第6話 危機一髪からの名案
アリーナは、ドアの影に隠れてそうっと周囲を窺った。
モンスターの気配はない。
(今のうちに……!)
単身出ていくと決めた以上、ラインハルトに引き止められたくなかったので、素早く迷宮に足を踏み入れて後ろ手でドアを閉ざした。
周囲は薄く発光しており、遠くが見通せるほどではないが、近くを見る分に明るさに不足はない。綺麗に整えられた壁に囲まれた細い通路が、左右と正面に伸びていた。
いきなり、道がわからない。
何しろアリーナにとっては初めての外出であり、ここは迷宮なのだ。仕方ない。
「迷宮で迷ったときは、左手を壁について進め、だっけ。この場合左手を壁につくと……、素直に左に進めばいいの? それとも、正面に手を伸ばして壁を伝って行くの?」
生半可な知識を持ち出してみても、わからないものはわからない。もうこうなっては前進あるのみ、とアリーナは正面の道を進むことにした。
ゴォォォォォ
遠くで、唸り声。空気がかすかに震えたが、前日にキマイラと対面したときに比べれば、全然なんてことはない。かなり遠くにいる。恐れることはない。
(大丈夫、大丈夫。いざとなったら「アリアドネの糸」を使う。無茶なんかしない。何度でも挑戦すれば良いのよ……)
念じながら歩き続けると、またもや左右の道と交わる交差点に到達してしまった。ここは下手に曲がったりせず、今日のところはまっすぐ進むことに集中しようと決めてさらに進む。
オオオオオオオォォ
(……近くなってきた? この先にいる? 引き返す? でもまだ姿が見えないし、これだけ道が入り組んでいるんだから、遭遇しない可能性もある。怯えてばかりではいられない……)
緊張でガチガチになりながら進んでいたそのとき。
しゅるり、という聞き慣れない音に続き、ボタン、と肩に不自然な重みを感じた。天井から、何かが落ちてきて、肩に引っかかったのだ。
しゅるるるる、とひそやかな音は耳のすぐそばで鳴り続けている。
歩みを止めたアリーナは、ゆっくりと首を巡らせてそれを見た。
黒と黄色のまだら模様。ぬめりのあるうろこ状の肌。鎌首をもたげた頭から伸びる、細くて真っ赤な舌。
(へび)
蛇だった。重いはずだ、という特大の蛇が肩に乗り上げて、アリーナの頬に向かって舌を伸ばしていた。
真っ黒の瞳と目が合った。
唇が震え、呪文の詠唱どころではない。ここぞというときの「アリアドネの糸」が使えない……!
「い……や……」
たったそれだけ言ったところで、蛇がぶつからんばかりに勢いよく、顔を近づけてきた。
舌先が頬をかすめる。
(避けられない……!!)
逃げたいのに手足のどこも動かぬまま。
声なき悲鳴を上げたアリーナの腕を、誰かの手が強くひいた。
そのまま、体の大きなその人に抱き込まれて、かばわれる。
標的を失った蛇は、どん、と床に落ちたもののすぐに顔の方向を変えてぎょろりとした目でアリーナを見てきた。
その頭を、ブーツを履いた男の足が蹴りつけ、あらぬ方を向かせた。
「俺を誰だと思っている。迷宮の主だ。逆らったら無事では済まないぞ。さっさとこの場を立ち去れ」
アリーナを抱きとめたまま、淡々としながらもよく響く声で男が言う。
首をもたげたまま、蛇は数度しゅるしゅると舌を出し入れしていたが、すうっと横を向くと床に臥せ、存外に早い動きで這って去った。
硬直が解けた後から震えっぱなしだったアリーナは、無意識のうちに自分をかばった腕にしがみついていた。
背にしているのは固くあたたかな胸。包み込んで、かばってくれた。
(ラインハルトさま、来てくれた……。また神通力を使わせてしまったのでは。お役に立ちたいのに、私はこの方の消滅を早めるようなことばかりしてしまっている)
忸怩たる思いでいたが、そんなアリーナにラインハルトが実直そうな声で告げた。
「俺の態度が悪かったのは認める。昨日、君はキマイラを見ていたし、攻撃系の魔法は無いと言っていたから、まさか出ていくとは思わなかったんだ。追いついて良かったが、怖い思いをさせてしまった」
「いいえ、いいえ。私が自分で決めてしたことなので、そのように申し訳無さそうにしないでください。無茶をするつもりなんてなかったんです。私は『アリアドネの糸』が使えますから、大丈夫だと思っていました」
「アリアドネの糸? なんだそれは」
アリーナが告げると、ラインハルトは不思議そうに聞き返してきた。
何か言い間違えただろうか? とアリーナは顔を上げてラインハルトと視線を合わせる。それはアリーナの世界では、誰でも知っている下級魔法だ。
「ダンジョン脱出魔法です。アリアドネの糸というのは」
「脱出魔法? 君の世界には、そんな便利な魔法があるのか」
驚いた顔で見返されて、アリーナは目を瞬く。
(まさかこの世界には「アリアドネの糸」が存在していないの? 迷宮と関わりの深い仕組みがあるというのなら、必要不可欠な魔法のはず……)
「脱出地点はダンジョンに入った場所に固定されるので、中間地点に戻るなどの細かい調整はできませんが……。ためしに使ってみましょうか? 事務室に戻るはずです」
アリーナから申し出ると、ラインハルトはそれまでとは打って変わって別人のように若々しく口の端を吊り上げ、興味津々といった様子で瞳を輝かせて頷いた。
「やってみてほしい」
「では……、私から離れないでこのままで。アリアドネの糸よ、私達をお導きください……」
魔法の効果範囲から外れないよう、アリーナが身を寄せると、ラインハルトが片腕を回してぎゅっと抱きしめてきた。その、感触。たとえば、鍛え抜かれた冒険者の筋肉質な肉体とは、こういうものではないだろうか。それまで一度も触れたことのない男性そのものの体にアリーナがドキドキする間もなく、二人は会社の事務室へと戻っていた。
着いた、とアリーナはラインハルトから離れようとした。
そのアリーナの体をさらに強く抱き寄せ、ラインハルトが興奮した様子で言った。
「すごい魔法だな……!! 本当にここへ戻ってきた!! この魔法効果を持つアイテムがあれば、世界中の冒険者がこの迷宮に押し寄せるだろう!! こんな画期的な魔法がこの世に出現したなんて」
「絶対に必要ですよね? どうして今まで無かったんですか?」
「わからない。おそらく、古き神々の定めたなんらかの規則によって制限されているんだと思う。その魔法を作ろうとした者は過去にもいたはずだが、この世界では成立しなかった。異世界人の君だからこそ、規則の網目をすり抜けて持ち込めたのかもしれない」
目の輝きも、声の張りも今までとは別神。
どうしたことかと驚き目を見開くアリーナを抱き寄せながら、ラインハルトは勢い込んで言った。
「君のその魔法を、俺の力でなにかの形代に込めて、この迷宮のレアアイテムとしよう。奥まで来なくても入り口付近の宝箱に入れたり、低級モンスターからドロップする仕様にする。そのアイテムさえあれば、無茶な迷宮踏破に挑戦して命を落とす冒険者も減るだろう」
(無茶な迷宮踏破で命を落とす……。もしかして社長が迷宮造成に意欲的ではなかったのは、冒険者に無理をさせたくなかったから?)
不意に、ハッと息を呑んだラインハルトが、アリーナの両肩に手をおき、密着していた体をひっぺがした。
顔を真赤に染めながら「その……、喜びのあまり我を失っていた。すまない」ともごもごと謝ってくる。
その百面相ぶりがおかしくて、アリーナは思わず吹き出し、思う存分笑った。
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