25話 BIG SISTER IS WATCHING YOU
「ライナぁ。りんご、ウサギさんにして食べさせてぇん」
真っ白い医療用ベッドの上で赤ん坊のように口をとがらせるヒオリを、ライナは無表情で見返す。
「お手々うごかねぇんだよぉん。あーんして、あーん」
「ほら」
「おいおいおい。りんごそのまんまだし今ジャケットの汚れた部分で拭いてから置いただろ。ばっちぃ!」
「この汚れはクリーニングで落ちなかったあんたの血なんだけど」
「……さーせん」
「あと、手の神経は戻ったって草間さんから聞いてるから」
「そーでしたか、たはは」
ヒオリはシーツの上に置かれたリンゴを再生されきった右手で掴んで口に運んだ。
ラスコーの襲撃から2週間がたっていた。ヒオリは瀕死の重傷を負ったものの、
「てか真面目な話、体は大丈夫なの?」
「おう、問題なし。最近働きづめだったから、ゆっくり休めて良いくらいだ。日光浴最高」
ヒオリの休むベットは美術館の中でも日当たりのいい位置に置かれていた。本来であれば再生するところを見られないように隔離するべきなのだが、ヒオリが居心地のいい環境で過ごせるよう、草間が理日田にかけあったことをライナは知っている。
「退屈しねぇくらい見舞いの品もあるしな」
ヒオリの視線の先をライナも見る。そこには色とりどりの花。ライナが一度も食べたことのないような高級果物の盛り合わせ。最新のゲーム機と多数のソフト。ヒオリの好きな出版社のライトノベルの新刊が山のように置かれていた。これらは全てナスカからのお見舞いの品だった。
「こんなに寄越されても、病み上がりだから困るっての。全く酷い独裁者だ」
「そうね。ナスカは変わりなかった?」
「んぁ? あいつはここに来てないぜ。技賀さんが代わりに持ってきてくれたんだ」
「……あっそ」
「あんだけ学校にいたんだ。公務がたまって忙しいんだろ」
「こんなクソな国のために、働かなくてもいいのに」
顔を歪めて言葉を吐き捨てたライナ。ヒオリは否定も肯定もせず肩を竦める。
書記長視察という名目のナスカの学校編入は終了していた。視察が終わったのはヒオリの言う通り、公務に戻るためでもあるが、その実、ラスコー襲撃による保安上の問題によるところが大きかった。
各種報道規制も行われた。あの日ラスコーが現れたのはナスカを狙ってではなく、無作為に選んだ学校を狙ったとされた。ステインと徒党を組んだラスコーは自爆テロを敢行するも、神元ナスカ書記長の聡明な判断と現場での陣頭指揮により奇跡的に犠牲者ゼロ、というカバーストーリーが各メディアで報じられている。ライナの学校には当日起きた内容について他言しないよう箝口令もだされた。
関連して起こされたと思しき都内の混乱も未だに収まっていない。各省が責任を押し付け合い、インフラの復旧は遅れている。それらの調整を行うため、ナスカが特別法案の成立を目指している、という話はゴシップサイトでも噂されている。だがライナはそのゴシップのさらに裏まで知ってしまっている。つまりナスカは大人たちと、テロリストの尻ぬぐいを、地下のおぞましい機械に繋がれることでさせられているのだ。
「知ってること全部ぶちまけて、全部ぶっ壊してやりたい」
「ひぃ、やめてくれぇ、まだ国に消されたくねぇ」
ヒオリはわざとらしく体を強張らせる。
「てか、ライナこそ学校はいいのか? 見舞いは嬉しいけど、いま午前10時だぜ、月曜日の」
今度はライナが演技がかった仕草で自分の肩を抱く。
「テロリストが来たのよ? 怖くて学校なんか行けないわ」
「本心プリーズ」
「私とナスカを見殺しにしようとした連中と同じ空間にいるのが耐えらんない。次あいつらに会ったら間違いなく殺す自信がある」
「そっちはぜひやって欲しいな」
ケラケラとヒオリは笑う。が、少ししてその笑顔は消えた。
「あの日のことさ、いろいろ考えたんだ」
ヒオリは食べかけのリンゴに視線を落とす。
「異変に気付いたとき、ナスカのそばから離れなかったほうが良かったんじゃないか。狙撃銃で手っ取り早くラスコーを狙撃すればよかったんじゃないか、とかさ」
小さいため息をついてヒオリは続ける。
「でも装備が無けりゃ俺がいてもナスカは守れなかったし、狙撃が成功してもリーダーのいなくなった連中がみんなに何するか分かんなかった。結果的にライナにナスカを守ってもらって正解だったんだ」
ヒオリは視線を上げてライナをまっすぐ見た後、頭を下げた。
「殺すくらい嫌いなのに、ナスカを守ってくれてありがとう。それと、ごめん」
「ジャケットの汚れは気にしてないから」
「そうじゃなくてさ、ここに初めて来たとき『ステインに助けられても何もしない』って言って」
そんなこともあったとライナは思い出す。色んな事が起こりすぎて、ずいぶん昔の出来事のようにライナは感じた。
「ライナくらいガッツのあるやつなら、あの後もアナキストとして行動を起こせてたと思う。マジですごいよ、テロリスト焼き殺そうとするとかさ」
「必死だっただけ。それに――」
「それに?」
ナスカはもう嫌いじゃない、と言えるほどまだライナは素直にはなれなかった。
「これが私の『クソな』仕事だから」
「うーん、いつだか言った気がするセリフ。でもそっちの方が好きだぜ、相棒」
ヒオリが突き出した拳にライナも拳をぶつけて返した。
「じゃ、そろそろ帰るわ」
「えーどうせ学校行かないなら、もうちょっといろよぅ。一緒にゲームしようぜ」
「色々やることあんのよ」
「色々ってなんだよー……ってあ! 俺のりんごとってくなよ! まだ食ってたのに!」
ライナはヒオリの手から奪ったりんごにかじりつきながら、もう片方の手で中指を立てる。ヒオリの抗議を背に浴びながらライナは美術館を後にした。ヒオリに言った通り、ライナにはやるべきことがあった。この国に弓引くことはまだできないかもしれない。だが、自分が修正できる範囲の過ちに何もしないほど、ライナは我慢強くなかった。
◆
官邸内の大会議室では月に一度の対面での定例会議が行われていた。
「えーでは、次は先日で被害を受けた交通インフラへの復旧予算についてですがー」
各省の長官が報告という名の稿の読み上げを行っている中、報告を受けるナスカは心ここにあらずと言った具合で、何もな空間をぼうっと見ていた。
大好きなヒオリといつも一緒にいるライナが羨ましかった。いつも読んでいる恋愛小説みたいに、学校で過ごしてみたかった。だが自分がそれを望んだせいで、平和な日常を乱し、ヒオリに深い傷を負わせてしまった。事件から時間は経ったがナスカの罪悪感は増す一方で、ヒオリに合わせる顔もなく、かといって切り替えて公務に専念できるわけでもなく、ただ哀しさと虚しさを抱えながら過ごしていた。
「書記長、失礼します」
ナスカの背後に控えていた技賀が会議進行の妨げにならないよう、小さくナスカに耳打ちする。
「わ、ごめん。ちゃんと聞くから」
「いえ、そうではなく」
技賀は会議室にいる他の長官たちに見えないよう、自身のリストで小さく映像を表示する。技賀が見せたのはライブ映像で、官邸のエントランスの様子が写されていた。広いエントランスには二人の守衛に腕を掴まれながらも、鬼のような形相を浮かべながら押し入ろうとするライナがいた。ライナの口の動きをカメラが読み込み、
ナスカをだせおんどりゃ
はなせぼけかす
あいつをださないとここももやすわばかやろう
「恐れ入りますが、ご対応願えますか? 官邸が灰になるのも、書記長のご友人が国家反逆罪で逮捕されるのも、あまり見たくはありませんから」
技賀は困ったような、でもどこか楽しそうに目を細めて首を傾げた。
◆
ナスカはエントランスに続く大階段を駆け下りながら叫ぶ。
「守衛さん、その子を離してあげて!」
「書記長、しかし、荷物の中に火炎瓶が」
「大丈夫だから、持ち場に戻って!」
床にライナを押さえ込んでいた守衛は怪訝そうにナスカを見たが、すぐにライナの拘束を解いて敬礼した後に持ち場に戻った。ライナは無言のまま立ち上がり、乱れた髪を手櫛で整える。
「ら、ライナぁ、急に来てびっくりしたよぉ」
ナスカは曖昧な笑みを浮かべながら不機嫌そうなライナに近づく。
「ごめんね、いま会議中で……もう少ししたら終わるから、その後またお茶でも――」
何かを誤魔化すようにしていたナスカの言葉はライナがナスカの胸倉を掴んだことで遮られた。
「ひっ」
短い悲鳴を上げたナスカの小さい体はライナに掴まれたことでつま先立ちになる。それをナスカの背後で見ていた強化外骨格を着た護衛官二人がライナを排除しようと踏み出すが、共に控えていた技賀がそれを手で制した。彼女たちは大丈夫と言うように護衛官に頷いてみせる。
「あんたが居所が悪くなって学校に来なくなるのは別にいい」
いつも言いたいことは大きな声で言うライナには珍しく、低く、静かに言葉を紡ぐ。
「私が学校であんたのシンパとか言われるのもどうでもいい」
「ら、ライナ……?」
ナスカはいつもと違う様子のライナにただ困惑して目を震わせた。
「でも、あんたが。神元ナスカが私の相棒に顔の一つも見せないのは絶対に許せない」
ライナの表情はぱっと見て怒っているようには見えない。だがナスカを掴む拳の震えが確かな怒気を持っているのをナスカははっきりと感じた。
「あんた、あいつが好きなんでしょ。無理してでもあいつと一緒にいたいんでしょ。それなら、最後までちゃんと一緒にいなさいよ」
「……ボク、ヒオリのそばにいていいの?」
「当たり前でしょ。あんたがこの国で一番偉いなら、守ってくれた奴に笑顔のひとつでも見せてお礼を言いなさいよ」
相棒が恐らく一番望んでいるものを、アナキストは国家元首に迫った。ナスカは目を伏せ頷く。
「ごめん、ライナ。ボク、ラスコーのせいで弱虫になっちゃってた。この国で一番偉い人がテロに負けちゃだめだよね」
ライナが手を離すと、ナスカが元気よく控えていた技賀たちの方へ向き直る。ナスカの顔に憂いはなく、瞳にはいつもの輝きが戻っていた。
「技賀! ボクたちのダークヒーロー、ステインのお見舞いに行くよ! 彼には早くケガを治してもらって、ボクをさらいに来てもらわないと!」
「ええ、分かりました。では会議後のスケジュールを調整しますので……」
「ううん、今行く! すぐに!」
「ええっ?! まだ会議は途中なんですよ」
「このお見舞いは国の最重要案件だ! さぁ行こう!」
ナスカは護衛官を引き連れ、その場から颯爽と去る。
「しょ、書記長~!」
涙目で技賀がナスカを追いかける。その技賀と入れ替わるように、一人の男性がライナの方へ歩いてきた。
「きみが軽率に官邸に来てもらっては困るんだがな」
先ほどまで会議に参加していた理日田がライナの前に立ち見下ろす。
「知ったこっちゃないわ。というか丁度良かった。あなたにも用、ありますから」
ライナは自分のリストを振って理日田のリストに書類を転送する。それは特広対の『特殊広報活動』を行うための申請書だった。
「鍵巣はまだ回復中のはずだが?」
「ええ、だがら私一人でやる」
「広報活動のは君たち現場の人間が実施の可否を決めるわけではない。ヨシュクシステムは現在復旧作業中で効果の確認できない活動は認められない」
「許可がなくても私はやる。余計な書類仕事がしたくなきゃ、今、判を押してください」
冷たい口調にも退かず、あまつさえ脅迫をするライナに、理日田は折れ、肩を落とした。
「許可したとして、何をするつもりだ」
「決まってるでしょ。この国の最高指導者がバカにされた、しかも学校でね」
ライナは着ているフライトジャケットには新しく作られたワッペンがいくつも貼られていた。赤い線の鳥、武装したガネーシャ、火炎瓶。ライナにとってはどれも大切な意味のある絵柄だった。
「学校で先公やシャバい連中にナメられたらやることは一つ」
ライナは右肩を突き出す。そこには金色の瞳が描かれたワッペンが貼られていた。
「お礼参りよ」
◆
翌日、ライナとヒオリの通う高校では、朝のホームルームの時間にも関わらず、生徒たちが教室に入らず廊下で不安げに教室の中を覗き込んでいた。
「お前ら何してんだ~」
「あっ、先生、これ」
生徒の一人が教室の電子黒板を指さす。
「なんだぁ、またテロリストでも――」
言葉を失った教師の視界に入ったのは巨大な瞳だった。
黄金色に白いまつげがそえられた、美しくもどこか冷たい印象を感じさせる左目――神元ナスカと同じ色の瞳が電子黒板に描かれていた。
「ったく、誰のいたずらだこれ。ホクサイ【黒板内の画像全消去】」
『画像はありません』
「なんだ、バグか?」
教師は黒板の前に立つと直接操作のため、黒板の上の瞳に指で触れる。そして、異変に気付いた。
瞳の描かれている部分と、そうでない部分の黒板の質感が違う。つまり、この巨大な瞳の絵がホクサイによるものではなく、実際に描かれたものだということを表していた。
「ひぃっ」
怯えた教師は後ずさって教卓に腰をぶつける。テロリスト襲撃の件があったばかりだというのに、今度は学内で、禁じられている絵が描かれた。どんな咎めがあるかしれなかったし、そこの絵と添えられたメッセージの内容も理解不能で恐ろしかった。
学校のほぼすべての教室に描かれた、ステンシル技法で描かれた金色の瞳の下には、血のように赤く太い線でこう書かれていた。
BIG SISTER IS WATCHING YOU
と。
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