6話 相棒-バディ-
ライナは次の銃声が鳴り響く前に駆け出した。
「止まれテロリスト!」
背後から怒号が聞こえるが無視する。脳裏についさっきまで話していた同級生の死体ちらつくが無視する。生々しく鼻腔に残る血の匂いも無視する。ありとあらゆる恐怖の種になりそうなもの無視して、ライナは逃げ出した。
心臓が早鐘を打ち、息がすぐに荒くなる。なんとか手近な物陰に身を隠すが、ショットガンを持った警備員の足音は着実にライナの方へ近づいていた。
どうする?
死体が脳裏にちらつく中、ライナ必死に考えを巡らせる。
投降する
ステインが警告なしに撃たれたのだ。変なお面をつけて一緒にいた自分も例外ではないかもしれない。
草間という人に助けを求める
だめだ。求めたところで警備員はすぐ近くまで来ている。今すぐ対処しなければ殺されてしまう。
とにかく逃げる
見つかって一発でも撃たれたら死ぬ。それで終わり。
ライナは歯を食いしばって体の震えと、泣きだしそうになるのを堪えた。絶望感で心が塗りつぶされ、自分が撃たれて死ぬシュミレーション映像が何度も頭の中で再生される。心を守る自己防衛機能なのか、せめて穏やかに死ねるように、ライナの中で死への言い訳が次々と噴出した。
死んでもいい。どうせ両親からも必要とされてない
死んでもいい。自分の死で誰かが不幸になるわけじゃない
死んでもいい。どうせ昨日絵を描いたことを警官共に言ったとき、死刑を覚悟してたから
絵
瞬間、ライナの闘志に火がついた。別に両親がどうなろうがライナの知ったことじゃない。自分が死んだことで誰が何を思おうと、どうだっていい。
だが絵のことは別だ。ライナまた絵を描きたかった。ちゃんとした絵具を使って、壁じゃなくてキャンパスに、毛先の揃った筆で、絵を描きたかった。あんな掠れた鳥の絵じゃ満足できない。もっと良い絵が描きたい。その為なら死んだってかまわない。だから、こんな寂しい工事現場で無駄死になんてできなかった。自分の命は全て絵を描くことに注ぎたい。だからライナは生き残るため、第4の選択肢を選ぶ。
戦う
喧嘩なんかしたことない。銃相手じゃ分が悪すぎる。だがそんなハンデはライナを止める理由にはならなかった。
いつの間にか体の震えは止まり、冷え切った体に熱が戻る。
「やってやろうじゃないの」
ライナはリストを少し操作すると、自分の腕から取り外した。
◆
ショットガンを持った警備員はゆっくりと音の鳴る方へ近づいた。
昨日、複数の警察官を襲ったステインに対して、発見次第、射殺するよう治安省内でお達しがあった。仲間内で「まさか自分たちのところには来ないだろう」と、つい先ほどまで話していた。だがその「まさか」が起きて、仲間たちが次々とステインに倒された。なんとかステインを倒すことには成功したが、仲間と思しき奴を仕留め損ねた。逃がせば、ステインが殺されたことに対し報復テロにでるかもしてれない。今ここでテロリストを止めなければならないという正義感が、警備員にショットガンを強く握らせた。
『……うぶ? 番櫛さん?』
鉄骨の柱の向こうに、テロリストはいた。焦るあまりか上手く隠れられておらず、鉄骨からお面と緑色のジャケットがはみ出して見える。
『応答して、ステインはどうしたの?』
機械を通した音声が聞こえる。どうやら仲間に連絡を取ろうとしているらしい、警備員はすり足で静かにお面のテロリストに近づく。
「動くな! 両手を上げろ!」
警備員は身をひるがえし、柱の陰に銃口を向ける。しかし、そこにテロリストはいなかった。
『どうしたの? 助けはいる?』
柱の陰にいた――あったのカカシだった。工事現場にあった三角コーンと、テロリストが着用していたと思しきジャケットとお面で作られたカカシは、近くに置かれたリストから響く女性の声に、大きな口を開けたまま佇んでいた。警備員がまずいと周囲を見渡した時、ジャージ姿の少女が何かを手に飛び出してきた。
「こっち見ろぉ!」
少女――ライナは警備員に向って走りながら、手に持ったカラースプレーを警備員の顔に浴びせる。
「ぐぁぁぁ!」
ライナがまた絵を描くためにと、ヒオリたちのいた美術館からくすねたカラースプレーが警備員の顔面をまっ黄色に染めあげる。目に塗料が入った激痛で無防備になった警備員に、ライナはありったけの勢いを乗せてタックルし転倒させた。誤射を恐れた警備員の手からショットガンが離れる。
時間は稼げた。ライナは倒した敵の様子を確認せず走り抜けようとする。が、できなかった。
「うぐっ」
ライナは躓いて、前のめりに転倒した。混乱しているライナは裾を上げるのに使っていた輪ゴムが千切れたこと、下がった裾に躓いてしまったことに気づけない。ライナは立ち上がろうとするが、背中に押し付けられた靴で、それは敵わなかった。
「ぶっ殺してやる、テロリストめ……!」
黄色い顔をした警備員が目をか細く開けながら、リュック越しに踏みつけたライナを見下ろす。だがライナも負けていなかった。精いっぱい首を曲げ、警備員を睨みつける。みっともなく泣くのは自分の性に合わない。最後まで反抗の意志を見せつけてやろうと、警備員が携帯していた拳銃をライナに向けたときも、ライナは視線を外さなかった。警備員のトリガーにかかった指に力がかかる。
銃声、銃声、乾いた銃声。
銃声が鳴り終わった時、ライナはまだ生きていた。逆に、ライナに拳銃を向けていた警備員が地面に倒れていた。
「やー、女の子にあんな乱暴するのはいただけねぇよなぁ」
黒い怪人ステインが自らのもつ拳銃の先で頭をかきながら、警備員とライナを見下ろす。発せられる言葉からは緊張感のかけらも感じられなかった。
「わりぃ、遅くなった。ケガしてないか?」
ステインは拳銃をしまうとライナに手を差し伸ばす。
「あっ……あっ……」
「どうしたライナ? 足でもひねったか。しゃあねぇなぁ。抱っこしてやるからちょっと動いて――」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!???」
ライナは素早く仰向けになると、ステイン目掛け足を振り上げた。
「ヴァァァァァァ!!!???」
ボディアーマーのないステインの衣装はライナの蹴りに対し、なんの防御力も発揮しない。ライナの足先はステインの股間に致命的な一撃を与え、彼を地面に蹲らせる。しかし、ライナは止まらない。素早く立ち上がると、ダンゴムシのように丸まったステインを踏みつけ続ける。
「あぁぁぁ!」
「ぎゃっ! 待て、ライナ生きてぎゃん! 生きてるから! 俺生きてびぃっ!」
「南無阿弥陀仏! アーメン! 般若波羅蜜多!」
「俺がひん! ヒンドゥー教徒という可能性とかぎゃえっ! 考えねぇのかぐふっ!」
「成仏しろ! 成仏しろ! 成仏しろ!」
死んだはずのステインへの『除霊』は、ライナの体力が限界近くになるまで続いた。
◆
「だからさ、俺も人造人間なんだよ。神元ナスカと一緒。おっ
ステインは気絶した警備員を拘束しながら答えた。
「しかも不死身。あ、もちろんナスカのやつはそうじゃねぇよ? ナスカは政権運用特化型で俺は戦闘特化型ってわけ……あーこりゃひでぇ」
ステインは黄色い顔の警備員の顔に水をかけてやる。いい眼科にかかってくれよと、哀れな警備員に同情を寄せる。
「
水をかけられて起きそうになった警備員の額を
「でも手紙書いてたじゃない、親に」
「あれは俺がトチった時用の保険。政府の作った化物じゃなくて、都会に出て危険な思想にかぶれた少年がやりましたよっていう演出用」
「じゃあ調理実習の時の火傷は? 私が保健室に連れてったとき、全然治ってなかったじゃない」
やれやれ、とでも言うようにステインは首を縦に振る。
「それな。
ステインは警備員を一人ずつ資材倉庫に押し込んでいく。
「普通に俺を作るのに失敗したのか、政府に逆らった時の保険にそう作ったのか」
警備員を全員入れたことを確認すると、倉庫の扉を閉める。
「作った科学者グループはテロで全員死んじまったし、資料も無くなったらしいから、もう分かんねぇけど。中途半端はやめて欲しいよな」
「ふっっっざけんな!」
振り返ったステインの仮面に、ライナが投げつけた固形爆弾が当たった。ライナはリュックサックの中の爆弾を投げつけ続ける。
「ばっ、おまっ、あぶねぇって!」
「うるさい! 私がどんな思いでいたか!」
「爆発しちゃう! 爆発もやばいんだって、死んじゃうから!」
「死ね!」
爆弾がなくなると、ライナは空のリュックサックを苛立たし気に地面に叩きつけた。
「なんで、なんで不死身なこと黙ってたのよ!」
「いや『俺ちゃん不死身なんだよね』って言われてライナさん普通信じる?」
「知らないわよそんなこと!」
鬼のような形相で睨みつけるライナにステインは肩を竦めた。
「それにさ……」
ステインはブーツの先で地面の砂利をいじりながら、仮面越しにライナを見返す。
「キモイだろ?」
ステインの一言で、ライナの中の怒りが一瞬で鎮火した。
「だってさ、脳みそ飛び出したり、内臓でろでろーって出ても生きてんだぜ。指とか切ってもすぐ生えてくるし。マジでグロすぎて自分でも引くし」
ステインは半笑いで語った。
ライナはこういう喋り方をする人間を良く知っている。それはライナ自身だった。「何かしたいことはないの?」とか「ライナって趣味とかないよね」とか言われたときに、曖昧に返事をするときの自分。絵を描きたいという考えを、
「ってか、最初にステインとして会った時に気づけよー。あの時、弾全部当たってたんだからさー」
冗談で誤魔化すのも、よくやる。
ライナは唇を噛む。目の前の少年がどれほど怯えながら暮らしているのか想像して、悲しくなった。必死に道化を演じて、周りを欺く孤独感を想像して、苦しくなった。クラスの女子に火傷を間近で見られて、自分の秘密がバレてしまわないか恐怖する少年を想い、切なくなった。
「まっ、一緒に仕事してたらいつかバレてたろうし、あんま気にしないでくれ」
「……ちょっと、
「え、どしたの急に。俺のイケメンフェイスを見たくなった?」
「いいから取れって言ってんのよ!」
「分かった! 分かったから! そんな怒鳴んなって」
おっかねぇとぼやきながら、ステインは黒い仮面を取った。鍵巣ヒオリの素顔が露わになる。
「ほら、これで満足か?」
両手を広げておどけるヒオリ。ライナはヒオリの顔が良く見えるように一歩踏み出した。
「正直に言う。特広対も、それがやってることも私は気に入らない」
「俺たち、陰謀論に出てきそうな
「真面目に聞け! 全部がむかつくし気に入らないけど……」
ライナはヒオリの瞳を真っすぐ見た。
「私はあんたのことをキモいとは思わないし、言わない」
ヒオリは驚きの表情を浮かべる。
「あんたはあんただし、変えようのないことを、私は否定しない」
半ばライナ自身に向けての言葉でもあった。ヒオリと同じく変えようのない現状を、想いを、願いを、苦しみを持つ者として、ライナは目の前のヒーローに寄り添いたかった。
「だから戦ってあげる。あんたが自分を卑下しない限り、私はあんたの味方として、
工事現場の無機質な白色灯が向かいあう二人を照らす。ヒオリは光が眩しいフリをして仮面を被り直した。
「ったく、ヒーローの俺よりかっこいいこと言いやがって」
「偽物の、でしょ」
「うるせっ……でも、ありがとな」
ライナは笑顔を見せた。ヒオリの表情はうかがい知れないが、今はこれで満足だった。
「さぁて、いい加減通信制限も解除しないとだし、とっとと爆破して帰ろうぜ」
ヒオリは気恥ずかしさを誤魔化しながら、地面に落ちた爆弾を拾い上げる。
「そのことなんだけどさ」
「ん?」
カチャカチャという音がした。ヒオリが顔を上げると、ライナがスプレー缶を手に持ち不敵な笑みを浮かべていた。
「もっと派手にやらない?」
◆
「これでいい?」
「ありがとうございます、大丈夫です」
ライナは大量のスプレー缶が入った段ボールを草間から受け取る。
「サーセン草間さん。新人のせいで往復させちゃって」
「なによ文句ある?」
「私は構わない」
言い争いを始めようとした二人を、草間は諫めた。ライナたちが現場についてから既に一時間近く経過していた。しかし、ライナの提案で宣伝省記念館は未だに爆破されておらず、三人の目の前にその未完成の体を横たえていた。
「なぁ、マジで絵を描くのか?」
「そう、ここで描くの。こんなに大きいキャンバス、使わないほうが罪よ」
ライナは部分的に完成していた白い壁面を仰ぎ見る。ライナは建物を爆破する代わりに、ここで絵を描くことをヒオリたちに提案した。ヒオリは提案当初から渋っていたものの、隠し事をしていたことを引き合いにだされ、ライナに強くものを言えないでいた。
「いや、でもさ、一応、今回の任務は汚職隠しの面もあるわけで」
「悪いけど私、文字に書いてないことを読むのは苦手なの」
ヒオリは後頭部をかきながら難色を示すが、ライナの意志が変わる様子は全くない。
「それにあんた言ったわよね、絵を描くこともテロリズムも今は同じだって」
「そりゃ、まぁ似たようなことは言ったけど」
「なら、爆破する代わりに絵を描いても問題ないでしょ」
「いや、でも絵を描くと最悪銃殺刑だし」
「上等」
ライナはヒオリの頼りない制止を振り切って、壁面近くに設置された作業用のゴンドラに乗り込む。二日間で二度死にかけたライナに、もう怖いものはなかったし、絵を描けるなら死んでもいいという思いも変わっていなかった。
「ねぇ、あんたもやってみない?」
「俺も?!」
信じられないという顔でヒオリは仮面越しに自分を指さす。ゴンドラの上でライナは頷いた。
「そ! 私の
「俺の方が先輩だぜ!」
「はいはい、ステインくんはいくじ無しなんですねぇ」
ライナは小ばかにしたように笑ってからゴンドラについたパネルを操作する。鈍く低い音を立てながら、ゴンドラはライナを乗せてゆっくり上昇し始めた。
「草間さん、これまずくないですか?」
「長官からは『記念館を
草間は無表情で上がっていくゴンドラを見上げていた。
「でも……ああ、どうすりゃいいんだよ、もう」
ヒオリは頭を抱えながらしゃがみ込む。
「……あなたはどうしたいの?」
「え?」
草間の問いかけにヒオリは顔を上げる、表情は変わっていないはずだが、ヒオリには草間の顔が穏やかに笑っているように見えた。
「あなたが決めていい、どうしたいか」
「俺は……」
ヒオリは少し唸ったあと立ち上って駆け出した。そのまま資材や作業用の足場を踏み台にして、上昇中のゴンドラへ飛び乗る。
「きゃっ」
「誰がいくじなしだって?」
揺れるゴンドラの上でヒオリは自分の胸を叩く。
「そうこなくっちゃ」
ライナは段ボールの中から赤いスプレー缶を取り出しヒオリに差し出す。
「さぁて、俺はどうすればいい?」
ゴンドラが止まる。受け取ったスプレー缶を振りながら、ヒオリはこれから絵を描く目の前の白い壁をまじまじと見つめた。その横でライナも黒いスプレー缶を振る。
「私が枠線を描くから、その中に色を塗って。多少はみ出しても修正できるから気にしないで」
「オッケー……けどやっぱ自信ねぇわ。ホクサイにえっちな絵を描かせるのは得意なんだけど」
弱々しく言葉を発するヒオリ。ライナは鼻で笑って横目でヒオリを見る。
「ホクサイ? あんなのに任せてきたのがバカバカしくなるわ、きっと」
「へぇ、経験者様は言うことが違うねぇ」
ヒオリの言葉にライナは不敵に笑って返す。
「ええ、最高にぶっ飛ぶんだから」
「そいつは楽しみだ。エスコートよろしく、相棒」
二人は攪拌し終えたスプレーのキャップを外す。そしてすぐに、ヒーローと少女による色鮮やかなテロリズムが始まった。
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