18 四航戦の執念

 ホーネットの艦橋を、衝撃と爆風が駆け抜けた。

 ミッチャー艦長は咄嗟に床に伏せた。熱波が、頭上を通り過ぎていく。


「ダメージ・リポート!」


 立ち上がりながらそう叫んだミッチャーは、艦橋が凄惨な有り様となっていることに気付いた。

 体当たりした敵機の破片や、砕け散った防弾ガラスが艦橋内を飛び回り、艦橋要員たちを殺傷していた。中でもミッチャーの目を引いたのは、操舵手であった。最後まで雷撃から艦を回避させようと舵に取り付いていたのだろう、彼は舵輪にもたれ掛かるようにして息絶えていた。


「衛生兵! ただちに艦橋に上がれ!」


 だが、伝声管にそう叫んだ直後、ホーネットをさらなる衝撃が襲った。下から突き上げるような、不穏な衝撃。

 ホーネット右舷舷側に、水柱が立った。

 衝撃は一度では終わらず、直後に艦後部が持ち上げられるような爆発が起こった。二本目の、魚雷命中である。

 さらにホーネットの船体に閃光が走る。

 上空から逆落としに突っ込んできたヴァルの投下した爆弾が、彼女の飛行甲板を抉ったのだ。格納庫の開放部から爆風が飛び出し、爆弾が炸裂した衝撃で前部エレベーターが吹き飛ばされる。

 艦橋に打撃を受け、その中に詰める者たちが軒並み死傷しているホーネットは、満足な回避運動は行えない。

 最初にミッチャーが命じた取り舵のまま、艦は緩やかに旋回している。

 被害報告も、艦橋に繋がる電路が切れてしまったのか、なかなかもたらされない。

 ミッチャーが無力感を感じていると、さらに左舷からジャップ雷撃機が飛び去っていった。被雷し、速力を落としつつあるホーネットに、これを避けるすべはない。

 不意に、ミッチャーは自らの意識がどこか遠くなっていくのを自覚していた。

 戦闘の興奮で痛みを感じてないだけで、きっと自分もどこかを負傷していたのだろう。

 新たな衝撃が自らの指揮する艦を襲うのを感じながら、ミッチャーの意識はゆっくりと暗転していった。






 ホーネットの右舷側より雷撃を敢行した瑞鶴艦攻隊は、二本の魚雷を命中させることに成功していた。さらに上空から突入した翔鶴艦爆隊は、ホーネットに七発の二五〇キロ爆弾を命中させている。

 この時点でホーネットは菅野機の艦橋突入によって指揮系統に大きな乱れが生じており、続く左舷側からの翔鶴艦攻隊の雷撃を十分に防ぐことが出来なかった。

 結果として、さらに三本の魚雷がホーネットの左舷に命中し、彼女は計五本の魚雷をその身に受けることとなったのである。

 これによりホーネットは艦全体が黒煙に包まれ、徐々に傾斜を深めていくこととなる。

 一方、翔鶴艦爆隊の投弾が成功するのを上空で見ていた瑞鶴艦爆隊長の江間保大尉は、これ以上の米空母攻撃は無意味と考え、独断で目標を米巡洋艦に変更した。

 この時、目標とされたのは重巡ミネアポリスであり、必死の回避運動も虚しく彼女には六発の二五〇キロ爆弾が命中することとなった。

 そして、ようやくこの頃になってミッチャー少将の要請したエンタープライズ戦闘機隊十二機が炎上するホーネットの輪形陣上空へと到達した。

 彼らエンタープライズ戦闘機隊は、眼下で炎上する二隻の友軍艦艇を見て怒りに駆られたのだろう。帰投のために空中集合をかけて戦場海域を離脱しようとする五航戦攻撃隊に襲いかかった。

 この空戦で、日本側はさらに零戦二機、九九艦爆二機、九七艦攻一機が失われた。その中には、米艦隊上空に留まって自らが率いてきた艦爆隊の戦果を確認していた関衛少佐の機体も含まれている。

 五航戦を発艦した第三次攻撃隊はホーネットに痛撃を与えつつも、その代償として優秀な搭乗員多数を失ったのである。

 五航戦攻撃隊がF4Fの追撃を振り切り、母艦への帰路についたのは一〇四〇時過ぎであった。彼らは米軍機に後を尾けられて自らの母艦の位置を悟られないよう、大回りで帰還を目指すこととなったのである。


  ◇◇◇


 一方、一航艦との合流を目指し北上を続けていた第二艦隊は、〇八五〇時、龍驤と隼鷹から攻撃隊を発進させていた。

 戦艦陸奥の通信室が、菅野機の放った索敵報告電を受信していたのである。それは発光信号でただちに龍驤に伝えられ、四航戦航空参謀である奥宮正武少佐が急いで自艦隊と敵艦隊との距離、方位などを導き出した。

 その結果、新たに発見された米空母部隊は第二艦隊から二〇〇浬ほど離れた地点に存在していることが判明。意外に米空母部隊は西進していた。これならば、十分に攻撃圏内にある。

 角田はこの時点で攻撃隊発進を決意し、〇八五〇時、龍驤から零戦九機、隼鷹から九七艦攻十二機が発艦した。

 攻撃隊長は、隼鷹艦攻隊長の入来院いりきいん良秋大尉である。なお、九七艦攻に装備されていたのは、八〇〇キロ陸用爆弾であった。

 角田少将は自ら飛行甲板に上り、難しい攻撃となるだろうがしっかりやってもらいたい、と搭乗員を激励した。そして、母艦は諸君らを追ってさらに敵空母に向けて突撃を続けるつもりである、と言葉を結んだ。

 彼は、片道二〇〇浬の往復という攻撃距離が搭乗員たちにとって過酷なものとなるであろうことを理解しており、一刻でも早く母艦に辿り着けるようにしようとしたのである。

 そうして二隻の母艦を飛び立った四航戦攻撃隊は、発艦から二時間ほどが経った一〇五五時(現地時間:一三五五時)、行く手に濛々と立ち上る黒煙を発見した。

 偵察席にある入来院大尉が双眼鏡で確認すると、それは炎上する米空母と巡洋艦の姿であった。

 出撃前、彼らは一航艦の五航戦が四航戦よりも先に攻撃隊を発進させたことを知らされていた。同士討ちなどに気を付けるようにという意味だったのだろうが、一方で同一目標に攻撃を集中させ過ぎるなということもであったのだろう。

 入来院大尉が隼鷹飛行長・崎長嘉郎少佐から伝えられたところによると、健在な米空母は二隻存在するという。一隻はどうも五航戦攻撃隊が重大な損傷を与えたようである。

 出来れば、無傷の空母を叩きたい。搭載しているのは陸用爆弾であるとはいえ、一発でも命中させられれば飛行甲板を使用不能と出来る。

 他に敵空母は見えぬかと、入来院大尉は双眼鏡で周囲の海域を見回していく。と、黒煙を上げる米空母を中心とする輪形陣の先に、何かが見えたような気がする。

 だが、それを確認する前に操縦員の吉山富一飛曹長の叫びが機内に響いた。


「上空にグラマン! 零戦隊、向かいます!」


「くっ……」


 思わず、入来院大尉は歯噛みした。もしかしたら、この黒煙の先に健在な米空母がいるかもしれない。だというのに、敵機が自分たちの行く手を阻もうとしてきたのだ。


「各機、編隊を崩すな!」


 水平爆撃は、ただでさえ命中率が悪い。それを補うための編隊での公算爆撃なのだ。絶対に編隊を崩すわけにはいかなかった。

 黒煙を上げる米空母は、徐々に近付いてくる。

 このまま航過してその先に見えたものを目指すか、この黒煙を上げる米空母を攻撃するか。

 迷っているほどの時間はなかった。


「全機、突撃隊形作れ! 目標、針路上の米損傷空母!」


 一瞬の逡巡の末、入来院は目の前で断末魔の黒煙を噴き上げる米空母に止めを刺すことに決めた。

 電信員の渡辺秀男二飛曹が、ただちに「トツレ」を打電する。

 米戦闘機による迎撃で九七艦攻に被害が出れば、ますます水平爆撃の成功確率が下がってしまう。そうなる前に、目標に爆弾を投下する必要があった。

 現れたグラマンは十機ほど。上空五〇〇〇メートルを飛ぶ小林実大尉率いる龍驤零戦隊が、その下にある艦攻隊を守ろうと必死にグラマンを防いでくれている。

 入来院大尉率いる艦攻隊の編隊は、水平爆撃の練度の高い搭乗員を乗せた機を嚮導機とする隊形に素早く組み換えた。

 黒煙を上げる二艦を守るように輪形陣を組んでいた眼下の米艦艇から、対空砲火の発砲炎が見えた。数瞬の間を置いて、対空砲火の炸裂を示す黒煙が次々と現れる。

 入来院は真珠湾攻撃の際、翔鶴艦攻隊分隊長としてカネオヘ、フォード飛行場などへの水平爆撃に参加していた。

 今回の水平爆撃は、動かない地上目標ではなく海上を漂う小さな目標である。十二発の八〇〇キロ爆弾を落として、どれだけ命中させられるか。

 嚮導機を先頭に、高度三〇〇〇メートル進む九七艦攻の編隊。

 この高度であれば、敵の対空砲火は高角砲程度しか届かない。対空砲火の炸裂に風防が震えながらも、十二機の九七艦攻は嚮導機の爆弾投下を合図に次々と八〇〇キロ陸用爆弾を切り離していく。

 黒煙を上げる米空母上空を通過するのは、一瞬のことであった。


「すまんが渡辺、戦果の確認を頼む」


 偵察席にある入来院大尉はそう言って、双眼鏡を覗き込んだ。先ほど見えたものの正体を、確かめようとしたのである。

 九七艦攻の編隊は、ゆっくりと旋回しつつ母艦への帰投針路に入ろうとする。

 その瞬間、入来院大尉の目に無数の航跡を引く艦影がはっきりと見えた。注意深く観察すると、それは戦艦一、空母一などを中心とする艦隊のようである。

 間違いなく、これが健在な米空母を含む輪形陣だろう。

 もっとも、すでに爆弾を投下してしまっている自分たちに、この米艦隊を攻撃することは出来なかったが。


「三発命中を確認!」


 後部座席からの歓声を、入来院大尉は満足と口惜しさの混じった感情で聞いた。


「……やむを得ん。各機、敵戦闘機の追撃に注意しつつ帰投するぞ」


 傾斜を深めつつあるように見える米空母の姿を最後に見て、入来院大尉はそう宣言した。






 実際にホーネットに命中した八〇〇キロ陸用爆弾は、一発のみであった。

 しかし、至近弾となった四発はすでに喫水線下を魚雷によって抉られていたホーネットにとって、さらなる打撃となった。

 爆弾が炸裂したことによって発生した水圧が、魚雷の破孔から艦内に入り込み、隔壁をさらに歪めてしまったのである。

 この浸水によってホーネットは左舷へと徐々に傾斜を深めていくこととなり、一五〇〇時(日本時間:一二〇〇時)、ついに総員退艦命令が発せられることとなった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 ホーネット艦長マーク・ミッチャー少将が戦傷により治療の甲斐なくホーネット医務室において死亡したことがスプルーアンス少将の下に伝えられたのは、一四三〇時(日本時間:一一三〇時)のことであった。

 敵機ないし艦橋壁面の鉄片が腹部に突き刺さって臓器を傷付け、大量の出血によって失血死したという。

 指揮系統が麻痺し、被弾によって各所の電路も切断されていたホーネットでは、適切なダメージ・コントロールが十分に行えず、復旧は絶望的との報告が入っている。

 一方、六発の爆弾を被弾したミネアポリスであるが、こちらも被弾によって艦内各所で電路が切断、発電装置なども一部が破壊されたため、ダメージ・コントロールに失敗していた。さらに至近弾の衝撃などもあって浸水が拡大しつつあるという。

 ミネアポリスのフランク・J・ローリー大佐からは、艦の放棄を許可して欲しいとの要請が出されている。


「パールハーバーの時とは、ジャップの執念が違うな」


 悲痛な雰囲気に包まれそうになるエンタープライズ艦橋で、スプルーアンスは冷静に分析するように色のない声音で言った。

 真珠湾攻撃の際、ジャップは燃料貯蔵庫やドックなどの重要な基地施設は狙わずに引き上げてしまった。インド洋での海戦でも、ジャップ空母艦隊は英東洋艦隊を壊滅に追い込むと、セイロン島の基地施設にはほとんど手を付けずに撤退している。

 どちらも一度の攻撃による被害は大きかったが、ジャップが徹底的な追撃を行わなかったお陰で、最悪の事態は免れていた。

 だが今回の海戦では、どうもそうではないようだ。

 フレッチャーの第十七任務部隊を片付けて攻撃の手を緩めるかと思えば、逆にさらなる攻撃隊を発進させてホーネットを撃沈にまで追い込もうとしている。

 執拗とも、執念とも取れるジャップ司令官の指揮であった。

 司令官がナグモから交代したとでも言うのだろうか……?

 そんな疑問をスプルーアンスは覚えていたが、そうした分析は真珠湾に帰還してから戦訓分析の中で知ればいいことである。

 今、自分がすべきことは今後のエンタープライズの行動である。

 スプルーアンスは残った日本空母を捕捉、攻撃すべく、すでに索敵機を発進させていた。

 索敵機発進時点で、彼は南雲艦隊に残る空母の数を一隻と見積もっていた。ホーネットを襲った日本機の数も、彼の確信を深めるものとなった。

 日本側空母は米軍空母と違い、搭載機全機を一度に発進させられるだけの飛行甲板の広さや射出機などの装備を持たない。だからこそ一度に放てる攻撃隊の数が限定されてしまうのであるが、逆に第三次攻撃隊の六十九機という機数は、米側にとっては一隻の空母から発進出来る数に近かったのである。

 これが、スプルーアンスが残る日本空母は一隻のみと判断した理由であった。

 その後、ホーネットはジャップ艦載機の水平爆撃隊に襲われていたが、機数が少なかったため、索敵用として使っていた九七艦攻ケイトを急いで爆装したものだろうと、第十六任務部隊司令部は判断していた。

 合衆国海軍は日本海軍と違い、SBDドーントレスを索敵用として使用している。自分たちと同じことをジャップも行っているだろうと、彼らは極めて合理的に考えていたのである。まさか、一航艦が対艦攻撃能力が低下するからと、索敵に九七艦攻を出し惜しみしていたことなど、知る由もない。

 さらに一三三〇時(日本時間:一〇三〇時)頃、ミッドウェーの基地航空隊からもたらされた情報も、彼らの確信を深める要因となった。

 ミッドウェー島南西に発見されたジャップ艦隊に対し、基地航空隊は戦果確認のためにPBYカタリナ飛行艇を発進させていた。これが、西方に向けて退避中のジャップ空母と思しき艦影を発見したのである。

 実際には、この艦影は第二機動艦隊から分離して攻略部隊との合流を目指していた瑞鳳、祥鳳とその護衛なのであるが、そのような事情を合衆国側は知りようもない。

 やはり六隻中二隻は上陸船団の護衛についていることは間違いない。スプルーアンスを始め、第十六任務部隊の司令部はそう確信してしまったのだ。

 西方に向けて退避中ということは、基地航空隊は南西に発見されたジャップ艦隊に相応の打撃を与えられたということだろう。ならば、あと一隻のジャップ空母を見つけ出し、これを撃破すればミッドウェー防衛という合衆国の戦略目標は達成出来る。

 さらにこの時、エンタープライズには二つの朗報が届いていた。

 一つ目は、行方不明となっていたホーネット戦闘機隊と艦爆隊が、ミッドウェー島に不時着していたというものである。戦闘機隊は残念ながら不時着水であったためにほとんどが失われてしまったが、エドガー・ステビンス大尉率いるSBDドーントレスはまだ二十五機が健在であるという。

 これを一度、母艦であるホーネットに戻すことも検討されていたが、結局、ホーネットが空襲で損傷したので、そのままミッドウェー島からジャップ空母攻撃に参加させることとなった。

 つまり、ホーネットは失われようとしているが、その母艦航空隊の一部は未だ健在だったのである。

 これで事実上、空母二隻分の艦爆隊を第十六任務部隊は残していることになる。

 二つ目は、ついに残るジャップ空母を発見したというものであった。この報告は一四三〇時にもたらされた。

 さらにこの索敵機は続けて、その南方に航行不能となったジャップ大型空母一隻を発見したことを報告している。どうも戦艦に曳航の準備を整えさせているところであるとのことであった。

 恐らく、マクラスキー隊が爆弾を命中させたアカギかカガであろう。

 まだ、主は自分たちを見捨てたわけではない。

 少なくとも第十六任務部隊司令部は、際どいところで天秤は自分たちの方に傾きつつあると考えていたのである。

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