第三話 秋の味覚 その二

 「菓匠 翡翠堂」は人気のあるカフェというだけあって、店内はほぼ満席状態である。タイミングを間違えたら待たないと入れないところであった。

 客層は二十代から七十代位と広い。

 一見女性客が多そうに見えるが、男性客も多い。とても賑やかだ。

 

 観た映画についてスマホを弄りつつ、二人で色々喋っている内に、あっという間に頼んだ品物が運ばれて来た。

 

 茉莉は抹茶生地に栗餡の入った大判焼きと、白い生地に抹茶カスタードの入った大判焼きと、抹茶のモンブランケーキと紅茶だった。

 一方静藍は、抹茶生地に粒餡とミルククリームの入った大判焼きと温かいほうじ茶だ。

 

 茉莉はすかさずスマホを取り出し、記念撮影大会が始まった。折角人気のあるスイーツ店にイートインしているのだ。SNSというより、記事の一つに出来るならという腹積もりだ。勿論、自撮りでツーショット写真も忘れない。

 

 茉莉は白い皮の大判焼きに齧りつくと、中から抹茶が練り込まれたカスタードクリームがたっぷりと出てきた。焼き立てだから、温かい。上品な甘さにほろ苦さが後を引く美味しさだ。思わずにっこりと笑みが溢れる。

 

 静藍のは抹茶の練り込まれた緑色の生地に、濃厚なミルククリームとコクのある粒餡がたっぷりと詰め込まれているものだ。

 皮は外側がカリカリと香ばしく、ふっくらとしつつ、もちもちした食感だ。皮とニ種類の中身が口の中でマリアージュした時、その上品な旨さに彼は目を大きく広げた。

 

 静藍が大判焼きをゆっくりと堪能している横で、一つ目の大判焼きを腹に入れた茉莉は、早速二つ目に手を伸ばしている。

 

 “期間限定大判焼き”を食べてみると、しっとりとした抹茶生地のかすかな苦味と、栗あんのねっとりとした甘さが茉莉の口いっぱいに広がった。ごろごろ入っている丸ごとの栗が、ナチュラルな味わいで大変贅沢だ。やっぱり頼んで良かったなぁと、秋の味覚で幸せ満面だ。

 

 ちらと横を見ると、静藍の鼻の頭に白いクリームがちょこんとついている。茉莉がナフキンでそっと拭ってあげると、彼は耳を夕陽のように赤く染めた。

 

「……ありがとうございます」

 

 茉莉の顔を見ると、彼女のほっぺたに黄色い餡の欠片がついていた。

 

「茉莉さん、顔についてますよ。クリームだと思いますけど」

 

「え? どこどこ!?」

 

 焦った茉莉は顔をきょろきょろとさせ、やや挙動不審になっている。

 静藍はそれを白くて長い指でそっと摘んだあと、口に入れた。途端に少女は心臓が口から飛び出しそうになる。

 

「!!」

 

「どうやら栗餡だったみたいです。ここの餡は上品な甘さで良いですね」

 

 にこりと微笑む静藍の前で、茉莉は紅葉のように頬を真っ赤に染めた。

 

「……わわわ! ど……どうもありがとう……」

 

 気恥ずかしさのあまり、口に紅茶を流し込むと、ベルガモットの香りが口いっぱいに広がり、すっきりした。砂糖もミルクも入れてない筈だが、甘く感じたのは何故だろうか。

 

 静藍がほうじ茶をゆっくりと口に含むと、得も言われぬ香ばしい香りに包まれた。

 渋みがなく、ほのかに甘くまろやかなお茶。

 他のスイーツ達の邪魔をせず、さっぱりとした味わいだ。

 ほうとため息をつく。

 

 気を取り直して、最後のケーキに取り掛かることにした。直径約十五センチメートルのホールケーキが、真っ白なお皿に乗っている。既に二個の大判焼きをお腹に入れた茉莉にとって一個丸々はやはりきつい。予め分けっこするつもりでいて正解だった。店員にシェアする用件を伝えていた為、小さなナイフと取り分け用のお皿が既に準備されている。

 

 モンブランケーキを半分に切り分け、シェア用のお皿に載せた。抹茶の練り込まれたモンブランクリームに包まれたそれは、幾層に分かれている。

 

  たっぷりとデコレーションされた緑色のクリームは、栗と抹茶を絶妙な配合で練り上げたモンブランクリームだ。

 その下には、ふわふわの栗のホイップクリームがたっぷりと入っている。洋酒で風味豊かに仕上げられたそれは、思ったほどこってりせず、すっきりとした味わいだ。その下には、ダイス状にカットした栗の甘露煮が敷かれている。

 下層には口溶けの良い濃厚な自家製の抹茶のショコラが敷かれ、プレーンなスポンジ、その下にはアーモンドパウダーをたっぷり練り込んだタルト生地と続く。

  

 何層にも織り重なる味わいは正に協奏曲の一品だ。中々凝っている。フォークでケーキを一口入れた途端、二人は深まる秋の味わいに、暫く言葉を失った。

 

「茉莉さん。このケーキはとても美味しいです。やっぱりどちらも頼んで良かったですね」

 

「ん〜!! 確かに!! これは食べないと損ね! 優美にも教えとこ」

 

 茉莉はスマホを弄り始めた。早速LINEでメッセージを送信しているようだ。

 

「そうだ、今優美から返事が来たんだけど、クリスマス会をみんなでしないかって。静藍も一緒にどう?」

 

「ええ、是非参加させて頂きます」

 

 秒も経たずに首を縦に振った。

 

「おっけー! じゃあ、参加で返事しておくね」

 

 茉莉はスマホの画面をすいすいと動かした後で、カバーの蓋をぱたんと閉じた。ふぅとため息を一つつく。

 

「今日はありがとう。静藍。お陰で今日を悔いなく楽しめたよ」

 

「僕もです。こちらこそ、ありがとうございます」

 

「進級すると勉強でもっともっと忙しくなるだろうからな……ねぇ、静藍。今のうちに色んな所に行こう!」

 

 グーグルカレンダーを開き、試験の日や部活関係の日、家族内イベントの日以外で開いてる日を一緒に探した。

 

「そうですね。互いに行きたい所があったらピックアップして、書き出しましょうか」

 

 今自分達は高校二年生だ。一年後の今は受験勉強でいっぱいいっぱいだろう。進路によっては会えなくなる可能性が高い。短い間だけでも、一緒の時間を共有したいと言ってくれる茉莉の想いが真っ直ぐに伝わってきて、静藍は温かい気持ちに包まれた。

 

「でも……」

 

「受験勉強で忙しくなっても、行ける場所はありますよ」

 

「え!? どこどこ!?」

 

「図書館」

 

 すかさず彼の唇から出た単語で、あることを思い出した茉莉は、バツの悪そうな表情をしている。

  

「そうだね……また色々教えて欲しいんだけど良いかなぁ? この前の小テストの出来、超ヤバかったから……」

 

 後頭をぽりぽりかきつつ、てへへと苦笑いをする彼女に、静藍は快諾の代わりににっこりと微笑んだ。彼は部室にいる時、茉莉に時々勉強を教えている。どこかへ遊びに行くことだけがデートではない。

 

 カレンダーの日にちとにらめっこしながら、自分の生命が八月から先果たしてあるのかどうか、いつも怯えていた日々が、まるで嘘のようだ。

 

 二人の周りに穏やかな時間が流れている。

 今年の秋は、特に平和に感じた。五年振りだろうか?

 つい二・三ヶ月前まで考えられなかった、先の予定の話し。

 それが自然と出来るようになったことに、彼は改めて幸せを染み染みと噛みしめていた。


 ――完――

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