第一章

1. 旅の始まり

 前方から吹いた風が、髪を絡めて後ろへ吹き抜けた。

 彼は、一瞬目を閉じる。前髪を払い、もう一度、目を開ける。透明な虹彩が、光を浴びてくるりと回った。

 光が見えてくるということは、今まで歩いてきた森をもうすぐ抜けるのかもしれない。生まれて初めて故郷の国を出て、三日ほど歩いた森を、ようやく。

「風が吹いてきたね。そろそろ出られるかもしれないよ、クリス」

 隣を歩く男がそう微笑んだ。

 彼……クリスは、自分より頭一つ分ほど背丈の高い、その男を見上げる。男の肩まである長い襟足も、風に遊んで揺れていた。

 国を出て旅に出る。そう告げたクリスに、ここまで一緒に来てくれた人。

 そして。

「……もう、『帰れ』とは言わないんだね、ショウ」

 自分の“旅の目的”に、一番猛反対した人。

 ショウの表情が、優しい微笑から困ったような笑みに変わる。旅の最初、彼は何度も「今からでも旅をやめる気はない?」と言ってきたものだ。しかしクリスは断固として、引き返すことを許さなかった。

 ようやく国の人の反対を押し切って国外に出ることが出来たのだ。もう十九年──生まれた頃からの長い付き合いである──ショウの反対だろうと、意見を曲げることなどない。

(俺は、絶対にこの旅で“目的”を達成する)

 そのためならば、どんな時間が掛かっても構わない。

 どんな「苦しみ」があろうと構わない。

 揺るがない意思で、クリスは歩みを進めている。

「もうここまで来てしまったし、引き返すのも危ないからね。仕方ないから、着いていくよ」

「じゃあ、俺の『目的』に賛同してくれたってこと?」

「そうは言ってない」

 僅かに、ショウの言葉に鋭さが混じった。

 クリスは内心でため息をつく。旅には同行するけれど、あくまで目的を達成させる気はないらしい。互いに頑固だ。きっと、この道の先も、自分たちの意思が交わることはないのだろう。

 どれだけ互いを大切に思っていようと……いや、大切に思っているからこそ、か。

「でも……ありがとう」

 ふわり。

 漂ってくる柔らかいそよ風に乗せて。呟くように感謝を述べる。

 ショウがこちらに視線を向けた。クリスと同じ、透明な瞳。周りの木々の色を映し取って、淡い緑に染まっている。

「一人で旅に出ることが、危険なのは事実だ。だから、ショウがいて良かった」

 感情の籠らない、淡々とした口調。その表情にだって、あまり変化は無くて。他の人が見たならば、「感情が籠っていない」と眉をしかめるであろう感謝。

 けれど、それをしっかりと受け取ったショウは目を細める。

「どういたしまして。……ほら、森の出口が見えてきたよ。グラシアを出て、初めての街だ」

 指を差したその先で。

 こちらに放射状に延びてきていた光が、段々とその全貌を見せる。

 煉瓦の道。家々。人の営み。故郷の小国・グラシアを囲む森を出て、一番最初に辿り着く街……リヴァだった。

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