閑話:放浪卿のはじまり
夜の帳が下りる頃。
このまま城に戻れる状態ではなかったアリスタは、変人の町医者の元に寄った。怪我というよりは猛烈な吐きに気に襲われたせいである。
今回の作戦に協力した町民たちがこぞって町医者のいる廃屋もどきに集まった。無論、中には野次馬も混じっていただろう。
注目することを避けたかった僕らとしては、失敗の一つとも言える。
リゲルとオスカーはこのまま置いていくわけにも行かず、アリスタの回復を待つことにした。
気絶した泥ネズミの男たちに、ジョラス・トラッドの死体。
後始末のことまで気を回していなかったアリスタだが、リゲルがすでに手配していた。
陸軍大臣の顔色を伺っていては色々と面倒だからと、飛龍の騎士の名代で指揮権の一部を行使したらしい。少年であっても彼の背後には青の国の最高権力者の一族、フローライト家がある。本人としては使いたくない手だったのだが、家名乱用をせざるを得なかった。
「ジョラスの部下だったとしても有効な情報は得られないだろうな」
「どうしてそう思うの? 敵のアジトとか、首謀者が分かるかもしれないのに」
「本当のことを言っても嘘を吐いても、殺されることを分かっているからだ」
いずれにせよ、隠し通せる作戦ではなかったが、ジョラスを捕らえてさえいれば、不問にしてくれる可能性があったのだが………。
シリウスに見つかったら物凄く怒るだろうな、とオスカーはため息をついた。
町医者はまたブツブツと文句を言いながら、ぎゅうぎゅうに絞ったシトラス(小ぶりのレモン)をそのままアリスタの口の中に流し込んだ。
ここの街角、正確には街角から外れた貧民街の食事は粗末なものだった。子どもたちが酒場に集まって大人にたかるわけである。リゲルは眉をひそめながら固いパンをかじった。
「城に帰ったらオニオンスープ作るよ」
無理矢理呑み込んだリゲルは、素直に頷いた。
やはり上等な食事ばかりを口にしていたリゲルには貧しい食事は過酷なのかもしれない。
アリスタの罵声に二人は思わず様子を伺った。ゲテモノのジュースをアリスタに試飲させようと町医者がふざけ始めたせいらしい。
「血が苦手なくせに剣術で闘おうとしたんだろうな」
「それは僕も疑問。魚の血でも気分悪くなるらしいから、結構我慢してたんだと思う」
「よく分からん男だ」
野次馬の中から子どもが一人、項垂れたアリスタに駆け寄ってきた。カルマよりも幼い少年だ。
「これ、返す」
子どもの容姿からは不釣り合いな細工の美しい腕輪だ。アリスタが取られた、と言っていたアコヤ貝の腕輪だろう。
きっと事の顛末を近くで見ていたに違いない。
「それはお前たちが協力した報酬だ。海賊は仕事をした奴にだけ、宝を与えるのさ。いざって時はそれを売って腹の足しにしな。もし巻き上げるような奴がいたらこう言ってやるんだ。『これは偉大なる海賊からもらった宝物である。これを受け取ったのならば海賊に代わり海神へ御礼をすること』ってな」
子どもはオスカーとリゲルの方を見た。
「ありがとう」
御礼を言った子どもはまた野次馬の中へと姿を消した。
「…………」
「アリスタ?」
子どもに向けた兄貴面とは違い、少し気落ちしているような表情に変わった。
「あいつといつも遊んでいたガキが泥ネズミに殺された。それをあいつが知ったのは、川に上がった子どもの死体が上がった随分後だ。いつもの遊び場に来なくなって気が付いたって。あの時の死体は自分の友だちだったってな」
子どもの死に泥ネズミ、いやジョラス・トラッドが関わっていた説は濃厚だろう。彼の手口は惨殺した後、水場に投げこむことを繰り返していた。死体が水に濡れれば血も流れ証拠の隠滅が容易にできるから、という思考があの狂人にあったとは思えないが………。
アリスタのここまで真剣な表情は始めて見た気がした。
「ここじゃ、そういうのは日常茶飯事だ。なんて言葉で片づけたくねえんだよ」
「………アリスタ」
「俺は敵を取った。って言えないな、この様じゃ」
ジョラスを追える程の体力がまだあれば、とアリスタは繰り返し悔やんでいた。恐らく、捕らえて情報を吐き出せることが出来れば大成功、自分の手で仕留めることができれば成功だったのだ。
「井の中の蛙大海を知らず、か」
海を知っても井を知らない蛙なんて干からびてしまえばいいのだ、とアリスタは呟いた。
「ちがうよ、それ。『井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る』だよ」
オスカーは得意になって答えた。
「アリスタは空が青いこと、とっくに知ってるじゃないか」
口々に御礼を言い、酒を持ち込み戯れる町民たちに囲まれる海賊は、照れて目を逸らした。
この海賊の青年は、後に「放浪卿」と呼ばれ、グラン・シャル王国において、最も国民に愛された臣下と記されることになる。
共に生きる者は皆、この海賊から絆の意味を知った。
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