11話 二人で居眠りしちゃおっか
火曜日の朝。ライナとヒオリのいるクラスの面々は、入学史上体験したことのない緊張感に包まれていた。誰一人として私語をせず、目を伏せ、唾を飲み込む音がすることさえ躊躇していた。それは生徒だけではなく、教師も同じで、このクラスの担任である細身の男性教師は震える声で朝のホームルームを始めた。
「きょ、今日は皆さんに喜ばしいお知らせがあります」
担任は必死に笑顔を作ろうと顔を引きつらせる。今から担任が言おうとしていることは昨晩の内にクラス中で共有され、皆も知るところであったが、先方の希望により担任はクラスの皆がそれを知らない体で話をしなければならなかった。
「わ、我が校は党による視察をしていただけることとなりました。そして、このクラスは学校の栄えある代表として、書記長閣下直々に皆様の学業に励む様子を見ていただけるのです!」
教室に設置されたスピーカーからファンファーレが鳴り始め、教室のドアが開かれた。それと同時に教室内にいる生徒たちが、打ち合わせどおり一斉に起立し、拍手をし始める。ライナは周りから浮かないよう、小さく手を叩いていたが、ヒオリは叩くフリをして、前の席の生徒の背に隠れるように背を丸めていた。
打ち鳴らされるの拍手の雨の中、背の小さい白髪の少女が教室に入ってくる。
高校の制服に身を包んだ神元ナスカは電子黒板の前に立つと、不満げな視線を担任の教師に向けた。
「ねぇ」
「は、はい、なんでしょう書記長!」
ナスカは目の前の生徒たちを指で指す。
「これ、不快だから今すぐやめさせて」
「申し訳ありません! 全員拍手を止めてください! 着席!」
「あと、このうるさい音楽も止めて」
「た、ただいま!」
いつもねちっこい説教をする担任が、遥かに年下の少女にへこへこ頭を下げ、放送室の教員にリストで音楽を止めるよう舌を噛みながら説明する様子は滑稽で、席に座るライナは意地悪く笑みを浮かべた。ヒオリは机に顔を突っ伏していた。
ファンファーレが鳴りやんでから、ナスカは電子黒板に自分の名前を書き込んで、生徒たちの前に輝く金色の瞳を向ける。
「初めまして。今日付けで転入した神元ナスカです。自慢ではありませんが、政権運営が得意です。慣れないこともあると思うけど、これからよろしくお願いします!」
共和国の最高権力者は15ないし16歳の少年少女たちにぺこりと頭を下げた。教室のほぼすべての人間が呆気にとられる。独裁者の行ったそれは、セリフの一部がおかしいものの、よくある転入生の一般的で平凡な挨拶だった。
「で、では書記長。視察用の席があちらに……」
担任が教壇の横、窓際に設置した席を指す。そこにはこの学校内で恐らく最も座り心地が良いであろう、校長室の校長専用の椅子が、急遽設置されていた。
「え、やだ」
「なっ……申し訳ありません書記長! すぐに替えを用意しますので――」
「そうじゃなくて席の場所がいや。ボク、ヒオリの隣の席が良い」
クラスにいる生徒たちが一斉にどよめき、彼らの視線がヒオリに集められる。
「アー、政府のボランティア活動でお会いしたのを覚えていただけていたとは光栄だなぁ」
ヒオリは虚ろな顔を上げ、抑揚のない声で皆が抱いているであろう、何故、書記長に名前を知られているのか、という疑問に嘘で答えた。
「あ、あと、もう一方の隣はライナがいい!」
「は?」
クラスの視線が今度はライナに集められる。
「あ、えっと、その、ちがくて」
自分に矛先が向くとは思っていなかったライナはしどろもどろになってしまう。
「せ、席替えを実施します! 皆さんてきぱきと動いて!」
「席、前のほうが良いかなぁ。ボク小さいから後ろだと黒板見れないから」
国家元首の要望に応えるべくあっという間に教室の席配置が変えられる。最前列の席にナスカ。その右にライナ、左にはヒオリが座る形となった。
「えへへ、二人ともよろしくね」
ナスカはヒオリとライナをはにかみながら交互に見る。
「えと、その、あーっと」
クラスメイトや教師の目が向く中、ライナは思わずナスカを通り越し、ヒオリに視線を向ける。ヒオリはライナを鋭く睨みつけ、
『だからいっただろ』
と、口パクで答えた。ヒオリはナスカが自分の方を見る前に、ナスカの名前が書いてある電子黒板の方へ顔を向ける。
「で、では私は他のクラスの授業があるのでこれで!」
担任は手早く自分の荷物を持つと、逃げるように教室から去った。
「ねぇヒオリ。朝のホームルームってこんなに短いの? 小説とかドラマだと、先生がお説教とかしてたよ」
「さーどーなんでしょーねーうちのクラスはみな、ひんこーほーせーですからねー」
「ふぅん」
担任の不可解な行動をナスカは深く疑問に思わなかった。代わりに、ナスカは机をずらし、ヒオリの机にぴったりと寄せる。
「あのねぇヒオリ? ボクねぇ、教科書忘れちゃったんだぁ」
ナスカは猫なで声を出しながら、ヒオリの体にすりよる。クラスの誰もが黙っているが、ナスカの行動にみな無音でどよめいているようにライナは感じた。
「ヒオリの教科書見せて欲しいなぁ」
「すみません、おれもきょうタブレットわすれてきちゃったみたいでー」
「じゃあ二人とも授業受けられないね。困ったなぁ」
言葉ではそう言うが、ナスカは嬉しそうで、机にペタンと両腕を置き、その上に頭を乗せた。
「じゃあ、二人で居眠りしちゃおっか」
居眠りの体勢のまま、ナスカはヒオリに微笑む。しかしヒオリの表情は古代ローマの彫像のように固く、動かなかった。
◆
「ふっっっざけんな! すぐあいつを永田町に帰らせろ! すみやかに! いま! ナウ!」
約50分後の休憩時間。朝とは打って変わって、ヒオリは阿修羅像のように顔を険しくしていた。学校の外に出ている非常階段の踊り場で発せられたヒオリの叫びは秋空に虚しく消えていく。
「改めて任務について伝える」
「人の話を聞けや、このハゲ!」
リストでテレビ通話中の理日田長官にも、ヒオリの必死の訴えは届いていなかった。それでもヒオリは声を上げる。
「俺やライナには築き上げてきたイメージってものがあんだよ! あいつが公衆の面前でいちゃついたり、名前をフツーに呼んできて、クラスの連中に言い訳するのにどれだけ苦労するか分かってんのか!?」
「番櫛くんはともかく、君の高等学校への通学は、あくまで君の仕事の一部でしかない。本件はそれに優先される」
「答えになってねぇよ!」
ヒオリはリストを着けた左腕をブンブンと振った。
「それだけじゃねぇ。俺やライナの政府との繋がりが皆にバレたら、特広対の存続に関わるんだぞ!」
「それに関しては技賀補佐官を通して、口外しないよう書記長閣下に伝達済みだ」
「口約束じゃ心配だっつってんだよこっちは! 今すぐ視察、というかあいつのワガママを止めてくれ!」
「それは無理だ」
理日田の映る画面が縮小され、代わりにニュースサイトが表示された。
『神元書記長、学業に励む若人を激励す』
見出しにそう大きく書かれたページには、高校の制服に身を包んだナスカが官邸から出て、記者に手を振る様子の動画も添付されている。
「今般のラスコーによるテロ攻撃を受け、テロで不安な思いをしている若者たちに寄り添い、彼らを励ますというのが今回の視察の趣旨になっている」
「こじつけだろうが。ラスコーが捕まってねぇのに、ナスカをこんなセキュリティゆるゆるの公立高校なんかに来させられねぇよ」
「それは私も同意見」
ずっとヒオリの横にはいたが、普段見られないヒオリの剣幕に押され、口を噤んでいたライナがようやく口を開いた。
「うちの学校、今週末に文化祭があるんです。生徒の親もだけど、他校とか地域の人も来ます。その中にラスコーがいないとは限らない。神元ナスカが文化祭の時もいるっていうなら、あまりに危険すぎますよ」
「ほらぁ! 暗殺未遂犯のライナ様が言ってるんだ! 考えを改めろおっさん!」
理日田は執務室の机を指で苛立たし気に叩く。
「既に学校の周囲に治安省特殊部隊のエリートを護衛として配置している。テロリストの襲撃は防げると考える。君たちは万全を期すため、学内で書記長閣下の護衛にあたれ。それが君たち特広対に与えられた最優先任務だ」
「ざぁんねぇん。俺たちは特殊広報対策室ですぅ、要人警護は広報活動にあたりましぇん。とっぴんぱらりのぷぅ」
「先に伝えた通り、既に今回の視察は全国区のニュースになっている。そのため護衛も広報活動に該当すると判断した」
都合よく解釈される言葉に耐えかねて、ヒオリはライナの方を見て小声で言った。
「ライナ、俺、行間読むのやめるわ」
「今更遅いでしょ」
理日田が咳払いで二人の意識を自分に向けさせる。
「これは決定事項だ。番櫛くんにも武器使用の許可を与える。詳細はおって草間監督官を通して伝達する」
「バカ野郎、訓練してないやつに武器なんか持たせられるか! ライナには戦闘服だってまだ用意できてないんだぞ!」
「戦闘服はどうでもいいけど、せめて文化祭の中止を政府から学校へ要請できませんか」
ライナは自分が初めて理日田と会った時に比べ、落ち着いた声で話せている自分に内心少し驚いていた。しかし対する理日田の態度も回答も変わらない。
「文化祭の開催、及び参加も書記長の意向だ。繰り返す、これは決定事項だ。大日本共和国に栄光あれ」
ヒオリは錆びた踊り場で地団太を踏んだ。
「くそが! ライナ、英語で『共和国』ってなんて言うんだっけ?!」
「リパブリック」
「ファックリパブリック!」
理日田はヒオリの発した口汚い言葉の途中で通話を切断した。
「なんか、ごめん」
普段、クラスでも特広対でも見せない、怒りをあらわにしたヒオリの様子にライナは戸惑い、思わず謝罪の言葉が口をついた。
「こんな大事になると思ってなかった」
ヒオリは髪の毛をかきむしっていたが、しおらしくなってる相棒を見ると、自分の頬を叩いて落ち着きを取り戻した。
「いやこっちこそわりぃ。取り乱した」
「でも軽率だったかも。あいつがあんたのことが好きなら、こうなることも予測すべきだった」
「ライナは悪くねぇよ。理日田のおっさんはああ言ってたけど、ライナは普通に過ごしててくれ、面倒ごとは俺がケツ持つから」
「冗談」
ライナはヒオリの胸を指で小突いた。
「言ったでしょ。あんたの味方として戦ってあげるって。相棒として、あんんたにだけ面倒を押し付けないから」
「ったく、俺の好意を無駄にして」
ヒオリを肩を竦めた。しかし決して嫌そうではない。いつもの調子に戻るため、ヒオリはクラスで見せるお調子者の笑みをライナに向けおどけた。
「ライナ。就職先、公務員だけはやめとけ。特に治安省」
ライナは鼻で笑う。
「それも今更でしょ」
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