花とスキャナー

えんしろ

断片の夏

花とスキャナー

花とスキャナー・その1

 花が見えた。

 コンクリートの壁をジグザグに駆け登る非常階段の中ほどに、大きく黒い花が咲いていた。

 咲いている、とハルカナの目には映った。花ではなくて傘だった。誰かがこの夏晴れの日に、朝顔みたいにコウモリ傘を開いているのだ。

 こうして校舎を見上げるまで、ハルカナはもう学校の敷地を二周していた。諦めかけて空を仰いだところでようやく、その花が視界に入った。見つけてしまうと、見つからなかった理由がわからなくなる、そんな存在感のある傘だった。

 そこ以外の場所があるとはもう思えなかった。

 非常階段は西日がきつい。だから皆はそこを避け、城戸好一はそこにいるのだ。


 いつもはどこにだっているというのが、城戸好一に対する印象である。

 そのあたりで仲間とふざけているはずなのに、いざ心を決めて探してみると、姿は全然見あたらなかった。今日はこっちにきていない。あっちの仲間の方にいるんじゃないのと、誰もが告げた。

 体育倉庫や理科実験室、焼却炉の裏やプールサイドやテニスコートに城戸好一の姿はなかった。

 その不在を確認してからあらためて、ハルカナは自分が城戸好一の行動パターンを全く把握していないことに気がついた。なんとなく、猫を探すようにして行き合うことができると思っていた。実際、つい先日までは、猫程度の興味しか向けていなかった。

「どこにでもいるわけじゃなかったんだ」

 と踊り場まで非常階段を上ってきたハルカナが言う。

 視線の先には大きなコウモリ傘が広げられ、階段の上りの側に持て余された足が投げ出されている。傘が動いて城戸好一の顔が現れる。ハルカナを見てわずかに首を傾げてみせると、スローモーションを錯覚させる動きで長身を隠していた傘を畳んで傍らに置き、イヤホンを外す。頭の横に浮かんでいたミュートの表示が消える。

「なに?」

 と間の抜けた問いを好一は投げる。

 踊り場の柵に背を預けた姿勢で、手にした文庫本には人さし指が栞がわりに挟まれていて、首からはネックバンド型のノイズキャンセリングイヤホンが二筋下がる。

「本なんて読むんだ」

 とハルカナは訊ね、

「そういう日もある」

 と好一は言う。文庫本の表紙には、ボートを噛み締め海へと潜る黒い鯨の姿がある。目を上げると黒い瞳がふたつ、ハルカナを映し出していた。

「もう少し楽しいかと思ったんだけど」と続けたのは、文庫本の内容ではなく、西日の差す非常階段で読書するという行為についての感想らしい。

「準備もしてきたんだけど」とクッションがわりにしていた鞄を背中から抜き、中身を探って銀色の包みをとりだす。保温シートの中からはコーラとオレンジジュースの缶が出てくる。コーラの方を無造作にハルカナへと放る。ハルカナの腕の動きが正確に缶を捉える。保温シートにくるまれていた赤い缶はまだ冷たい。礼を言い、プルタブを起こす。手に泡がつたい、あわてて舌を伸ばして受ける。

「しまった」と好一は言う。「コーラの方にしておくんだった」

「じゃあ交換」まだ口はつけてないよ、と缶を差し出すハルカナのコーラに濡れた指を見つめて、

「そういうことじゃないんだな」と好一は言う。

「で?」

 何の用件なのかと好一は問う。

「お願いがあって」とハルカナ。踊り場にわずかに残るスペースに、脚をM字に畳んで座る。ハルカナの上体が好一へ寄せられ、好一の方は動かない。二人の距離が急に近づく。ハルカナは真っ直ぐ好一の目をのぞき込み、好一はその視線を正面から受ける。

「城戸好一君」と改めて呼ぶ。

「はい」と好一。

「あなたの全身スキャンを撮らせて下さい」

 とハルカナは言う。

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