15話 見えない星
「ねーまだー?」
「もうちょいだから」
金曜日。ナスカはヒオリの手で目隠しをされながら放課後の校舎を歩いていた。
「到着だ。ライナ、代わりにドア開けてくれ」
「ん」
ドアから流れ込んでくる外気が、ナスカの頬を撫でる。
「さぁ、ご覧あれ」
ヒオリが手を離す。目の前の光景にナスカは目を輝かせた。
「すごい、屋上のキャンプ場だ!」
三人は校舎屋上に足を踏み入れていた。既に日は沈み辺りは暗いが、街の明かりが屋上に設置されたテントや焚き火台を照らし出していた。
「どうしたのよ、この道具は」
「野外サークル部の連中から借りてきた。こう見えて顔が広くてね」
「ヒオリ、屋上は入っちゃダメなんじゃなかったの?」
心配そうに見上げるナスカに、ヒオリはウインクで返す。
「先生方にこの甘いマスクで微笑んだら、あっさり許可をもらえたぜ」
「ヒオリは本当にモテるんだね。ボク心配になっちゃうよ」
大方、ナスカが入りたがっていたことを伝えて、怯えた教師たちから鍵を奪ってきたのだろうが、面倒くさいのでライナは突っ込まない。
「さぁ、キャンプ飯といこうぜ」
「わぁい! 何食べるの?」
「聞いて驚くな独裁者。なんと本格インドカレーをご賞味いただくぜ」
「サンドイッチもまともに作れないあんたがカレーは無理でしょ」
ライナの毒舌にヒオリは舌を鳴らし、持参したクーラーボックスから、真空パックに詰められた食材を取り出す。
「既に草間さんにお願いして、野菜と肉はカット済み。スパイスも適量で準備してもらった。あとは水を測って鍋にぶち込むだけ。チャパティは家庭科室のレンジでチンするだけだし、失敗しようがねぇ」
「カレー、カレー、ヒオリの作ったカレー」
調子よく体を揺らすナスカ。ヒオリは自信満々にサムアップをし、早速準備をし始める、が、すぐにその動きは止まった。
「ら、ライナさぁん?」
「なに? 忘れ物でもした?」
「あの、これをお願いしたくて……」
ヒオリは恐る恐るライターをライナに差し出す。
「代わりに火、焚き火台につけてぇ」
「は? そのくらい自分でできるでしょ」
「いや、火傷すんのめっちゃ怖くて」
「不死身のヒーローがちょっとの火傷にびびってんじゃないわよ!」
「だ、だってぇ、火傷はすぐ治らねぇから怖いんだよぉ」
「ダッッッサ」
ライナは震えるヒオリを見下しながら、ライターをヒオリの手からひったくった。
◆
カレーは無事に出来上がり、辛味で舌を刺激させつつも、文化祭準備で疲れた三人の胃を満たした。
その後もお泊り会は続く。焚き火台の炎に照らされながら、ヒオリとナスカがでたらめに踊ったり、ヒオリが持ち込んだボードゲームを楽しんだり、そのボードゲームのカードが風に飛ばされて全員で屋上を右往左往したり。
非日常を楽しみつくしたナスカは、すぐに眠気が来たようで、9時過ぎにはシートの上に座ったヒオリに体を預け、彼の胸の中で眠り始めてしまった。
「ところでさ、ライナはなんで絵を描こうと思ったんだ」
ヒオリはナスカを起こさないよう、隣に座るライナに小声で尋ねた。
「急になによ」
「いやぁ、青春っぽいじゃん、こういうこと話すの。聞かせてくれよぅ」
うざったいヒオリにライナは顔をしかめたが、場の空気が彼女の少し偏屈な心を緩めたのか、ライナは遠くを見ながら口を開いた。
「二年前にさ、母方の叔母さんが死んだんだ」
「悪いこと聞いたな」
「いい。その叔母さん、気難しい人でさ。男物の服着て、いっつも怒ってた。正直あんまり好きじゃなかったし、最初は病気で死んだって聞いてちょっと安心してた」
両親の顔は時々忘れそうになるのに、ライナは叔母がいつもしていた不機嫌そうな顔を今でも鮮明に思い出せた。
「叔母さんが死んだとき、長野のにあった叔母さんの家の片づけを手伝ったんだ」
「えらいねぇ」
「そこでさ、このジャケットと、画集を見つけたの」
「それって、ホクサイじゃないやつ?」
ライナは頷く。今でも忘れられない。画集の表紙に書かれていた、輝く赤色の体表をした、堂々たる美の化身の絵を。
「すごく、すごくきれいだと思った。変な話だけどさ、これが私の目指すべきものだって、思っちゃったんだ」
ただ見たものが綺麗で、そういうものを自分も生み出したいと思ったから。それ以上の理由はライナにはなかった。恐らく叔母も絵を、芸術を愛していた人なのだろう。それが奪われて、否定されて、いつも怒っていたのだ。あれ以来、叔母同様に怒りっぽくなった自分を自覚して、ライナは叔母の苛立ちの源泉を理解した。
「あの日の自分に腹が立つ。画集、浄火省の役人にジャケットから剥がしたワッペンと一緒に渡しちゃったこと、ずっと後悔してる。もう一度見たいのに」
「党のデータベースにはなかったのか?」
「見つからなかった。絵は覚えてるのに、タイトルも、書いた人の名前も忘れちゃったから探しようもない」
だけど、と続けてライナを決意表明をする。
「私は絵を描く。私が見て感動した絵を描いた人がしたように、私も時代とか、世間とか、そういうのを越えて、絶対的に美しいと思われるものを、感動できるものを、ホクサイじゃなく自分の手で誰かに届けて伝えたいの」
「かっこいいなぁ、俺の相棒は」
ナスカが寝返りを打つ。彼女の首の後ろの金属部品が焚き火の炎を反射して輝いた。ヒオリはナスカの髪を動かしそれをさりげなく隠す。ライナもヒオリに聞きたいことがあった。
「……そいつの首の後ろのやつのことだけど」
「知ってる。てかライナに話したって技賀さんから聞いた。ったく、国家機密をべらべらしゃべりやがって」
ヒオリはナスカの髪を優しく撫でる。ヒオリがナスカに自分から触れているのを、ライナは初めて見た。ライナは数日前の疑問をぶつける。
「ねぇ、あんたはこいつのことどう思ってるの?」
「どうって?」
「あんた、こいつに『さらってやる』って言ったんでしょ。それって本気なの?」
ヒオリがそれを仕事の一環で言ったであろうことは、ライナも理解していた。しかし、彼の言葉がどんな罵りや悪態よりも残酷だと憤ってもいた。仄暗い地下で、機械に繋がれた少女に『ここから連れ出してやる』と嘘をつくことが、どれほど惨いことか、ライナは相棒に理解してほしかった。
「今は言いたくねぇ」
「私は正直に話した。今度はあんたの番よ」
はぐらかすヒオリの態度に対し、ライナの声に怒気が籠った。
「それとも復讐でそう言ったの? 自分と違う扱いだから、自分が戦わされてるから、叶わない夢を見せて、苦しめてやろうって」
「んなわけねぇだろ」
今度はヒオリが声に鋭さを含ませ、ライナを睨む。が、すぐに眉間のしわを消した。
「ナスカは、ナスカなりに誇りをもって仕事してる。いつかはシステムに頼らず、国を治められるよう、必死で今できることをやってんだ」
「誇り? バカ言わないで」
声量があがっていくライナに、ナスカを起こさぬよう静かにとヒオリは人差し指を立てるが、ライナは止まらなかった。
「あんた、こいつがシステムに繋がってるとこ見たことあるの? あの部屋に誇りなんてものはない。人間の尊厳を破壊する、ただの拷問部屋よ」
「少なくとも、ナスカから『助けて』と言われたことはねぇ。助けを求められてねぇのに、手を差し伸べるのは失礼だろ」
「でも、言えないだけだとしたら? 声にならない叫びで、助けを求めてるとしたら」
「……俺が偽物のヒーローなの忘れてるぞ」
なぜ自分は半月前まで憎み、あまつさえ殺そうとしていた相手のために言葉を尽くしているのだろうか。ライナ自身、自分の口が発する言葉に驚いていたが、それでも訴えずにはいられなかった。
「助けてやってよ、私にしてくれたみたいに。偽物でもヒーローなんでしょ」
ヒオリは目を伏せ、しばらく黙りこくってから、弱々しく言葉を紡いだ。
「もし、もし俺が間違っていて、ナスカが助けを求めてたら……その時は、俺が再生しなくなるまで蹴り飛ばしてくれ。んでもって、お前が代わりに助けてやってくれ」
いつも快活に振舞うヒオリからは想像できないくらい、悲しい笑顔がライナに向けられた。
「アナキストなんだろ。頼むよ」
「……自分でやれ、バカヒオリ」
互いに視線をそらす。ライナは焚き火を。ヒオリは夜の空を見る。
「あーあ。星が見えたら最高のシチュなんだけどなぁ」
「都内で星が見えるわけないでしょ、バカ」
少しの気まずさと、ナスカの寝息と共に、文化祭前日の夜は過ぎていった。
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