「    」にんげん

 赤いランドセルを背負った少女が目を細めて、じっと通学路の先を見ていた。

 目が悪い、と言われるほど、暗いところで本を読んだり映画やアニメを見ているわけではない。早寝早起きが自慢である。


 寝る子は育つ、とよく言われる。

 しかし、その少女は寝た分ぐんぐん育つ――わけではなく、そんな気配すら一切ない。

 成長痛? なんだそれは? 一度くらいは味わってみたいものだ。


「……んー、……むむむ。うーむ」


 彼女が目で追っているのは、なにもない空間だが、実は違う。

 いや、彼女自身もそこになにかがあると確信があって見ているわけではない……、確信を得るために見ているようなものだ。


 ……違和感。変化。異物。

 ――風にあおられて、ギリギリで保っていたバランスが傾いたから――であれば納得できるが、きっと違うだろう。


 普通なら。

 安定してそこにあったポリバケツが、まるで『蹴られた』ように転がっていくはずもない。


 音に驚いて首を回した少女は、バケツの他にも不自然に揺れる花壇の草木や、風も吹いていないのに音を鳴らす風鈴……、玄関の柵にしがみついている犬の鳴き声など――、平日早朝のポルターガイストを確認している。


 早起きなのか徹夜なのか、夜でもないのに動き出した、幽霊の仕業……? ――否。


 たぶん違う。


 そうではなく……、


 周囲が騒ぐことで、ただの空間に、輪郭がぼんやりと浮かんできているようにも見えるのだ……、錯覚なのだろうけど……。

 だけど、どっちが錯覚なのだろうか、と脳にメスを入れてみる。


 見えることが? それとも見えないことが?


 少女に見えていないだけで、なにもないその空間に、なにかいる?


 たったったったったっ、と駆け足で向かった少女が、どんっ、とぶつかった。


 人の背中に。


 先が見通せるのに、柔らかいそれは、確かに人のそれだった……。


「……? …………??」


「(しまったっ)」


 抑えた声だが、少女の耳にも届いていた。

 景色という一枚の絵の裏側にいるように、見えないけど存在感はある。

 見えないけどいる……、え、見えない??


「うひっ」

「ん、おにいさん、だれ?」


「き、君こそ誰だい……? というか僕が見えているのか!?」

「みえてないよ、だからこうしてぺたぺた触ってる……」


「わひ、冷たっ――ってそこから先はダメだ、小学生が触っていいものじゃないよ!!」

「おにいさん、服は……?」


「着てないよ……靴もね。

 だって着たら、服だけが浮いて見えちゃうからね……」


 ぺたぺたと触り、分かったことは、いま少女は『おにいさん』の背中に頬をつけ、手をお腹に回している状態だということだ。

 贅肉がない痩せ型だ、筋肉はそこまでないらしい……。

 指がすぽっと凹みにはまり……あ、おへそだ、と指先から分かる。


「は、離れてっ!」


 あ、と名残惜しい声が出た。

 同時にしまった、と――、

 姿が見えないから、感触がなければ見つけることができない……。


 手を離してしまえば、

『おにいさん』がどこにいったのか、見つけるための手がかりはなくて――



 からんからん、と落ちている空き缶が転がり。


 ガガッ、と落ちていた石ころが飛んでいって。


 歩いていたハトが飛び立ち、ネコが驚き、塀の上へ去っていった――。



「…………」


 見えていないけどよく見える。


 彼はきっと『透明人間』なのだろうけど、こうも周囲に影響を与え過ぎていれば、見えているも同然だった。


 周囲の異変を探せば、見えない彼が浮彫になる……。

 せっかく周りから見えていないのに、もったいない人である。



「おにいさんの方が、まわりがみえていないんだね」

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