そらから




言葉が降ってくるのです。


と手を差し伸べてその青年は呟いた。


言葉が?


私は尋ねた。


はい。言葉が。雪のように。雨のように。


青年は曇り空を仰いだまま微笑んで言った。


今も、降っている?


いいえ。いいえ。今は、まだ。


私は首を傾げた。


それは、いったいわたくしにもみえるものなのか?


青年は宙に広げていた両手を下ろして、私の方を向いた。


世界を聴くことです、若い博士さん。


ほう。聴くとは?


ただ聴くのですよ。空気を、風を、あなたに触れていく原子の粒の無数の囁きを、広大な地球が宇宙があなたの上に圧し掛かりながら在る、そのことそのものすらを聴くのです。あなたの座っているパイプ椅子の声が聞こえますか?聴く努力をしてごらんなさい。あなたの身に纏ったスーツ、それは何と言っています?スーツの触りごこち、在り方、大きさ、その総てをくたくたになるまで見尽くし触り尽くし、その声を聴いたことはありますか?


何やらよく分からないと思ったので私はただ黙って頷いていた。


空からの言葉は聴くことを努力している人にしか分かりません。たとえ降ってきていても、理解することができません。空からの言葉を受けとめるためには、世界を聴かなければならないのです。その点、ぼくもまったくの修行不足ですよ。


青年は言った。


いや、頑張ってくれたまえよ。


私は言って、青年に握手を求めた。


曇り空から春の雨が一粒乾いた道路に染みをつくった。

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