西の果てに

 結衣の決闘もあったけど八時には出発や。まず目指すのは角島。ここは外せんとこや。そのために俵山温泉から県道三十八号を北上して、国道四九一号に入る。ここもバイパスが出来て快走路としてエエやろ。


 そのまま走って国道一九一号線からシーサイドロードや。竹原からずっと山の中ばっかりやったから、海沿いにしてみた。シーサイドって程やないかもしれんが、気分や。角島までナビで四十キロぐらいやから、そろそろ、


「次を右みたいだね」


 そやな。角島大橋って書いてあるからここやな。丘超えて海が見えてきたからボチボチやと思うんやけど、


「角島は左ってなってる」


 ここやろ。曲がったらひょぇぇぇ、いきなり橋か。これは橋は橋やが海上高架道路みたいなもんやな。


「この橋、気持ちイイ」


 高うなってるとこは船を通すためやろ。


「角島上陸だ!」


 てなほど感慨でんけど、橋から道路にチェンジや。


「へぇ、こんなところまで下関なんだ」


 ホンマや。合併合併の末みたいなもんやろうけど、チイと違和感あるわ。


「あれ角島灯台公園は右ってなってるけど」


 ここはあえて直進や。まっすぐ行ってもあんまり変らへんねん。


「合ってるの? 一車線半もないじゃない」


 クルマやったら来ん方がエエかもな。そやけどバイクなら余裕や。余裕は言い過ぎかもしれんが、走れる道や。これこそシーサイドロードやんか。


「灯台だ!」


 見えてからも少し距離あるな。観光客も増えて来たけど、まずこの辺に停まろか。ちょっと歩いたら夢崎波の公園や。角島の果てみたいなとこでエエやろ。もっとも英国風庭園になっとるから最果て感はあらへんけどな。


 次は角島灯台や。高さ三十メートルで花崗岩の石造りや。日本に二つしかない塗装してへん灯台やそうや。それも見どころかもしれんが、この灯台は登れるんや。


「近くで見ると西洋のお城の塔みたい」


 綺麗に石が積んであるもんな。中も螺旋の石段やな。最後はお約束みたいな梯子みたいな階段があって、


「これは絶景・・・」


 登った甲斐があったわ。角島は今もフォトジェニックな観光スポットとして知られとるが、江戸時代の船乗りのにとっても重要な島やってん。当時の船乗りは角島を越えた日本海を北前と呼んでたんや。外海になるから波も荒くなるから、ここから本番みたいな感じかな。


「西洋帆船の赤道越えみたいなもの?」


 ちょっと近いかもしれん。船乗りたち、とくに北前船ではこの先の航海の安全を祈って特別の儀式をやっとったそうや。それが角島詣りや。船の最下級船員であるカシキを褌一丁にして、船の舳先を回るともされとるが、舳先どころか、船の外側のフェンスの上を三周させたなんて話もある。


「イジメ?」


 まあそうやけど、それぐらい生死をかける海が待ち受けているの意味も重かったとされとる。でもまあイジメやろな。どう頑張って良く言うてもキモ試しやもんな。ただやけど、それぐらい厳しい航海やったんも間違いあらへん。


 北前船は蝦夷地、とくに松前と大坂を結ぶ航路の船の事やけど時代が下るほど経済性が重視された。簡単には目いっぱい積んで、出来るだけ航海日数を短くすることや。これは江戸航路もそうや。


 風帆船やからノンビリした時代は、港までの短い距離を慎重に進めとってんけど、江戸後期になるほど沖合に出て、とにかく寄港を減らしてぶっ飛ばして行ったんや。それこそ夜も航海したとされとるぐらいや。


 当時は天側での座標の確認も出来へんし、航海用の地図おあらへん。ひたすら船頭の経験とカン頼りやったとされとる。それと風帆船やから、なにをするにも人力や。わずかな休憩を交代で取りながら、ひたすら船を走らせとってん。


「何人ぐらいで動かしてたの」


 千石船で十五人ぐらいや。


「たったの」


 千五百石の船もあったそうやけど、それでも二十人ぐらいや。船の能力の限界を最小限の人数で挑むのが北前船やった気がするわ。


「そんなに儲かったの」


 儲かったから危険に挑んだんよ。当時の千石船は一隻でザックリ千両やったそうや。これはこれで高価やが、松前まで往復すれば千両の利益を得られたとされとる。


「年に二往復もすれば大儲け」


 そこまで無理や。年に一往復で船は十年持たんかったともされとる。それでも十年で九千両儲かる事になる。そやから争って北前に挑んだんや。見ようによっては一獲千金のロマンの海や。


「この角島の前で気合を入れ直してたのか。一航海千両の海だものね」


 角島から向かうの地の果てや。角島から四十五キロぐらいやから一時間ぐらいのはずや。ひたすら国道一九一号を南下するで。


「コトリ、お昼は?」


 あのなぁ、まだ早いやろ。


「朝早いじゃない」


 チイと角島で時間とりすぎたさかい、かえってちょうどかもしれん。


「川棚温泉って方に行くで」

「温泉饅頭とか」


 ちゃうわい。山口の郷土料理じゃ。


「えっ、昼間っからてっちり」


 まだ早いわ。この辺のはずやが、あった、あった。


「左側の駐車場に入るで」

「瓦そば?」


 山口の郷土料理というか、名物料理らしい。出来たんは西南戦争の後らしいが、ホンマかウソは知らん。マイは、


「ウナギも美味しそう。うな茶セットで」


 コトリらは、


「瓦そばとうなめし」


 瓦そばは瓦に乗った茶そばやけど、瓦が熱いんか。和風焼きそばみたいにも見えるな。


「底の焼けてパリパリになってるところが美味しいじゃない」


 おこげの感じやろか。うなめしもなかなかや。腹八分にしといて今度こそ西の果てに向かうで。国道一九一号に戻って鉄橋潜ったっら右折や。


「なにも書いてないけど」


 合うてるはずや。コトリを信じなさい。


「よく間違うけど」


 それやったっらユッキーが先導せえ。突き当りやけどどっちや。吉母管理場ってなんやねんそら。


「コトリ、右みたいだよ。青い看板の下にそう書いてある」


 あんなもんすぐにわかるか! 逆にしろよまったく。やっと海岸に出て来たけど、


「前に見えてる岬かなぁ」


 この辺やとは思うねんけど、道は岬の後ろに回り込む感じや。一車線半のヘアピンとは御挨拶やな。


「あった!」


 やっとか。本州最西端の地、毘沙ノ鼻、まちがいない。道は細いけど駐車場は整備されてるのが嬉しいな。駐車場から展望台まで歩きやな。


「結衣、写真を撮ってくれる。本州の四隅を制覇した記念なの」


 だ か ら、潮岬はバイクで行ってへんやろうが。それでも四隅制覇には変わりはないか。


「本当はここから見下ろしてる岬の先よね」


 そこに碑が立ってるねんけど、歩いて行っても容易に近づけるとこやないそうや。それと左側に見えるのはゴミ処理場やねんよな。


「あんまり観光地化に熱心じゃないね」


 本州最東端の魹ヶ埼はアドベンチャーやから置いとくとしても、毘沙ノ鼻は下関から萩に向かう観光地としてもうちょっとなんとかなりそうなもんやのにな。


「あれかな。北と南にはロマンを感じても、西と東はイマイチかもね」


 それはわかる気がする。テンションの度合いが落ちてまうのはある。ロケーションもそうや。北の大間崎やったら津軽海峡を臨むし、南の佐多岬は東シナ海やもんな。これが毘沙ノ鼻になると九州の東側や。大間崎と佐多岬には確実に最果て感があったけど、


「魹ヶ埼もすごいところにはあるけど、ここで地は終り、海になるって先端感が乏しいかな」


 それでも四隅制覇は楽しいで。こういうとこを目指すのがツーリングや。

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