情緒不安定な女の日記。

音雪香林

第38話 2023年7月22日 読書体験は「作者」と「読者」の二人三脚。

おはようございます。

雪の香り。です。


タイトルに「なにいってんだお前」とツッコんだ方もいらっしゃるのかしら。

これからどういう意味かご説明します。


というのもですね。

私は「ゆたかな読書体験」をするには「作者の卓越した表現力」だけでなく「読者にも人生経験値や読書経験値」を求められるのではないか、と思うのです。


たとえば文中で「つややかに赤い熟した苺」と書いてあったとします。

苺を実際に見たことがある方ならば、緑色のヘタがついてて形は三角形で表面にはつぶつぶのタネがあることまで理解できますが、見たことのない読者だったら?


この説明だけでは見たことがない読者は「丸い形」で想像して、丸くてつややかな赤というとで「さくらんぼに似た果物かな?」と思ってしまうかもしれない。


ここでまたツッコミが入りそうです。

「現代日本で苺を見たことも食べたこともない奴がいるわけないだろ」と。


しかし私は以前テレビで芸人さんが子供の頃に母親に「『苺』ってなに?」と聞いたとき、苺を買う余裕のなかった経済状況だったために「食べたい」とねだられるのを恐れたのか、うめぼしを「これが苺」といつわられて「うめぼしを『苺』」だと信じてしばらく育ったそというエピソードを聞きました。


友人が苺の味を「甘酸っぱい」と表現していて「甘くはないけれどな」と思いながらも「すっぱさ」はあるので首をひねりながらも信じ続けたというのです。


極端なケースではありますが、こういう方がいることも事実です。


文中でどんなに詳細に説明しても「見たこと」や「体験した」経験のない読者には「想像はできても正解は導けない」のです。


この結論に至った時に、私はあらためて「言葉には限界がある」と思い、そこがまた「奥深いな」と感じ入ったものです。


だから架空の人物を描いた架空の物語ならともかく、実際の人物、実際の出来事などをあつかった小説は「完璧に理解できる」とは思わないことにしています。


どんなに作者がゆたかな表現をしていても「作者本人」ではない別の人生経験をつんできた読者に「共有できる感覚、体験」は80%がせいぜいなのではないかと。


理解は必要だけれど「わかった気」にならないのが大切なのだと私は個人的には思っています。


私も「ゆたかな読書体験」のために人生経験は微妙だけれど「読書経験」だけでも積み重ねていこうと思います。


以上、雪の香り。でした。

ここを読んで下さった方、ありがとうございました。

あなたに幸運が訪れますように。




おわり

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