夜の運河
葉島航
第1話 ベネチアへ
海外に来たことを初めて実感したのは、乗り込んだバスが右車線を走り出したときだ。鏡を見ているような、不思議な感覚。
ハルは、やたらと広い車窓から通りを眺める。
日本とは違う、洒落た街並み。どこがどう違うのかと聞かれると、うまく答えられそうにないのだけれど。
ちらちらと、鮮やかな壁の落書きが目に入る。こういったところは、どの国もあまり変わらない。
出発前に、「落書きのある通りに出たら、引き返しなさい」と言われたことを思い出す。落書きは、治安が悪いことの目安なのだ。誰に言われたのかは忘れた。
バスはやがて開けた土地に出る。右も左も、広がるのは青々とした田園だ。その広大さに、ハルは目を見張った。彼女自身、田舎町出身だが、広さの格が違うのだ。どこまでも続くような地平の中に、時々、一軒家が建っている。比較的新しく、裕福そうな家もあれば、明らかに朽ちた家もあった。
太陽がまぶしい。
腕時計に目を向ける。海と太陽をあしらった、お気に入りの小さな腕時計だ。針は午後六時を示している。
飛行機を降りてから、時刻をまだ合わせていないことに気づき、時計の針を巻き戻す。日本とイタリアの時差はおよそ七時間。午前十一時だ。
バスは、港の手前で停車した。水上バスの乗り口は、すでに人でごった返している。
斜め掛けかばんの留め口に手を添え、列に並ぶ。イタリアの観光地はスリが多いため、用心に越したことはない。
この街にやって来るのは、これで二度目だ。一度目は、彼女がまだ小学生だったころ。姉と一緒だった。
ちょうど十年前、失踪した姉と。
彼女が再びここを訪れたのは、その姉を探すためだ。
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