PIC SISTER ! ~この国では絵を描くことが禁じられています~
習合異式
1章 この国では絵を描くことが禁じられています
1話 この国では絵を描くことが禁じられています
拝啓
親愛なる親父殿、母上殿。お元気ですか。俺は東京で元気にやっています。
偉大なる指導者、
俺のことです。
そいつは『ステイン』と名乗り、白いシーツの上に垂れた墨汁のような汚らしい黒衣に身を包み、治安省の警察や浄火省の執行部隊に危害を加え、東京の治安を乱しています。許しがたいテロリストです。
ちなみに、俺のことです。
しかもこのステインとやらは、神元書記長の暗殺未遂という凶行に及びました。AIを介さない絵の新規作成と所持の禁止、そして海外への渡航禁止以外の制限がない、自由で幸福なこの国で、この蛮人は何が不満だというのでしょう。理解しがたいですし、したくもありません。
もうご存じかもしれませんが、念のため。俺のことです。
このような無頼の輩をこの国から排除すべく、私も高校での勉学に励み、一刻も早く書記長のお役に立てるような、立派な大人になりたいと思います。親父殿と母上殿も、お体にお気をつけてお過ごしください。
大日本共和国に栄光あれ
標準歴2044年 9月19日
尊敬する親父殿、愛する母上殿へ
追伸
今日、調理実習中にてんぷら油で火傷をしてしまいました。ですが、可愛い同級生が保健室まで付き添ってくれて、包帯まで巻いてくれました。今度お礼をしようと思いますが、彼女に何を贈れば良いでしょうか。助言をいただければ幸いです。
◆
「この度の税制改正により、各道府県の財政健全率は150%を超えました!」
「失業者も減少傾向にあり、今年度の国内総生産は17%以上の上昇を」
「各地域の農作物収穫高も書記長の計画見直しにより上」
「犯罪発生率は今年度で」
「出生率が」
「各学校の」
エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ
永田町にある書記長官邸執務室で、14歳の少女、そして大日本共和国の最高指導者、
「大日本共和国万歳! 神元書記長万歳!」
「神元書記長万歳!」
「「「万歳!」」」
万歳 ばんざい バンザイ
ナスカはもううんざりだという意志を金色の瞳に乗せて、執務室全体に投影された長官たちの顔を見やる。
「今すぐそのうるさいのを止めてよ。耳障りだ」
部屋に響いていた声たちが水を打ったように止んだ。この国では最高指導者であるナスカの言葉や文章が、何よりも強い力を持つ。自分よりも遥かに年上の大人たちでさえ黙らせるほどに。
「報告はすべて把握したよ。大日本共和国に栄光あれ」
「「「「栄光あれ」」」」
空中に浮かんでいた長官たちの映像が執務室から一斉に消える。執務室に残ったのは生身の人間のみになった。補佐官である眼鏡をかけた女性。青い甲冑のような見た目の
「どいつもこいつも、ボクに下手なおべっかばかり。やになっちゃうよ」
「あれも彼らの仕事の一部ですから、どうか寛大なお心でご容赦を」
補佐官の女性の諭すような言葉も、ナスカには虚しく響く。ナスカは立ち上がってガラス張りの一面から永田町を見渡す。各省の建物が夕日で燃えているように見える。役に立たないお世辞ばかりの大人たちなんて、本当に全て燃えてしまえばいいのに。ナスカは口を固く結んでその言葉が口から出ないように心掛けた。
「ところで、そろそろ『彼』が活動を開始する時間帯では?」
背後から語り掛ける補佐官の声にナスカははっとして振り返る。ナスカの黄金色の瞳には先ほどの会合では見られなかった輝きを宿していた。
「そうだった! よし、今日は直接お目にかかろう!」
「えっ、でもこの後はホクサイシステム機能向上検討会の予定が……」
「キャンセルして!」
「か、彼の映像は治安用ドローンからの映像で生で見られますよ……?」
「ダメ! これは、この国における最重要案件なんだから!」
「そんなぁ……」
凄まじいリスケを行わなければならないことへの絶望感で崩れ落ちそうになる補佐官を尻目に、ナスカは党中枢の人間のみが着ることを許されている、青い詰襟の上着に袖を通す。
「ガンシップを出して!」
ナスカは困り果てた顔の補佐官に顔を紅潮させながら笑いかける。
「会いに行くよ! ボクらの敵、ダークヒーロー『ステイン』に!」
◆
辺りが薄暗くなる中、少女は自家製の赤い塗料が入ったバケツを地面に置いた。原材料であるシンナーの匂いが鼻につくが、16歳の少女、
ライナは塗料のついたブラシを持ち、壁の前に立つ。ライナが立っているのは古い集合住宅の跡地だ。解体されるのを待っている、ひび割れ朽ち果てた灰色の建造物がライナの前にそびえたつ。ライナは目を瞑る。
「塗料、よし。ブラシ、よし。誰もいないこと確認、よし」
ライナは自分に言い聞かせるようにつぶやく。そして大きく息を吸うと、目をかっと開き宣言した。
「私、よし!」
ライナはブラシの先を灰色の壁に押し当て線を引いた。後戻りできなくなったという不安と、ついにやってやったという達成感でライナの手が止まる。ダメだダメだと首を振る。作成は完成させてこそ価値がある。反抗は敵にぶつけてこそ意味がある。この集合住宅の解体をする作業員か、監督する政府の人間か、はたまた通りすがりの浮浪者か。ライナは自分の反骨精神を誰でもいいから伝えたかった。この国は間違っている、というメッセージを響かせたかった。ライナは一心不乱に手を動かし、そしてやり遂げた。
「……悪くない」
ライナは壁から一歩身を引いて、完成したメッセージを眺める。
そのメッセージは絵だった。赤一色で描かれた鳥の絵だ。塗料の伸びが悪く、ところどころ掠れてしまっているが、ライナにはちゃんと鳥に見えた。初めてにしては上出来だと思えたし、広げた翼が自由を連想させてくれた。
「へぇ、よく描けてるねぇ」
不意にかけられた称賛の言葉に、ライナは恐怖で肩をすくめた。恐る恐る振り返り声をした方を見やる。
そこには三人の警官が立っていた。治安省所属であることを示す白い制服に身を包んだ3人の男は、一見すると優し気にも見える笑みを浮かべながらゆっくりと近づいてきた。
「最近このへんをうろつく不審者がいるって通報があってね……これ、きみが描いたの?」
3人の警官に取り囲まれ、ライナは視線を地面に落とす。彼らの目を見るのが怖かった。
「ち、ちが……」
「すまない、よく聞こえなかったよ」
最初に声をかけたのとは別の警官が、ライナに顔を近づけて聞き返す。ライナのブラシを持つ手が、肩が、足が恐怖で震えた。AIを使わず、自らの手で絵を描くことは今の日本では第一級の重犯罪だ。発覚すれば一生を収容所で過ごすか、銃殺刑に処されるか。どちらかの道しかない。今、ライナは死の淵にいるのだ。
「ち、ちがっ、ち……」
泣きそうになるのを必死にこらえ、言葉を吐き出そうとするが、舌が上手く動いてくれない。
「怖がらなくていいよ、ゆっくり言えばいい」
警官の声はどこまでも優しかった。
「『自分が描いたものじゃない』と」
だがそれがライナには癇に障った。
ライナは手にブラシを持っていたし、はいているスニーカーにはしたたり落ちた塗料がつき、赤い斑点を作っている。言い逃れなんかできない状況だ。だが警官たちはライナに無実の自白を迫る。ライナが恐怖で、自分の意志を曲げてしまおうとしていることを楽しんでいるのだ。ここで折れたら、彼らに屈したら、もう自分は自分でなくなってしまう。描くことを諦めた過去の人間たちと同じになってしまう。そうなることだけは、ライナは絶対に嫌だった。
「……ました」
「なんだって?」
「私が描いたって言ったの!」
顔を上げて叫んだライナの声量に驚き、顔を近づけていた警官が咄嗟にライナから離れる。
「これは私が描いた絵! AIに頼らずに自分の力だけで描いた絵! 他の誰でもない私が描いた、私だけの絵!」
ライナの力ある言葉に、警官たちは黙って顔を見合わせ、そして笑った。
「あっはっはっは! いやぁ、最近の高校生は元気が良いんだなぁ!」
警官はライナのフライトジャケットの下に着た高校の制服を見ながら言った。
「大丈夫、きみを逮捕なんてしないよ」
「え……なんで」
自ら着けた罪の枷を唐突に外され、警官たちを睨みつけていたライナの顔は、すぐさま怒りから戸惑いの感情に移り変わる。
「きみさ『リスト』つけてないでしょ」
ライナは自分の左腕を見た。リストは政府から全国民に支給される黒い腕輪型の情報端末だ。プライバシーは完璧に保護されていると喧伝されているが、個人情報を政府が悪用しているという噂もあり、ライナは今日リストを家に置いてきた。
「あれのさ、位置情報が犯罪の証拠になったりするんだよ。本人の生体情報でしか動かないし」
「やっぱり個人情報が抜かれてたんだ」
「いやいや、僕たちでも、簡単に見られるわけじゃないよ。きちんと手順を踏んで、何枚も書類を書いて、何人も上司がチェックして、ようやく確認できるんだ」
出来の悪い子に数式を教える教師のように、ゆっくりと語る警官の顔が徐々に卑しい笑みに変わっていった。
「でも、リストがないなら、僕たちも君が絵を描いたことを証明できない。君はここに『いない』んだから」
ライナは警官たちの言いたいことが、そしてこれから自分の身に起こることを理解した。理解して逃げようとしたが、あっけなく警官たちに取り押さえられた。ブラシを取り落とし、地面に押し倒される。
「嫌っ、離せっ!」
「はいはい、すぐ終わるからね」
「お前早いからなぁ」
「は? くっそ小さいお前よかマシだわ」
「おいしっかり足持てって」
3人の警官たちの手が容赦なくライナからジャケットを、制服を、下着を剥ぎ取ろうとする。
「誰かっ! 誰か助けて!」
恐怖の中、勇気を引き絞って出した叫びは、集合住宅地に虚しく木霊する。誰も助けに来るはずはない。この辺りに人通りがほとんどないことを、入念に下調べをしたライナはよく知っていた。だが叫ばずにはいられなかった。
「誰か!」
叫び、そして応えるような乾いた音。
警官たちは音のした方を、先ほどのライナのように振り返って見た。
「『自己なるものを、私は口にしよう』」
そこにいたのは黒づくめの怪人だった。
「『つまり単なる名もなき誰かを』」
それは黒い戦闘服に身を包み、黒い仮面をつけ、その上から更に黒いフードを被っていた。悪夢に出てくる、死神か幽霊のような出で立ちの怪人は、詩を歌い、手を叩きながらライナと警官へゆっくりと歩み寄る。ライナには怪人の姿に見覚えがった。
「今取り調べ中でね、パフォーマンスならよそでやってくれないか?」
警官の一人がライナから離れ、怪人に近づく。ライナからはその警官が、背中で隠した手に拳銃を持っているのが見えた。ライナは怪人が撃たれようとしていることを叫ぼうとした。
だがライナが叫ぶより早く、警官が銃を向けるよりも速く、黒衣の怪人は自らの腰に付けたホルスターから拳銃を抜くと、容赦なく近づいてきた警官に弾丸を4発撃ち込んだ。短い叫び声をあげて警官が倒れる。
「『それでいて、民主的という言葉も、大衆という言葉も、私は歌う』」
「おい、こいつまさか……」
「くそっ、本物の『ステイン』かよ!」
ステイン
ニュースをあまり見ないライナでも名前を、姿を知っていた。独裁者、神元ナスカ書記長の暗殺を実行した男。暗殺は失敗したが、東京の各地で政府へ戦いを挑む男。『党』の絶対的支配体制を汚す、目立つ
「『生命について、つまり頭から足先まで私は歌おう』」
ステインは倒れた警官を踏みつけ、歩みを続ける。
「応援を呼ぶか?」
「バカ、俺たちだけでやるぞ。こいつを殺せば、一気に昇進できる!」
残った警官2人がライナから離れ、拳銃を抜き、そしてステインに向け発砲した。ステインは銃声に呼応するように走り出すと、ジグザグに進んで警官たちとの距離を詰める。
「なんなんだこいつ!」
「なんで弾が当たらないんだ!」
至近距離で銃撃されてもなお、獲物を追う猟犬のように止まらないステインに、警官たちは慄く。ステインは走りながら胸に装着していた太めの警棒を手に持ち、警官たちの眼前に迫る。
「『骨だけでは、肉だけでは神は満足されない!』」
「ぐぁっ!」
ステインの振るう警棒が、警官の一人を嵐にのように蹂躙し、地に伏させた。
「『……男も女も同等に扱う』」
「誰か! 誰か助けてくれ!」
残された、最後の一人になった警官が悲痛な叫び声をあげて逃げ出す。だがステインは警官たちがライナを逃がさなかったように、警官をこの場から逃がしはしなかった。逃げる警官の足に衝撃が走る。ステインに撃たれたのだ。
「『生命、情念、脈動。自由な活動と、神聖な法のもと生きるもの』」
ステインは足を抑えなが地面に蹲る警官に警棒の先端を押し当てる。すると、
「ははっ、あひゃっ! あひゃひゃひゃひゃ!」
警官が突然笑い出した。顔を引きつらせ、涙を流しながら、苦し気に、けれども大きく笑い続ける。まるで出来の悪いピエロのように。
「ひゃっ……かはっ……」
笑い過ぎて正しい呼吸ができなくなった最後の警官は、息を詰まらせ意識を失った。ステインは数回、警官に警棒を押し当て、動かないことを確認すると、振り返ってライナの方を見た。
「『今を生きる者たちを歌おう』」
現実感がない。つい先ほどまで悪徳警官たちに襲われていて、それをヒーローが助けてくれた。そんなドラマか映画のような展開に、ライナはただ圧倒されてしまった。ステインが手を差し伸べてくるまでは。
「大丈夫かい、お嬢さん。もう安心だ」
「きみ、鍵巣くんだよね」
ライナを助け起こそうとしたステインがピタッと止まった。
「……違う。俺の名はステイン、この国で反抗の狼煙をあげ――」
「手首のとこの白いの、今日、私が巻いた包帯だよね」
「これは自分で巻いたもので――」
「いや、私が巻いたやつだよ。自分で見ても下手な巻き方だったから覚えてる」
「俺は不器用な男なんだ」
「声もよく聞けば鍵巣くんだし」
「……」
「さっきの詩みたいなの、いつも教室で読んでるやつ? ホイップマンだっけ?」
「……ホイットマンだ。ウォルト・ホイットマン」
「あ、否定しなくなった」
ステインはフード越しに頭を抱えた。
「あぁぁぁ、俺の馬鹿ぁ。こんなところでトチるなんてぇ」
気の抜けたステインの声には、もはや誰かを怯えさせるような重みはなかった。ライナもそれを感じ取っていて、立ち上がったときにはこの状況への恐怖感も、戸惑いも消えてなくなっていた。
「ってか、どうして鍵巣くんがステインやってんの?」
「今そこ聞くぅ?!」
鍵巣ヒオリ。同じ高校、同じ1年生、同じクラスにいる、癖毛の黒髪に黒ぶち眼鏡の男子。休み時間は詩集を読む物静かな文学少年……かと思えばそうでもなく。他の男子と子供っぽい下ネタで盛り上がり、教室の中でドッジボールをして先生に怒られるアホ。それがライナの知る鍵巣 ヒオリというやつだった。都市の闇の中を駆けるようなダークヒーローとは程遠い男子がなぜこんなことを、という疑問でライナの頭はいっぱいになる。
「ああ、どうしよう。どうしよう」
「別にいいじゃん。というか、ありがと。助けてくれて」
「どういたしまして……じゃない! マジでやばいの!」
「別に誰にも言わないって」
あまりにも惨めに取り乱すステイン――ヒオリに若干うざったさをライナは感じた。ヒオリは両手をライナの肩に置きかけたが、直前でやめ、それを自分の仮面の顔の横で忙しなく動かした。
「俺がその、こうやって戦ってるのは、もうそれはかなりヤバイ秘密で、それこそ国家機密レベルで……」
「ステインって国家と戦ってるんでしょ? 言い方おかしくない?」
「それはだな……ちょっと待った」
突然、ヒオリは片耳に手を当てライナに背を向ける。
「
誰かと通話でもしているのだろうか。見えない相手に背を丸めて力なく話すダークヒーローの姿が、どこか滑稽でライナは面白くなってしまった。
「その、言いにくいんすけど……は?! あいつが来る?! 公務は?! サボった?! あのバカ!」
ヒオリは向き直って、今度はしっかりとライナの肩を掴むと大きく揺さぶった。
「え、ちょ、やめてよ」
「いいか?! 今ここで起きたことは全部忘れろ! すぐに家に帰ってゲームでもなんでもして、いつもの日常に戻れ! すぐに! 今! ナウ!」
「何言ってるか、さっぱりわかんないんだけど?!」
言い合っていると、2人を巨大な影が覆う。ステインとライナは共に見上げた。
そこには太ったカラスのような、銀色の輸送機がいて、音もなく2人の上で静止していた。
「党専用のガンシップ……なんで」
「くっそぉ、もう来たのかよぉ」
ガンシップは集合住宅地の上空でその腹を開く。内部から、まるで臓物のように2本のワイヤーが垂らされ地面に接すると、それを伝って強化外骨格を来た護衛官が地面に降りる。ヒオリはライナを庇うように前に出て、護衛官たちの前に立ちはだかった。
「やれやれ、間に合わなかったか……」
護衛官のうち1人は残念そうに呟く少女を抱えていた。雪のような白髪と肌。月のような黄金色の瞳。青色の制服に身を包み、軍帽のような帽子を被った少女は護衛官の腕から地面に降りると、まっすぐヒオリとライナの方へ歩いてくる。
「嘘でしょ、なんで書記長が……」
目の前の少女こそ、神元ナスカ書記長だった。ライナたちと比べると背がかなり低く、下手をすると小学生にも見える容姿。だが目の前の存在は確かにテレビ、ネット、教科書、街頭ディスプレイ、そしてポスターで見る、この国の最高権力者の姿と相違なかった。
なぜここに書記長が? まさか自分が絵を描いて、ステインが現れたから直々に処刑しにきたのか?
ライナは困惑しながらヒオリを見るが、彼は微動だにしていなかった。
「ね、ねぇ、さっきみたいに戦わないの?」
「……戦わねぇ」
「な、なんでよ!」
「戦えないよねぇ、ステイン?」
ナスカは支配者らしく不敵に笑った。そして両手を広げると、
「ヒオリーっ!」
と叫びながら走ってきて、ヒオリに抱きついた。
「……は?」
ライナの目が点になる。
「ちょ、おま、人前でやめろって」
「だってだって、会いたかったんだもん! 活躍も生で見たかったんだもん!」
「そう言われりゃ嬉しいけど……っておい、匂いを嗅ぐな! くせぇから!」
「くさくないもーん。書記長権限でこの匂いはボクが独占しまーす」
ライナは恐る恐る前に出て、ナスカの様子を伺った。ナスカは顔を赤らめ、嬉しそうに目を細めながら、ヒオリの纏う黒い戦闘服に顔を埋めている。そこにいたのはこの国の最高権力者ではなく、恋する少女だった。
「なにこれ……どういうこと?」
「その、話すと長くなるというか、国家機密というか……」
「……なんだこの女?」
ナスカは困り果てたヒオリの服から顔を離し、横目でライナを見た。その視線には明らかに敵意が宿っていた。ナスカの一瞥はライナの激情を誘うのに充分なものだった。
そうこの女だ。全てこの女のせいだ。この心のない肉人形のせいだ。
この女が未だにこの国で絵を描く自由を制限しているから、警官たちに襲われ怖い思いをした。知りたくなかったヒーローの正体を知ってしまった。そして何より、絵を描きたいのに描けないという生きづらさを常に感じて、苦しみながら生きることになってしまった。そう、怒りの感情がライナの中で瞬時に沸き上がった。
「ヒオリ、誰なの。この頭の悪そうな金髪女は」
「人をそう悪く言うんじゃありません! ごめんな番櫛?」
「……」
「番櫛、黙って睨まれると怖いんだけどっておいおいおいバカやめろ!」
ライナは隠し持っていたデザインナイフを振りかぶった。フィクションだとこういう時に大声を出すものだが、無言で事を起こそうとしている自分がいることに、ライナは自分で驚いてしまっていた。
だが振り下ろす手は止めない
静かな、けれども激しい怒りを込めて
ライナはクラスメイト兼ダークヒーローに抱きつく独裁者めがけて
刃を振り下ろした
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