第7話「クリスティーナ・リグル・アスモダイ」
クリスティーナ・リグル・アスモダイは、この世界で生を受けたその瞬間から天才であった。
彼女の成長速度は著しく、産まれて一年で言語を扱いメイドたちの顔と名前を全て記憶した。そしてその頃から人を上手く使って―相手には使われているという意識のないまま―すくすくと成長していった。
そんな彼女は、五歳にして自分は異常なのだと気付いた。
彼女はあるメイドに以前喋っていた話の続きをもちかけた。そのメイドも最初は彼女に話しかけられた喜びでにこにこと話に乗ったのだが、その話がまだクリスティーナが乳児だったころにメイドが一方的にクリスティーナに向けて話していた仕事の愚痴だったこと―メイドは当然そんな昔の事など忘れていた―に気付き、恐怖した。
クリスティーナは何故彼女がそのように恐怖したのか理解できなかったが、他のメイドに聞き、理解した。人は普通、四年前にふと話したようななんでもない世間話など覚えていないと言うこと、そして赤ん坊の頃の記憶など持っていないことを。
また、クリスティーナは本を読むのが好きで、メイドによく自室に本を持ってこさせていた。しかしメイドは不思議であった。クリスティーナが持ってこさせる本は種類がばらばらであった。童話だったり歴史書だったり、果ては武術の本もあった。そして、一日に約三十冊もの本を持ってこさせていたのであった。
当然、人は一日にそんな多くの本を読むことはできない。メイドは、クリスティーナに聞いた。私たちが運ぶ本を全て読んでいるのかと。しかしクリスティーナからの答えは全く予想外の物であった。
彼女曰く、全部読んでいると。メイドは信じられなかった。そのような芸当が五歳の子供に出来るわけがない。しかしクリスティーナはそんなメイドに自分が昨日呼んだ三十冊の本の題名を全て読み上げ、どんな内容だったかを余すことなく三十冊分全てメイドに説明した。
その時クリスティーナは、人は一日に人が読める本はせいぜい二三冊が限度であり、それでも内容全てを覚えることは困難だとそのメイドに言われ、理解した。
彼女はその他にも、自分が優れていて他人が劣っていることを一つ人つ理解していった。その結果、自分が恐れられていることも。
故に彼女はそれからは全てのことに対して手を抜き始めた。全力でやらなくても万事上手くいくからだ。
それでも周囲は自分を天才だと持て囃した。彼女は人生に絶望し始めていた。
なんとつまらない人生なのだろうと。
少し考えて物事を行うだけで、周囲は彼女を素晴らしい、天才だという。なんてやりがいのない人生だろう。
そして彼女がこの世界に楽しみというものを見いだせなくなったころ、具体的には彼女が十一歳の頃、彼女は弟か妹が近い内に出来ると、その頃から彼女付きのメイドになった者から告げられた。ニクシーが妊娠したと言う。
その報告を聞かされた時、彼女の瞳に久し振りに光が灯った。これから産まれる弟もしくは妹は私と同じなのではないだろうか。私と同じく周りの低能さに絶望し、やがて人生にも絶望するのではないだろうか。そうなれば彼もしくは彼女は私の理解者となりうるだろう。
しかしメイドはいくらクリスティーナが優れているとはいえ、次に産まれる者が優れているとは限らないと言った。そう言われた瞬間、彼女の瞳に灯された光はまた消え、その者に対する興味を失ってしまった。
その半年後、彼女が十二歳になってその話も忘れかけていた頃、弟が産まれた。彼女はあまり興味は無かったが、彼女付きメイドの勧めもあって、ドアからちらりと彼がいる部屋を覗き込んだ。そこではエルガーが彼を抱き上げ、名前を叫んでいる場面であった。彼女は彼を見た瞬間、生涯で初めて目を奪われる、という経験をした。
彼女の弟はとても綺麗だった。玉のような顔だった。
それでいてとても矮小な存在だと感じた。彼女は赤ん坊を見るのが初めてだった。
この世界に産まれた不安からか止まらない産声。何も掴むことが出来ないのではとさえ思えるほど小さい手。彼の身体はとても小さく、抱きしめるだけで死んでしまうのではないかとさえ考えた。
彼女はその瞬間、彼に対する強い庇護欲というか、守ってあげなければならないという使命感を感じた。そう思うと、胸の鼓動がドクンドクンと激しくなった。それもまた、彼女にとって初体験のことだった。
それが何かわからなくなった彼女はそこから飛ぶように逃げ、後ろから聞こえるメイドの引き留める声もお構いなしに自室へと飛び込んだ。いつまで経っても彼女の鼓動は収まらない。彼女はベッドで横になった。
それから何分経っただろうか、彼女の部屋にエルガーが訪ねてきた。彼は言った。
エルガーは自分の跡を彼に継がせると。彼女は自分が魔王になれないと知っても特に何も思わなかった。玉座と言うのは彼女にとって関心の外にある存在だったのだ。
しかし、エルガーは彼を、あの小さく守ってあげねばすぐにでも死んでしまいそうな彼を魔王にすると言った。その瞬間、彼女の頭は一つの言葉に支配された。
『彼を、私の弟を守り支えなければならない』
彼女、クリスティーナは決心した。自分は彼、弟であるフリードリヒが魔王へとなる道を守り、彼を支えなければならないと。
そこからの彼女は早かった。
まず、彼を守るための力が必要だと感じた彼女はこの世界一番の覇権国であるシトラ王国の最先端の教育機関、王立学校へ行くことを決めた。その学校は特に入学年齢の制限はなく、入学試験を合格し決して少なくはない金額を支払えば入学できた。
彼女はエルガーを説得し、入学できるように取り計らってもらった。そして彼女付きのメイドとシトラ王国へと赴いた彼女だったが、当時十二歳の彼女を見て、王立学校校長は王立学校の歴代最年少の合格者は十五歳だと言い、彼女は門前払いをされそうになった。
しかし彼女は必ず合格すると言い張った。校長は少し困ったが、彼女は魔族の王族ではあったが王族は王族。あまり軽んじた行動は出来ないし、なにより金を持っていた。そういう訳で取り敢えず試験だけ受けてもらって帰ってもらおうと考えたが、なんと彼女はその入学試験で満点を叩き出した。これを見た校長は彼女の合格を認めた。
そうして史上最年少の十二歳という年齢で王立学校に入学した彼女は、そこでも怪物の片鱗を見せた。まず彼女は教師、生徒そしてそこで働く職員までもの人心を掌握した。放課後や休み時間に彼女の周りに誰もいないということはなく、また彼らは彼女に使われているという意識のないまま日々を過ごしていた。
また、それだけではなく、彼女は座学や武術の時間でも最優秀の成績を残し続けた。まるで彼女に欠点は無いようだった。
そして彼女は歴代最年少の生徒会会長や本来七年必要な所を五年で卒業、その上首席合格などの伝説を王立学校に残し、アスモダイ城へ、本来の使命のために、彼女の弟を守るために帰ってきたのである。
―――
エルガーの衝撃の発表から数刻後。
俺は隣に座った姉を名乗る人物、クリスティーナ・リグル・アスモダイからまるで親鳥からご飯を食べさせてもらう雛鳥のように、ステーキを口に運ばされていた。
「はいフリッツ、あーん、して頂戴?」
「あ、あーん」
「いい子ね。はい、どうぞ」
彼女に食べさせてもらうステーキはとても美味いが、今考えるべきことは料理の美味さではない。目の前の年上美人についてであろう。
彼女、クリスティーナ・リグル・アスモダイは、先ほど会場へ入った後豪族の皆様に久し振りの挨拶を簡単にした後、彼女とお話ししようとした彼らを軽くあしらい俺の隣に座った。迅速な行動すぎてびっくりしてしまった。まるで最初からそうしようと考えていたかのようであった。そして彼女は……おかしいのである。
「お、美味しいですよ、クリスティーナお姉さま」
「フリッツ?私たちは姉弟なんだから敬語は不要よ?そして私のことはクリスお姉ちゃんと呼んで頂戴?」
「は、はい。あ、いや、わかったよ。クリスお姉ちゃん」
「ふふ、フリッツはかわいいわね」
彼女、何故か俺に対する好感度がカンストしてんじゃねえかってくらい俺に甘々なのである。
俺としては、確かに嬉しい事ではある。俺の憧れである年上美人が俺を甘やかしてくれているのだ。 しかし、そういったことには理由が必要だ。何故彼女は俺のことをこんなに好いてくれているのか。俺には全く見当がつかない。それはそうだ。俺に姉がいることなどつい先ほど知ったのだから。
助けを求めリーサの方を見るとなぜか彼女は、親とはぐれた野生の小鹿が親と再会する感動動画を見ている人のようにに涙ぐみながらうんうん頷いているし、リーセなんかは完全に涙を流し時折嗚咽すら聞こえる。
冷静に考えてみれば、俺が彼女の存在を知らないことはおかしくないか?いや、それもそうか。以前リーサはクリスティーナの名前を俺に暴きかけて隠した。それを考えると誰かが意図的に彼女の存在を俺に隠していたと考えるのが筋か。恐らく周囲の反応を見るに、城の者は俺を除いて全員彼女の存在は知っていたのだろう。うーん、何故なんだろうか。サプライズとは考えにくい。何故なら五年も俺に隠し通していたのだ。その隠していたことが俺の実姉の存在というのだからサプライズにしては笑えない部類ではないか?
俺がうんうんと唸っていると、クリスティーナは妖しげな微笑を浮かべた。
彼女のその表情を見るとどきんと胸が高鳴る。お、おかしいな。彼女は姉。母親であるニクシーもとても美人で前世の俺ならまず飛びついていたであろうが、彼女はこの世界の肉親だからだろう、全く欲情といった感情が浮かばなかった。
しかしクリスティーナは違う。明らかに俺の胸の高鳴りは、俺が彼女のことを一人の女性として見ていることを教えてくれている。クリスティーナも肉親のはずなのに、どうしてだ。彼女の美貌は姉弟と言った間柄も飛び越えかねない程の物なのだろうか。
「フリッツ、貴方今何故自分は私の存在を知らされなかったのだろうか、と悩んでいるでしょう?」
「!?」
な、何故分かった。
クリスティーナは狼狽する俺を面白そうに見つめ、さらに笑みを深くした。
あまりの狼狽えっぷりに目をそらしたくなるが、それよりも彼女の顔をもっと見ていたいという欲がそれに勝ち、俺は羞恥で真っ赤になっているであろう顔で彼女を見つめてしまう。
「ふふ、本当に可愛いわね」
クリスティーナは俺の頭を撫で始める。
前世の俺には、姉や兄はいなかった。俺が長男で、二人の弟と二人の妹がいた。両親は幼い内に亡くなり、父方の祖父母に育てられた俺は、こういった愛情の受け方を知らない。
だが、落ち着く。そう思った。
「貴方が私の事を知らなかったのは私がメイドや両親にそうお願いしたからよ。理由は……貴方がもう少し大きくなったら、ね」
「う……」
クリスティーナは流し目でそう告げる。
なんだかお預けを食らった気分だが、このフリッツ、そう言うのも嫌いじゃあないぜ。
「さて、貴方のことはリーサたちからの手紙でよく知っているわ」
クリスティーナはサラダを一口食べ、足を組みなおした。黒いドレスから見えるおみ足が眩しい。
冷静になれ俺……!ああでも圧倒的に顔が良い…!
銀髪の髪をハーフアップにしていて、前髪は結構長めで右目はほとんど隠れている。その目からは全ての生物を見下しているかのような冷酷な印象を受けるが、俺に対してはまるでハートでもみえるんじゃないかってくらい愛情のこもった視線を感じる。そして高い鼻に、見る者全ての視線を吸い込んでしまう程艶やかな唇。
彼女は外見で判断するなら大体十六、十七歳くらいだ。前世の基準ならJKくらいか。しかし彼女の色気は女子高生のそれがお子様レベルに感じるくらい桁外れだ。
俺が悶々としているうちに、彼女は話し始めた。
「フリードリヒ・リグル・アスモダイ。五歳。私の可愛い、そう本当に可愛い弟。好きな食べ物は牛のステーキ。嫌いな食べ物は特になし。卵を生で食べようとする悪癖がある。好きな紅茶の茶葉はグラー半島から取れる茶葉で、これがお茶会に出るとお喋りが多くなる。お茶会ではクッキーをよく食べるそうね。私も作るのが得意なの。今度振舞うわ。両親には勿論、執事やメイドにも礼儀正しく、勉学の成績もよく、五歳にして教えることが少なくなってきた。剣は扱えないが、魔王親衛隊副隊長サリヤのお陰もあって鉾槍を扱えると。サリヤからは身体が成長すればきっとどの隊員にも勝てるようになると言うお墨付きね。私は剣術を昔から習っているから機会があれば教えるわ。使える得物が大いに越したことはないからね。それから――」
クリスティーナはぶっ壊れた蛇口から溢れ出る水のように俺に関するトピックの羅列を始めた。正直に言えば少し怖いが、俺は彼女の気持ちが理解できないことはない。
さっきも言った通り俺には四人の弟と妹がいた。俺と彼らには少し歳の差があり、俺は彼らにとっての親代わりとも言える存在だった。だからか、俺は彼らの事を溺愛していた。今でも彼らの好きな食べ物だったり嫌いな食べ物、趣味嗜好、交友関係などなど一人一人言える自信がある。そう、まるで目の前の彼女のように。
クリスティーナが何故俺のことをここまで好いてくれているかはわからない。だが、彼女の気持ちを理解できる俺がすべきことは、その愛情に精一杯応えることだろう。
…しかし、今のクリスティーナのこの暴走とも言える事態は止めた方がいいのかもしれない。豪族の皆様の視線が痛い。彼女は彼らにとても尊敬されていたらしいが、今の彼らの視線からは尊敬の欠片すら見出せない。
「クリスお姉ちゃん、そろそろ…」
「それと、フリッツは魔術に興味が無いそうね」
「え?」
今、聞き逃せない言葉が聞こえた。
俺が魔術に興味が無い?そんな訳はない。だって俺は機会さえあれば魔術を教わりたかったが中々タイミングが見つけられなかった哀れな男。むしろ興味津々である。
「あら?違うの?リーサからの手紙にそう書いてあったのだけれど」
バッとリーサを見ると、彼女は何故俺がそんなに慌てているのか分からない、と驚きの表情を浮かべていた。
「え、だって坊ちゃん。三歳の頃からサリヤさんから武器の使い方を教わっていましたし…魔術よりも武術の方がお好きなのかと……」
な、なんてことだ…。確かに俺はサリヤにお近づきになるために彼女から鉾槍を教わっていた。だが、それに並行して魔術の授業を行うことも出来たはず――。
いや、無理か。俺がサリヤから教わる前、俺は昼の休憩を挟み午前と午後、どちらも勉学の授業で埋まっていた。しかしそこにサリヤの授業が加わったことで、午後は座学ではなくサリヤに鉾槍を教わる時間になった。
そのため、そこに魔術の授業すら追加しようとすれば、今度は座学の授業さえ無くなってしまう。恐らく、アスモダイ家では子供には武術か魔術、どちらか一方しか教えていなかったのであろう。そうでなければスケジュールがキツキツ過ぎる。…こうして考えてみると、俺って結構頑張ってたよな。午前は座学、午後は鉾槍。この生活を約二年行っていたのだと言うから、我ながらすごいと思うぜ。
おっと、本題とずれたな。
「確かに、僕はサリヤから鉾槍を教わっていましたが、決して魔術に興味が無いわけではありませんよ」
「あ、そうだったのですか?ごめんなさい、私てっきり…」
「全く…あなたの早とちりの癖は昔のままね…」
クリスティーナにそう言われ、リーサはしょぼんとしていた。仕方がない。あとでこのフリッツが慰めてあげよう。今はやるべきことがある。
「クリスお姉ちゃんは魔術は使えるんですか?」
「ええ、王立学校でも習ったわ」
「そういうことなら、クリスティーナお姉様、僕に魔術を教えて頂けませんか?」
俺がここまで魔術に固執するのには理由がある。
魔術を使ってみたいという純粋な興味もあるが、魔神との約束のためだ。
彼女との契約を果たさないと俺はこの身を八つ裂きにされてしまうからな。そのためには俺は何かどでかい事をやらなければいけないらしい。そのためには力が、誰にも負けないくらいの力が必要だ。そのためには武術だけではなく魔術の腕があるに越したことはないだろう。それに魔神が、あの年上美人があんな表情を見せるくらいの悲願らしいからな。力になりたい。
だから俺は居住まいを正し、目の前の少女、クリスティーナにそう言った。
「………」
しかし、クリスティーナは不満げな表情を隠そうともしない顔で俺を見る。
あ、あれ。想定と違うぞ。きっと彼女のことだからわかったと即答してくると思ったのだが。
「クリスお姉ちゃん、お願い」
「え?」
「私のことはクリスお姉ちゃんと呼びなさいと言ったでしょ?そして敬語は不要とも。ほら、もう一度やり直して」
どうやらクリスティーナは俺が頼みごとをするなら誠意を見せなければと真面目腐った口調でお願いしたのが気に入らなかったらしい。可愛すぎんか?
まぁ、気持ちはわかる。俺も弟や妹に敬語で話しかけられたら面食らうしな。
「ク、クリスお姉ちゃん、お願い」
「ええ。まだ少し固いけど、今は良しとしましょう。じゃあ明日から私のお部屋でお勉強会といたしましょうか」
そう言って彼女は、今日一番の笑顔を俺に見せてくれた。
左目の泣きぼくろが眩しいです…!
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