第48話 鴨鍋の季節・みどりと森の自由民権運動



 渡り鳥の季節となり、ハクチョウやカモが渡来するようになりました。

 新潟市の信濃川でもカモが羽を休める季節がきます。


 国会でいいカモになっている山際大臣。健忘症がひどすぎませんか?


 信濃川を見渡す河畔に聳え立つ、旧新潟県会議事堂。


 帝国議会が開設される7年前、明治16年に竣工した建物は令和10年まで耐震補強工事に入ります。しばらく見学はできません。


 なぜ、山際大臣の名前が出方というと、同じ山際やまぎわでも、

 新潟市西区木場の「山際やまぎわ七司しちし」という自由民権運動家がおります。


 山際という姓は、全国で大きくわけて三重県と新潟県の二つがルーツとされており、その新潟のルーツの一つがこの山際氏だといわれています。


 山際七司氏は、1849年、西蒲原郡木場村の庄屋の家に生まれ、戊辰戦争では米澤藩に付き、旧幕府軍側として従軍しました。


 明治維新直後から、薩長政権の横暴がはじまります。それに反発した全国の有志の間で自由民権運動が高まり、山際七司氏もこの運動に加わります。


 1879年(明治13年)に新潟県会が開かれると、県会議員に当選。その後も薩長政権の横暴は止むところを知らず、新聞条例という言論弾圧が行われます。


 その第1号が高田事件といわれる新潟県の高田で起こった事件(1883年)早稲田大学の創立に貢献した市島謙吉もこの事件に連座して逮捕されています。(その事件にちなんで高田春日山城にちなんで「春城」と名乗ったと)


 山際七司氏の運命の出会いは、新潟県会に当選したとき、その書記であった尾崎おざき行雄ゆきお氏との出会いでした。

 後に憲政の神様と呼ばれ、東京市長としてワシントンに桜を送った人です。

 この二人は協力しあって国会開設運動などに取り組み、板垣退助が自由党を立党すると山際氏は幹事に就任します。


 1890年に帝国議会が開設されると、その第1回衆議院議員に当選しますが、翌年遭えなく病死します。享年42歳。早すぎた死でした。


 生家の敷地には、記念碑(頌徳碑)がありますが詳しい施設はありません。

(近くの目印は「みどりと森の運動公園」です)


 その見学のついでと言ってはなんですが、


 新潟市西蒲区山口新田に「割烹 長吉」という鴨料理の美味しい料亭があります。

 このお店の鴨は冷凍ものではありません。狩猟されたカモや近くで捕獲されたものを使っています。

 東京では食べることができない本物のジビエを味わってみませんか。

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