41話 兄弟喧嘩


 党員が退避し、無人になった官邸のエントランスに足音と鼻歌が響く。鼻歌を歌う黒衣を纏った人物は、歌に合わせて楽し気に、手に持ったスポーツバッグを揺らしていた。だが大階段に技賀と二人の護衛官が現れたのを認めて、その人物は歩みと鼻歌を同時に止めた。


「こんばんわ、ヒオリくん」


 黒衣の侵入者、ステイン――ヒオリはバッグを持っている方と反対の手を気さくに上げた。


「こんばんわです! 技賀さん真面目ですね。みんな避難してるのに残業だなんて」


 ヒオリはエントランスをわざとらしく見渡してから、持ったバッグを掲げて揺らす。


「党に逆らった人造人間が、官邸ごと国を牛耳るAIをぶっ壊しにくるかもしれませんよ」

「ふふっ、ヒオリくん。私、あなたのそういう冗談、結構好きよ」

「マジすか。いやぁ、俺も技賀さんみたいな優しい人とは戦いたくないんすよねぇ」


 微笑みかける技賀に、ヒオリは困ったというように後頭部を掻いた。


「実は、ナスカから伝言があるんすよ。『お前のことは許さない。でも、お前は殺す価値もない。東京から去って二度と顔を見せなければ、命は助けてやる』ですって。いやぁ、我が国の指導者は偉大かつ寛大ですね」


 大仰な口調のヒオリに応えるように、技賀も大げさに肩を竦めた。


「そうね。でも私は退くわけにはいかない」

「そんなに独裁者になりたいんですか?」


 技賀はきっぱりと首を横に振った。


「不完全な認証しかできない神元ナスカによるイザナミシステムの運用では、同じく不完全な統治しかできない。だから完全な出力が可能なを利用し、システムを正常に動作せる。それでこの国が、国民が豊かになるのが私の願い。私に権力欲はないわ」

「AIがさらに調子乗って、もっと酷いことになるって考えはないんですかね。まっ、そこまで言うなら仕方ない」


 ヒオリはバッグを乱暴に遠くへ投げ捨てると、腰に装着したマチェットを抜いて構える。


「力づくで押し通ります」

「本当に残念よ、ヒオリくん」


 技賀は手で護衛官に攻撃を命じようとした。しかし、ヒオリの「あっ」という短い呼びかけにそれを止める。


「どうかしたの? ヒオリくん?」

「大したことじゃないんですけど、俺、技賀さんに聞きたいことがあったんですよ」

「なにかしら」

「いえね、技賀さんが20年以上前から党にいたって噂を聞いたんですよ。昔の政治家って、今と逆で歳とってないとできなかったですよね? もしかして今めっちゃ厚化粧してサバよんでます? 技賀?」


 技賀の余裕のあった微笑みは、一瞬で鬼のような形相に変わった。


「イワサク! ネサク! あの人造人間を動かなくなるまで殺し続けなさい!」


 命じられた護衛官たちは薙刀を構えながら階段を降り、ヒオリと相対する。


「お前ら、ちゃんと名前があったのかよ! 俺は勝手にこう呼んでたぜ、ウスノロとマヌケって……うおっとと!」


 技賀にしたような挑発は護衛官には効かず、戦闘AIに制御された正確無比な猛攻がヒオリを襲う。しかも、


「くそっ、熱兵器かよ!」


 回避したヒオリがいたところの石床がチリチリと焦げていた。よく見ると護衛官二人の薙刀の刀身は赤くなっている。バッテリーにより刀身を熱しているのだ。切断面を焼く得物は、熱が弱点のヒオリを無力化するには十分なものだった。


「強化外骨格に戦闘AI。それに俺特効武器。マジ詰んでるな……でもっ!」


 ヒオリは熱せられた刃の嵐を紙一重で避け続けながら、片手で拳銃を抜き発砲する。だが、それは護衛官に対してではなかった。

 拳銃の銃口は戦いを見下ろ技賀に向けられていた。技賀はヒオリの銃撃では傷ついてはないなかった。護衛官が庇っていたからだ。


「そうなるよなぁ! だってお前ら官だもんなぁ!」


 戦闘態勢から無理に技賀を守ろうとした護衛官の体勢が崩れていた。もう一人が援護をしようとするが、ヒオリはそれよりも速く、隙を見せた護衛官の装甲の隙間にマチェットを突き入れた。

 戦闘AIは万能ではない。効率的に使用するには、戦闘目的に応じて、動きを特化させる必要がある。戦闘が想定され、実際そうなった官邸護衛官たちの戦闘AIは、要人警護に特化され、あらゆる動作は対象の護衛に優先される可能性がある。と、アンネが嫌々ながら提供した情報を元に、ヒオリは護衛官の隙を突いたのだ。


「人造人間が止まったわ、早く殺しなさい!」


 技賀はヒステリックに叫ぶが、もう一人の護衛官もヒオリの背後で動きをピタリと止めていた。


「『いつかお前の紡ぐ糸は、獲物を捕らえることだろう』」


 ヒオリが詩を引用すると、止まってしまった護衛官の強化外骨格の隙間から、銀色の雫がいくつも落ちる。

 それはよく見ると水滴ではなく、銀色の小さい蜘蛛たち――融解蜘蛛メルトスパイダーだった。密かに戦闘中にばらまかれた蜘蛛たちは、護衛官の強化外骨格を機能停止させるという役目を終え、攻撃した護衛官同様、エントランスの冷たい床の上で死体のように動かなくなった。


「ナイス、蜘蛛ちゃんたち」


 ヒオリは護衛官からマチェットを引き抜くと、崩れ落ちる巨体を通り過ぎ、技賀の方へ歩む。


「さぁて、技賀おばあちゃん。お仕置きの時間だ。俺はレディには優しいから、お尻ぺんぺんで勘弁してやるよ」


 しかし、ヒオリは歩みを止めた。技賀は護衛が倒れたにも関わらず、平然としていて、落ち着きを取り戻しさえある。


「ありがとうヒオリくん。でもその優しさはに向けてあげて」


 技賀の言葉の意味を咀嚼することにヒオリは気を取られ、背後からの殺気に気づくのが僅かに遅れた。


「――っ!」


 ヒオリは自分の首をはねようとする薙刀をすんでのところで回避する。致命傷は避けられたが、仮面に刃があたって壊れ、右目が露出する。


「兄弟って、そういうことかよ」

「感動の対面ね」


 薙刀を振るったのはヒオリが刺殺したはずの護衛官だった。出血は止まっており、平然と立っている。

 もう一人の護衛官も機能停止した強化外骨格の部位をパージしながら、再度立ち上がる。外骨格が剥がれ、見えた護衛官の腕や足は人間としてはあり得ないほどに肥大化していた。


「この二人は、あなたより前に作られた不死身の人造人間の試作型プロトタイプ。各種薬物投与や手術による身体強化がされてる。強化外骨格や戦闘AIが無くとも、あなたより戦闘力は上。痛覚や交感神経にも調整が入っているから、痛みや笑警棒ラフスティックにも耐えられるわ」


 じりじりと後ずさりして、復活した護衛官から距離を取ろうとするヒオリ。技賀はそれを見て愉快そうに笑った。


「本当はあなたもこうなる予定だったけど、理日田がイザナミシステムの提唱した制度を盾に横やりを入れてきて、そうできなかったの」

「……理日田のおっさんにハグとねちっこいキスをしたくなってきたぜ」

「それは無理ね。あの男もこの騒動が終わったら反逆者として殺すわ」

「どの口が言うんだ、まったく……」


 ヒオリは同族たちを視線に捉えたまま、マチェットと拳銃を構え直す。


「お兄ちゃんたち。いや、お姉ちゃんたちか? どっちでもいいや。生まれて初めての兄弟喧嘩だ。お手柔らかに頼むよ」


 懇願は聞き入れられず、猛獣のように突進してくる護衛官に対し、ヒオリは拳銃を連射した。

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