第2話 メジェドさま、勉強する

「初めまして。この度、××支社より配属になりました唐山梓です」


 初出勤の梓は自己紹介をする。

 本社により異動となり、支社に配属されることとなった。本社は県外にある。元々本社の近くに住んでいた梓は、あまり引っ越しなどをしたくはなかった。しかし、上司の命令には逆らえない。上司の命令に逆らえば、クビが飛ぶ。嗚呼、悲しき哉……と嘆いている暇はない。働くしなかいのだと、頭の中で考えながら、日にちが過ぎていく。

 働いている最中、空は紅く染まってきている。仕事もキリが良いところなので、梓は残っている社員に挨拶をして、帰ることにする。

 定時に帰る理由として、外国人留学生に日本語を教えるように乞われたからと説明した。

 実際は違う。メジェドに宿題を出している提出期限が、今日だからである。




 メジェドを梓の部屋に呼び出した。


「……人のしていることをレポートと言うのにまとめろと……?」


 エジプトの壁画のような絵。目と眉だけが袋に描かれており、頭を覆い隠すように被っている。それ以外、下は普通の男性の体。


 この男性、実は神。


 エジプト神話に出てくるシュールな神様メジェド。別名最古のゆるキャラ。不可視の神であり、人間の男性として顕現している。

 袋の下にある容姿は、乙女ゲームに出てきそうなイケメン。俳優とモデルになってもよいくらい。しかし、残念なイケメン。

 袋をとった途端に、乙女のように恥ずかしがる。感じ的には「私を抱くんでしょう!? エロ同人みたいに、エロ同人みたいに!!」と泣きながら顔を赤らめ、ふるふると震えるようなイメージして貰おう。

 そんなメジェド様は袋の目と眉で目を丸くして、驚いている。

 メジェドは人間に対して、ある程度の知識がある。とはいえ、しっかりとした常識を身に付けてほしい。まずは人間の生活模様と日本のマナーをまとめ、レポートにして出してもらうことにした。


「はい、これは宿題です。手書きで出してくださいね」


 レポート用紙とボールペンを用意すると、メジェド様は興味津々に文房具を触る。


「聞いたことはある。宿題とは自己学習の課題。レポートとは人間が調査、研究などの報告書だとオシリス様から聞いた。……しかし、現代では便利になっているのだな。昔はパピルス等は貴重であったのに、今はそこら辺にある。ペンなども文房具屋というところで購入できるのだからな」


 昔のエジプトは、紙は本当に貴重なものだった。今では大量に生産できる上に、再生紙と言うものもある。時代が大きく変わっていることを実感しているのだろう。


「A4のレポートの枚数は、四枚から五枚に期限は五日間とします。カレンダーでは、今週の金曜日です。それまでに、此処に人の事を書いてきてください」


 カレンダーを見せると、メジェドは不服そうだった。


「何故、我が宿題というものをしなくてはならない」


 嫌そうだった。メジェドは神様として、何故、人から宿題を与えられないといけないのかが、わからない様子。梓は人としての常識をつけてほしかった。

 例えば、袋とか、袋とか。メジェドは高圧的に腕を組む。


「我は神メジェド。オシリス様を守る番人で打ち倒す者の名を持つ」

「やれ」


 言葉を遮り、袋をとる。

 容姿端麗なメジェド様の顔が現れ、顔を両手で栓をして耳を赤くする。


「いやぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 男のくせに高い悲鳴をあげて、部屋に声を響かせた。





 その期限が今日。

 仕事帰りで辛いのもあるが、明日は土日で休み。ゆっくり休みながら、レポートを読もう。電車に乗って、改札を通る。駅前が目に入り、コンビニで食材を買おうと考えた。最近のコンビニは、刻み野菜やお総菜があるので助かる。篭を持って、刻み野菜と足りない調味料を買い足す。ついでに、プチご褒美として、ティラミスを買っておこう。


「…………」


 メジェド様も頑張っただろうと梓はクリームが乗っかったプリンを買い、レジに持っていく。


「いらっしゃいませ」


 梓が顔をあげると、目を丸くした。

 漆黒の髪に穏やかそうな男性。細い眉に端正な顔立ち。メジェドと同じ褐色だが、色が薄い。外人っぽいが日本語が流暢だ。コンビニの制服を着て、レジの会計をしていた。名札を見ると『シュー・ゲブ・サーデグ』という変わった名前だった。

 気になっていると「お客さま?」と声がかかる。梓は顔をあげる。男性はレジに金額を出していた。


「……何度も声を掛けましたが……どうなされました?」

「あっ……いえ! すみません!」


 ぼうっとしていたことに我にかえって、会計をすませる。「ありがとうございました」と男性はお辞儀をする。梓はそそくさとコンビニを去る。何故か、あの男性がメジェドと似た雰囲気を持っているので、帰ったら聞こうと思った。




 アパートの部屋に家に帰った。梓は食材と自分のご褒美を冷蔵庫にいれた。コンビニで買ったプリンを差し入れに渡そう。隣の部屋のインターホンを押した。


「こんにちはー。唐山梓です」


 声をかけるとドアが開いて、袋を被ったメジェド様が現れた。


「梓か。どうした」

「レポートの提出日。今日だったので、来ました」

「ふむ、終えている。入れ。飲み物を用意しよう」

「お邪魔します」


 メジェドは梓を部屋にいれる。二人は靴を脱いで、リビングでくつろぐ。メジェドは珈琲を淹れて、梓に渡す。


「人は珈琲に砂糖とミルクをいれるそうだな」


 ガムシロップとミルクを用意してくれた。「ありがとうございます」とお礼をいい、珈琲にシロップとミルクをいれる。メジェドはブラックを好むのか、袋をすこしあげて飲む。


「メジェド様は誰から人の事を学んだのですか?」

「我が主君、オシリス様だ。オシリス様は時々、人間の世界に降りては人に紛れて、人間の嗜好を楽しんでおられる。あの御方、元は人間。人間が好きなのだ」


 エジプト神話をインターネットで調べたとき、そう書いてあったようなことを思い出す。元々は、エジプトを治める王だったらしい。メジェドから話を聞く限り、人に友好的な神様のようだ。

 ……思い返せば、メジェドとオシリスが此処にいる理由は人間観察で、人間があまりにも酷い場合、人を滅ぼすという物騒なことをすると言っていた。

 その為にも、人の常識を教え込まないといけない。袋のせいで変な目で見られて、人類滅亡を決意されたら厄介だからだ。梓はコンビニでいた人物を思い出して、メジェドに声を掛けようとした時、レポートを渡される。


「レポートだ。受け取れ」


 聞く機会を失った。また、いつか聞けばいいだろう。


「はい。じゃあ、これは差し入れです」

「ふむ、感謝する」


 プリンを渡すとメジェドは礼を言い、台所からスプーンを持ってこようとする。その間、レポートを見るが。


「ぶっ」


 レポートに吹いた。内容に吹いたのではない。文字に吹いたのだ。鳥の絵と人の絵と棒のような絵と草の絵。ヒエログリフ語、いわゆる象形文字。古代エジプトで使われた文字である。メジェド様がやって来る。メジェドはわなわなと震えている梓を見て、首を横に傾げた。


「……どうしたのだ?」


 聞いた瞬間、梓はレポートを勢いよく机に叩き置いた。メジェドはビクッと震える。梓は目を完全に据わらせ、怒りで表情が歪む。上司のオシリスは何をしているのだ。メジェドの腕をつかみ、にっこりと笑う。


「ちょっと、ドリルを買いにいきましょうか……」

「ドリル……?」




 文房具屋で二百字のノートと鉛筆を買い、本屋に行き、ドリルを大量に買う。ひらがなのドリルにカタガナの漢字ドリル。

 本屋から出てくると、袋で顔を隠しているメジェド様が素顔を出している。しかし、本を買った紙袋で顔を隠している。ちらっと顔を出しては、恥ずかしがって紙袋に顔を押し当てる。


「は、恥ずかしいぃ……」

「我慢、我慢」


 アパートに向かうため、梓はメジェドの手を引いて歩く。

 ドリルというものを説明した。が、頑なに拒否をするので、メジェドの被っている袋を人質にして、本屋に連れ出した。

 素顔のメジェド様は顔を隠しながら、歩いている。端から見れば、可笑しな人達だろうが梓はそんな場合ではなかった。日本語は読めるのに、何故日本語などの文字が書けない。どんな教育をしているのだと思い、溜め息をつく。


「うぅ、我は文字を書けるのに……」

「現地の文字を書けてから言ってください」


 ヒエログリフまたは象形文字なんぞ、専門家か物好きしか読めない。

 今の時代の文字を書かなくては、意味はないだろう。周りの視線を無視しながらアパートにつくと、袋を返してもらい、メジェドは頭から袋を被る。被った瞬間、袋の表情が歓喜に満ちた。


「あぁ、やはり、これだ。これぞ、我のアイデンティティー」

「はい、とりあえず、部屋の鍵を開けてください」


 雲の隙間から、現れる光明を浴びているようにも見えた。梓は完全に無視して、メジェドに玄関を開けるように促す。メジェドはポケットから鍵を出し、開けて部屋にはいった。




 ――さっそく、お勉強タイム。

 メジェド様はひらがなのドリルを広げ、『あいうえお』の練習をしていく。梓はメジェドのひらがなの練習をしているところを見る。


「ぶっ」


 あは『安』。いは完全に()(このような括弧を丸括弧と言います)で、うは『宇』。えは『之』という漢字になっている。正解してお、だけだった。酷いというレベルではない。あとうは何故、ひらがなの元となる漢字を書いている。いは何故、()になる。何で、えが滅多に見ない漢字になる。

 書かれている文字の真似をするだけなのに、何故、ギャグの方向性が斜め上にゆく。これなら、象形文字を書かれた方が……いや、それも困る。メジェド様は自信満々に腕を組む。自分はかけていると、メジェド様は自信を持っているのだ。

 梓はふざけるなとにっこりと笑った。


「ふむ、どうだ。梓よ。書けているか?」

「最初からやり直し」


 ――あいうえおだけのスパルタ教育が始まった。




 しばらくして梓は晩御飯にカレーを作る。

 あいうえおの書き取りだけで、時間がかかってしまったので、代わりに晩御飯を作っておいた。

 メジェドは二百字のノート一冊をあいうえおだけで埋め、机に突っ伏していた。被っている袋はボロボロ。素顔が見えるか、見えないかぐらいの裂け具合。褐色の肌と綺麗な髪が袋からででいる。メジェド様から完全に生気が抜けているようにも見えた。

 何があった。


「メジェドさまー」


 肩を揺らすとメジェド様は寝息をたてていた。やり過ぎたかと思った。部屋から急にいなくなると驚くだろう。

 書き置きをして、梓は部屋を出た。




「ただいま」


 ドアを開けて、男性が帰ってくる。春物のコートに七分丈のシャツとゆったりとしたジーパン。手にはコンビニの袋を手にしいる。部屋に漂うカレーの匂いに、男性はふっと微笑んだ。


「おっ、今日はカレーだな」


 靴を脱いで、リビングにはいる。机に突っ伏して、寝ているメジェドの有り様に男性はバックを落とした。殺人現場の発見ではないが、それに近い。


「メジェド!?」


 大きな声をあげ、メジェドに駆け寄る。寝息をたてて、寝ていた。怪我がないことを確認して、胸を撫で下ろす。机に置いてある書き置きのメモに目がいった。手にして、静かに読む。


『スパルタ教育をして、ごめんなさい。代わりに晩御飯を作っておいたので、起きたら、オシリスさんと一緒に食べてください。梓』


 机に置いてある漢字とひらがなのドリル、あいうえおだけ書かれたノートを見る。男性は口許には嬉しそうな微笑みを浮かべて、メジェドを見た。


「そうか……メジェドは人間と……」


 人と交流をとったのはいいが、何が起きたのか、状況を聞きたい。男性はコンビニの袋から、デザートのロールケーキとチョコレートケーキを出して、冷蔵庫にいれた。


 働いているコンビニから、メジェドの御褒美として買ってきた。メジェドには彼に文字の読み方を教えた。しかし、働きはじめてから、文字を教える機会はなかった。コンビニのシフトの関係で教えることができなかったのだ。

 黒髪の穏やかな褐色肌の男性は、メジェドのお世話になった人間にお礼をしに行こうと考えていた。


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