第7話
「ユル、どうしてそんなに泣いているんだい?」
わけもわからないまま、地下の部屋に走り込んできたユルは、ヨルのその落ち着いた深い水底に響くような声に安心してしまったのか、その場に座りこんでしまいました。
「おやおや、きれいな顔がだいなしだよ?」
ヨルはそっとその尾でユルを引き寄せると、舌でべろりとユルの涙を舐めとります。ユルの悲しみはそれでもおさまらず、小さな身体はヨルの大きな顔に寄りかかるようにして震えているばかりでした。
その背を、まるであやすかのようにそっと撫でて、ヨルはユルが落ち着くのを待ちました。
「きみを泣かせたのは……あの狼人間かい?」
「ち、ちがうんだ。ぼくが約束を破ってしまったから……」
そうしゃくり上げるように呟いて、ふとユルはヨルに触れている手に鉄の手袋をしたままだということに気づきました。
「ご、ごめん。この手袋が嫌いだって……言ってたのに」
「ううん。今は全然気にしない、ユルの方が大事だもの」
ヨルはそう言うと、もう一度そのざらざらした舌で、なぐさめるようにユルの頬をなめました。
不思議な感触がしましたが、ユルはそれをちっとも恐いとは思いません。その目をじっと見つめては、ヨルは優しく鎌首をもたげてこう言いました。
「ぼくに手があれば、ユルを抱きしめてあげられるのに。涙だって拭いてあげられるだろうに」
「そんなことないよ」そうユルは答えました。そんなことを言ってくれる、ヨルのところへやってきてよかったと、心の底から思いました。
「こうやってそばにいて話を聞いてくれる。手袋をはめたままのぼくのことだって怒りもしないんだ。ヨルはすごく優しいよ」
そうして、ぎゅっとその首に抱きついてみせると、ヨルは長い長いため息をつきました。
「どうしたの?」
「うーんきみが、16さいになる前に……だけどもう少し大きくなってからと思っていたのだけれど。でもそんなことも関係ないのかもしれないなぁ」
「16さいだって?」
ふぅだとか、うーんだとか、ヨルはひとりで呟いていましたが、やがてユルをその尾で持ち上げると、自分の真正面に抱えてこう言いました。
「ユル、きみの氷の呪いをぼくは解いてあげることだってできるんだ。氷の腕を隠して暮らせだなんていう、臆病な狼なんか忘れておしまいよ?」
「マ、マシューは決して臆病なんかじゃないよ」
「ぼくはなんでも知っているんだよ、ユル。この建物はもちろん、外の世界で起きていることも、たいてい全てね。あいつは、呪いを解く力なんか持っていやしないのに、そうやって保護者気取りのままさ。きれいなきみを閉じ込めて……きみを失うのが怖いんだ。そのくせ、どうやってきみをニンゲンの世界に返そうかと毎年ひとりで外の世界へ行っているんだよ」
「えっ……?」
ユルはとてもびっくりして、それきり口を閉じてしまいました。
そういえば、マシューがいなくなる夜はいつも宙クジラの横断の日でした。ユルが拾われてきたのも、そんな冬の日でした。
「ニンゲンの世界に繋がる夜に、
ヨルの大きな目には、不安そうな自分の顔がうつっています。
「ユル、きみのその氷の呪いはどんどん広がって、誰かを凍らせてしまうたびにどんどん速さをまして、16さいの誕生日がやってくる前に、やがてきみを凍りつかせてしまう恐ろしいものなんだ。でもね、ぼくなら、その呪いを解いてあげられる。そうして、ずっとずっとユルと一緒にいてあげられるんだよ」
ユルの小さな身体にそっと頭をすり寄せては、ヨルはそう告げました。
いっぽうユルは、頭の中がひどくこんがらがっていました。氷の呪いで死んでしまうだなんて、今までひとつも聞いたことがなかったからです。
けれど、確かに腕の氷はせりあがってきていました。マシューに押さえつけられた時も、刺すような痛みが走ったことを思い出して、ユルはとても不安な気持ちになりました。
「ぼくを信じて、ユル。だってほら……」
触れるのすら嫌がっていた鉄の手袋を、ヨルは器用に口で咥えてするりと外しながら、まっすぐにユルを見つめて言いました。
「ぼくなら、どんなにきみに触れたって、決して凍りつかないもの」
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