能は開花していたよ。並の選手が高校生のうちに身につける技術を中学生のうちに習得していた」


「でもあいつには動機付けがなくなってしまった。最低な父親を引き離してしまったがゆえに……」


「あいつは父親が喜ぶから野球をやっていたんだ。自分のための野球じゃない」


   *


「父さんがいなくなった今、僕はどんな理由で野球をすればいいんですか? 僕にはもう……戦う理由がない」


   *


「他人のために戦うことができる人間は強い」


「俺は佐山に言ったんだ。この2年半は青海のために戦って欲しい。チームのためにプレーだけでなく言葉でチームメイトを引っ張って欲しい、グラウンドの外でもチームの規範となる行いを守って欲しい」


規範役割ロールモデルって奴ね」


「あいつの世界観はシンプルだ。青海このチームが勝てば野球部のみんなや観客席のファンは大喜び。悲しむ人間など存在しない」


「もともと正義漢で礼儀正しい奴ではあったけれど、それからは見てのとおり、裏表をなくすようになった。相手を問わず率直な意見を言うだろ。それができるようになったのはその選手に憧れていたからと、最低な父親の元から物理的に離れたからだ」


「愚直な性格していてさ、年上に対しても間違いがあったら指摘する。でも嫌味がないし反論もできない。見てくれが良くて女からのウケもいい。そのくせ恋愛感情なさそうなくらい野球馬鹿でさ」


「俺が求める人材だった」


   *


「僕は青海を日本一にしてプロ選手になり、父さんが間違っていなかったことを証明したい」


   *


「俺はあいつの才能が欲しかった」


「俊足巧打。どのポジションも守れる万能性。ゲームの流れを理解したムードメイカー。あれが青海野球部の部員たちが目指すべき姿だ。目標にするには佐山が傑出しすぎてるけれど」


「俺が懸念しているのは部内の選手間における実力差だよ」


「泡坂と風祭は2年後に高卒でプロ入りするだろう。他の部員とは次元の違う野球を身につけ始めている。でもあの二人は実力が劣るチームメイトを顧みようとしない」


「俺はいつかこうなってしまうことを懸念している。『超高校級のあいつらが試合を決めてくれるなら俺たちはやる気をだす必要なんてない』と」


「試合に出場する選手としない選手に距離感があると、いざベンチメンバーが大事な場面で出番があるときに苦労するのよ。だから距離感を埋める役割を誰かに求めた」


「それが佐山」


「俺が佐山に与えられた物語というのはこうだ」


「佐山は野球部に入りわずか数ヶ月で才能を発揮し始めた。それは堂埜監督を初めとするコーチ陣の能力の高さを意味する。みんなもマジメに練習に励めばいずれ佐山のように試合に出場して活躍することも可能なのだ、と」


「うん、我ながら詐欺っぽい物語だね。でも部員はみんな信じてるでしょ?」


「中学時代佐山が他県でぱっとしない選手だったことも功を奏した。俺は『□□県へスカウト目的で遠征し、目をつけていた佐山に対し非公式に指導していた』なんて嘘を吐いた。あいつはただうなずくだけだった」


「俺はあいつの才能を利用している……そして同学年の一選手に生徒のプライヴェートを暴露しているわけだが……」


「なぜってそりゃ、キャッチャーがチームメイトにナメられたら困るでしょ。だからこういった裏事情も網羅しておかなきゃ。キャッチャーはチームの頭脳、守備の要だよ」


「実際頭いいかはおいておいて、頭がいいとチームの面々に


「部員の前でマンガ読むなって言ったよね。成績も学年上位をキープしてもらってるし、それはこういう意味だよ。今村はピッチャーにサイン首振られるの嫌だろ? ――だよな」


「だから今日のことは内密に頼む。今日から俺とお前は共犯関係ってやつだな」

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