第20話 湯治

◇◇◇


 館から一番離れた場所に我が家自慢の天然温泉がある。なんと、自噴かけ流しの薬湯だ。強い酸性で湯治に適した泉質は、皮膚炎や打ち身、切り傷、火傷、疲労回復、筋肉痛、関節痛、病気回復、婦人病、健康増進、美肌の効果がある。先に浴室で身体を清め、湯浴み着を纏い入浴する為、混浴である。


 シルヴィアがルフに、熱心に温泉の魅力を語っている。


「先ずは全身を清めてから、御髪を濡らさないよう温泉に浸かりますのよ」

『人に変化した方が良いか』

「と、殿方との湯浴みは、は、恥ずかしゅうございますわ」


 両手で顔を覆い隠し、赤面するシルヴィアが、可愛くて仕方無い。付き添いのマリーは、悶絶しそうな我が身を懸命に律している。


 仲睦まじい二人を微笑ましく見守りながら、マリーは少し寂しく感じていた。


 親離れより、子離れの方が難しいのですわね。私をいつまでも幼い子どものように心配してくださるお父様とお母様のお気持ちが、よく分かりますわ。


◇◇


ナイトレイ家では専属の執事と侍女が身の回りの一切を担っている。

あるじの予定を把握し、首尾よく運ぶよう手配する。

場と相手に合った衣装を整え、身仕度を手伝う。

呼び出しには、何刻、何処であろうが馳せ参じる。

その為、主の部屋の傍に私室を与えられている。


◇◇


 シルヴィア様は真神ルフ様のご加護があるのですから、最強の護衛ですわ。侍女としてシルヴィア様のお世話は絶対に誰にも譲りませんわ。でも、お話相手はルフ様がいらっしゃる。


 マリーは、溜息を吐きそうになった。


「マリーも一緒に入りましょう」

「私は、控えておりますので、湯疲れなさいませぬよう、お気を付け下さいませ」

「分かりましたわ。ありがとう、マリー」


 シルヴィア様のお気遣いが嬉しい。


 シルヴィアの一言で、先程までの寂しさは消し飛んだ。マリーは、私ってなんて単純なのかしら、と呆れてしまった。


 マリーはシルヴィアの入浴仕度を済ませると、露天風呂を楽しむ二人を見守った。運動後なので長湯は禁物だ。風呂上がりのシルヴィアに再度、水分を補給させ、着替えを手伝う。


 ルフの方はというと、さすがは神である。ずぶ濡れだった体が一瞬にして、サラサラ艶々に乾いている。


 その光景を目の当たりにしたシルヴィアは、興奮気味に目を輝かせている。


「まあ!ルフ、素敵ですわ。魔法ですの?」

『我は真神ぞ。神力じゃ』

「では、わたくしには使えませんのね」

『我の側に居れば、浄化される』

「納得致しましたわ。道理で身体も服も綺麗なのですわね」


 マリーも、シルヴィアの服や靴が全く汚れていない事を不思議に思っていた。シルヴィアが家人を気遣い、館の外で魔法を使い、馬毛や草、土などを落としていることにも気付いている。


「もしや、ルフの入浴なされた温泉は、神水になるのではございませんか」

『・・・多少は、効能が増しておるやも知れぬ』

「ルフは、本当に、なんて素敵なの!」

「シルヴィア様。かけ流し故、既に流れてしまったのでは・・・」

「ああ。そうでしたわね。次は、瓶に掬っておきましょう」

「畏まりました」


 転んでもただは起きぬシルヴィアが大好きだ。ずっと見守っていたい。

 マリーはシルヴィア離れ致しません、と心の中で誓った。同時に、改めて、両親の存在を有り難く思った。


 御館様にお許しを請い、両親を湯治に招待しようかしら。ナイトレイ侯爵家や家人達の様子を肌で感じて頂ければ、ご安心下さるに違いないわ。


 決めたら即行動のマリーは、早速、シルヴィアに相談し、侯爵夫妻の快諾を得て、その日のうちに段取りし、両親へ知らせた。


 余談ではあるが、この知らせを受けたガルシア伯爵夫妻は大いに歓喜し、次期伯爵の兄は大いに落胆した。その兄もマリーと同じく決めたら即行動の人だ。侯爵夫妻への感謝状に添えられ手紙には、両親に先んじて視察したい旨が切実に綴らせていた。兄に好感を持った侯爵夫妻は、大歓迎して下さった。

 そして、国の医療研究機関で研究を行っている兄はハリス医師と庭師のトムに教えを仰ぎ、両親も領内に永住したいと言い出すほど侯爵一家に心酔し、なぜかしら、三人とも、ノアの事を大層気に入った。


 好機を逃さず、外堀を固めるノアである。


◇◇◇





温泉の効能等は、大分県塚原高原の【火口乃泉】を参考にさせて頂きました。

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