暁のミッドウェー

三笠 陣

1 長い一日の始まり

 その海域は、この地球上で最も遅く日が昇る場所の一つであった。

 今、夜の闇に支配されたその海域の彼方が白み始めていた。世界でもっとも遅い暁が、訪れつつあったのである。

 その払暁を迎えつつある海に、無数の航跡を残しながら進む艨艟たちの群れがあった。

 夜と朝の狭間を覗かせる水平線の果てを目指すかのように、彼女たちは進んでいた。

 巨砲を持つ戦艦、城塞のような艦橋を持つ巡洋艦、その身に一撃必殺の魚雷を備える駆逐艦、そして何よりも、平たい甲板に無数の航空機を並べている航空母艦。

 精強なる水兵たちを乗せた艨艟の群れは、すでに日付変更線を越えていた。

 その艦隊は、四隻の空母を守るかのように陣形を組みながら進んでいる。

 そして、その四隻の甲板上では、夜明けを待ちわびるかのように無数の航空機が暖気運転の轟音を響かせていた。

 零式艦上戦闘機と九七式艦上攻撃機の中島「栄」発動機、九九式艦上爆撃機の三菱「金星」発動機が、周囲を圧するかのような音を奏で続ける。

 やがて、その轟音が最高潮に達しようとした刹那、空母は艦首を風上へと翻した。

 それに付き従うように、残りの艦艇が舵を切る。

 払暁の空の下、三十隻を超える艦隊が一斉に舵を切り、一糸乱れず航行を続ける様子は、一つの絵画的光景ですらあった。

 時は一九四二年七月五日。

 後に「ミッドウェー海戦」と呼ばれることになる死闘が行われる海域は、人間たちの奏でる騒音とは無関係に、ただ静かに夜明けを迎えようとしていた。






「赤道を越えた次は、日付変更線を越えることになったか。何とも因果なことだな」


 特徴的な艦影を持つ航空母艦・龍驤の艦橋で、第四航空戦隊司令官・角田覚治少将は前方を見据えながら感慨に耽っていた。

 彼はこの龍驤と共に日米開戦を迎え、フィリピン攻略作戦を始めとする南方作戦ではこの地域唯一の空母として獅子奮迅の活躍をした。そして数時間前に日付変更線を越えて、今回のミッドウェー島攻略作戦「MI作戦」に参加している。

 現在、龍驤が所属しているのは、近藤信竹中将率いる第二機動部隊である。重巡愛宕を旗艦とするこの艦隊は現在、ミッドウェー島の南西一七〇浬ほどの地点にあった。

 そして、白波を蹴立てながら進む龍驤に併走しているのは、龍驤と戦隊を組む商船改造空母の隼鷹。彼女たちに続くように、それぞれの後方に第二艦隊付属の空母瑞鳳、祥鳳が航行している。

 この四隻の空母が、角田の指揮する艨艟たちであった。

 とはいえ隼鷹を除けば、どの空母も排水量一万トン弱の小型空母でしかない。

 しかし、龍驤はその長さ一五六・五メートルの飛行甲板に三機の零戦と十四機の九七艦攻を乗せて力強く海面を切り裂いている。

 角田にとっては、開戦以来の相棒である。小型とは言え、暖気運転の轟音を響かせながら勇壮に進む様は、かつて龍驤と共に航空戦隊を組んでいたこともある大型空母の赤城や加賀にも劣らないと思っている。

 やがて、旗艦愛宕より航空隊の発艦を命ずる信号が送られてきた。


「艦長、始めてくれ」


 角田は、龍驤艦橋に立つ加藤唯雄艦長に頷いて見せた。


「はっ、全機発艦始め!」


 加藤大佐の命令は直ちに飛行長・吉富茂馬少佐に伝えられた。そして、飛行甲板上にて機体に取り付いていた整備員たちが、その命令を受けて最初の機体の車輪止めチョークを払う。

 その瞬間、滑るように零戦が飛行甲板の上で滑走を始め、発動機のもたらす九四〇馬力の力と合成風力が、自重約一七〇〇キロの機体を暁の空へと押し上げた。

 飛行甲板を蹴って飛び立った零戦の姿に、期せずして整備員たちの「万歳」の歓声が響き渡る。そして、その歓声に押されるようにして、二番機、三番機と飛び立っていく。

 手空きの乗員たちが、帽振れで攻撃隊の発艦を見送っていた。

 他の三空母からも、次々と攻撃隊が空へと舞い上がっていく。

 隼鷹からは零戦十三機、九九艦爆十五機、瑞鳳と祥鳳からはそれぞれ零戦六機、九七艦攻六機が発艦する。

 合計で、零戦二十二、九九艦爆十五、九七艦攻二十六機からなる六十三機の攻撃隊であった。

 発艦を終えた機体は艦隊上空の集合地点にまで上昇し、素早く編隊を組み上げていく。四空母からの発艦が終わり、すべての機体が編隊を組み終えると、六十三機の攻撃隊は機首を北東へと向けた。

 そこに、彼らの目指すべきミッドウェー島が存在する。

 やがて攻撃隊は隼鷹飛行隊長・志賀淑雄大尉に率いられながら、太平洋の暁の空へと消えていった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 太平洋のほぼ中央部に浮かぶミッドウェー島は、サンド島とイースタン島という二つの大きな石灰岩の島と、無数の小島から形成されている環礁であった。

 現地時間七月四日の朝を迎えつつあるこの島で、一人の男がどこか待ち遠しげに上空を見つめていた。

 ジョン・フォード。

 今年で四十七歳となる、アメリカを代表する映画監督であった。今、彼は海軍の情報記録班の一人として、大尉の軍服に身を包んでサンド島に滞在していた。

 来たるべきジャップとの空戦を、自らのフィルムに残すためである。

 合衆国の青年の操る戦闘機が、ジャップの爆撃機を次々と撃墜していく。そんな映像を、彼は求めていた。

 ここのところ、フォードは連日、朝から八ミリを構えて抜けるような青空を見上げていた。


「本当に、こんな何もない島にジャップの連中はやってくるんですかねぇ……」


 合衆国がジャップに勝利する最高の映像を自ら撮影しようと熱意を燃やすフォードに対して、助手のウィリーは日本軍の来襲に懐疑的であった。

 実際、ミッドウェー島は石灰質の大地が広がるだけの殺風景な島であり、見るべきものといえば黒々としたアホウドリの大群程度である。オアフ島真珠湾のような大規模な軍事施設もなければ、ハワイ諸島のような風光明媚な豊かな自然もない。

 ただ、サンド島とイースタン島にそれぞれ滑走路が存在する程度であった。

 こんな辺鄙な島をわざわざ奪いに来るというジャップの思考を、ウィリーはどうにも理解しかねていた。


「来るさ」


 だがフォードは、確信を持ってそう答えた。


「パールハーバーの司令部は、ジャップの通信を解読してこの島に確実に連中の空母が来ると教えてくれた。Dディがいつになるのかは知らんが、連中は絶対にこの島に現れるさ」


「しかし、航空隊の連中もケチですな。監督を航空機に乗せてくれれば、ジャップの船を沈める絶好の映像が撮れるっていうのに」


「まあ、パイロット以外乗せられんと言われてしまってはやむを得んさ」


 とはいえ、フォードも内心では映像の価値を軍人連中は十分に理解していないと思っている。合衆国の将兵が勇敢に戦う映像を国民に見せれば、それこそ増税も国債も思うままだろうに。


「フォード大尉! フォード大尉はいらっしゃいますか!」


 と、切迫した声の伝令が二人の下に駆けてきた。


「何事か?」


「はっ、シマード大佐よりフォード大尉に伝言であります。『先ほど、哨戒に出ていたカタリナがジャップの大編隊とすれ違った。遠からずこの島にジャップの航空機がやって来るだろう。監督に神のご加護があらんことを』。以上です」


「そうか、伝令ご苦労」


 伝令の兵に海軍式の敬礼を返し、フォードは傍らの助手を振り返った。


「行くぞ、ウィリー。最高の映像を撮ってやるんだ」


「まさか、本気でやるおつもりですか?」


 流石に少し怯えの混じった表情で、ウィリーは聞き返した。このアカデミー賞受賞歴のある監督は、ジャップの空襲下で自ら撮影しようとしているのである。


「私は本気だ」


 そして、当のフォードは自らの望んだ映像が撮れる絶好の機会がやって来たことで、空襲の恐怖は完全に内心から吹き飛んでいた。


「予定通り、あの格納庫の上から撮るぞ」


 フォードの視線の先には、巨大な飛行艇格納庫があった。その屋根にカメラを設置して戦闘を撮影することを、彼はこの島を見回った時から考えていたのである。

 格納庫の屋根からならば、上空の空戦も、島に爆弾が落ちる瞬間も、どちらも撮影出来る。

 ミッドウェー守備隊司令官シリル・シマード大佐からは、格納庫は真っ先にジャップに狙われるとして考え直すように何度も言われていたが、フォードは映画監督の誇りに賭けて最高の映像を撮れる場所を譲るつもりはなかった。


「さあ、ウィリー。本当の戦争を撮りにいくんだ」


 そう言ってフォードは不敵に笑みを浮かべ、格納庫の屋根へと繋がる梯子を登り始めた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 ミッドウェー島の北西およそ二一〇浬の海域には、第二機動部隊の他にもう一群の日本海軍空母部隊が存在していた。

 南雲忠一中将率いる第一航空艦隊を基幹とする、第一機動部隊である。

 この艦隊が擁する空母は、開戦劈頭の真珠湾攻撃とまったく同じであった。

 第一航空戦隊の赤城、加賀、第二航空戦隊の蒼龍、飛龍、そして第五航空戦隊の翔鶴、瑞鶴の六隻である。

 翔鶴と瑞鶴の航空隊はすでにミッドウェー島に向けて攻撃隊を発進させた後であるだけに、その飛行甲板上は閑散としていた。

 一方で、一航戦と二航戦の四空母の飛行甲板上には、五航戦とは対照的に零戦、九九艦爆、九七艦攻が整然と並べられながら発艦の時を待っていた。九七艦攻の胴体下には航空魚雷が搭載されており、これら四空母の攻撃隊の目標がミッドウェーの航空基地ではなく、敵艦隊であることが窺えた。

 そして、その格納庫内では整備員たちに休息の暇は与えられていなかった。

 第二次攻撃隊を編成するための作業が、第一次攻撃隊の発艦準備作業と同時並行的に進められていたからである。

 これらの機体に燃料と爆弾、魚雷を搭載し、第一次攻撃隊の発進後、すぐに飛行甲板に上げられるようにしなければならない。

 さらに、五航戦によるミッドウェー攻撃隊発進と前後して、各艦では索敵機の発進が始まっていた。

 島という動かない目標であるミッドウェー島には索敵なしで攻撃隊を差し向けられるが、海上を駆け回る敵艦隊はまず索敵機を飛ばしてその所在を確認しなければならない。

 索敵機は、第五戦隊の妙高、羽黒、第八戦隊の利根、筑摩、そして艦隊に付属する千代田の五隻から零式水偵を第一段九機、第二段九機の計十八機を出すことになっていた。

 真方位〇度からミッドウェー島の北側である一三五度まで、十五度おきに一機、進出距離は三〇〇浬である。


「セイロンの時と違い、こちらが先制出来れば良いのだがな……」


 第二航空戦隊旗艦・飛龍の艦橋で、戦隊司令官・山口多聞少将はそう呟きながら各艦から発進していく索敵機を見送った。

 山口は、三ヶ月ほど前の一九四二年四月六日に発生したイギリス東洋艦隊の空母部隊との戦闘の苦い記憶を呼び起こしていた。

 この時、第一航空艦隊は英東洋艦隊の空母による先制攻撃を許していた。五日の薄暮、英空母を発艦した複葉雷撃機ソードフィッシュによる空襲を受けたのである。幸いにしてこの時は直掩の零戦隊の活躍によって撃退したものの、艦隊には重苦しい緊張感が流れていた。

 翌六日、一航艦はようやく英東洋艦隊主力の捕捉に成功してイラストリアス級空母二隻、R級戦艦一隻の撃沈を成し遂げたが、やはり先に敵に位置を特定されてしまっていることは大きかった。

 英艦隊との戦闘の最中、セイロン島の基地航空隊による爆撃を受け、空母赤城と翔鶴が被弾。航空機の発着が不可能となる損害を受けたのである。

 一航艦旗艦の赤城が被弾したため、指揮を継承した第三戦隊司令官の三川軍一中将は一旦艦隊を退避させて英艦隊やセイロン島との距離を取り、しかる後に夜戦にて英東洋艦隊との決戦を企図した。これを、軽巡長良に将旗を移した南雲中将も追認した。

 この時、一航艦には四隻の金剛型戦艦が存在していたので、南雲や三川の夜戦構想も突飛なものともいえなかった。

 だが結局、英東洋艦隊もセイロン島沖からの退避を試みたのか、その主力を再度捕捉することはついに叶わなかった。代わりに、セイロン島から退避しようとしていた空母ハーミスとその護衛艦艇を砲撃にて撃沈した程度であった。

 そして、それ以上の空母の損害を恐れ、南雲中将はその後に予定されていたトリンコマリー港空襲を断念し、艦隊を引き上げさせてしまったのである。

 海戦の経過だけを見れば帝国海軍の勝利であったが、山口としては索敵と追撃の不徹底に不満の残る戦闘となった。

 一航艦側が索敵において先制出来ていれば、もう少し南雲長官や三川司令官の判断も積極的になっていたかもしれない。あの時、一航艦には未だ蒼龍、飛龍、瑞鶴の三空母が残っていたのだ。

 果たして今回はどうなるのだろうな、と山口は明けつつあるミッドウェー沖の空を見つめながら思った。

 セイロン沖海戦の時に比べて索敵用に水上機母艦一隻が一航艦に加わり、索敵の方針も二段索敵となるなどインド洋での戦訓を多少なりとも取り入れてはいるが……。

 そんな益体もない考えが脳裏を渦巻いていた刹那、艦橋に見張り員の叫びが響き渡った。


「敵飛行艇と思しきもの、一機発見!」


「……」


 その報告に、山口は表情を一層引き締めた。今回もまた、索敵において敵に先制を許してしまった。

 だとすれば、遠からず敵機の来襲があるだろう。

 敵機の来襲が先か、こちらの索敵機が米空母を発見するのが先か。

 米空母がこの海域に存在しないという考えは、山口の頭の中にはなかった。

 上空の直掩についていた零戦が雲間に見え隠れする米カタリナ飛行艇を目指して上昇していく。すでに、索敵という形で戦闘は始まっているのだ。

 時刻は、未だ○二三三時(日本時間。七月五日。現地時間は七月四日〇五三三時)。

 恐らくは、長い一日となるだろう。

 山口は確信に近いそんな予感を胸に抱きつつ、じっと前方を見つめていた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  あとがき(註:本記事は「小説家になろう」様掲載時のものとなります。)


 本年二〇二二(令和四)年は、ミッドウェー海戦が発生してから八〇周年の節目の年にあたります。

 各種歴史雑誌でもミッドウェー海戦が取り上げられ、改めて日本の敗因の分析が行われました。

 そこで筆者もまた、この節目の年にミッドウェー海戦を描いてみたいと思ったのです。


 本来は実際に海戦が生起した六月に連載を開始出来れば良かったのですが、海戦内容の調査や執筆時間の確保などの問題から、終戦の月である八月から連載を開始することとさせていただきました。


 架空戦記小説においても、ミッドウェー海戦という題材は古くから扱われてきたものです。

 すでに素晴らしい作品がいくつも存在するテーマで筆者がどこまでこの海戦を新しく描けるのか、それに挑戦してみたいと考えております。


 八〇年を過ぎた今でも、あの海戦に対する未練は尽きません。

 ミッドウェー海戦に参加した将兵たちの無念、そして散っていった者たちへの鎮魂。

 様々な情念が、未だ渦巻いているように思えるのです。

 筆者もまた、そうした思いに捕らわれてしまった者の一人です。だからこそこの節目の年に筆を執らせていただきました。


 読者の皆様には是非とも、拙作に対するご意見・ご感想をお聞かせ願いたく存じます。

 また、ブックマーク、評価、レビュー等していただけますと大変励みになります。


 それでは、拙作を宜しくお願いいたします。


  主要参考文献

阿部善朗『艦爆隊長の戦訓』(光人社、2013年)

碇義朗『飛龍 天に在り』(光人社、2013年)

岩本徹三『零戦撃墜王』(光人社、2004年)

上原光晴『艦爆隊長 江草隆繁』(光人社、2015年)

生出寿『烈将 山口多聞』(徳間書店、1989年)

大木毅『第二次大戦の〈分岐点〉』(作品社、2016年)

亀井宏『ミッドウェー戦記』(光人社、1995年)

木俣滋郎『日本空母戦史』(図書出版社、1977年)

木俣滋郎『日本戦艦戦史』(図書出版社、1983年)

木俣滋郎『日本水雷戦史』(図書出版社、1986年)

木俣滋郎『日本軽巡戦史』(図書出版社、1989年)

木俣滋郎『日本潜水艦戦史』(図書出版社、1993年)

小板橋孝策『海軍かじとり物語』(光人社、2013年)

佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争』(光人社、2010年)

外山操『艦長たちの軍艦史』(光人社、2005年)

豊田穣『ミッドウェー戦記』(文藝春秋、1979年)

中川靖造『海軍技術研究所』(光人社、2010年)

松田十刻『角田覚治』(PHP研究所、2009年)

松田憲雄『雷撃機電信員の死闘』(光人社、2000年)

淵田美津雄・奥村正武『ミッドウェー』(朝日ソノラマ、1982年)

防衛庁防衛研修所戦史部『戦史叢書 ミッドウェー海戦』(朝雲新聞社、1971年)

防衛庁防衛研修所戦史部『戦史叢書 南東方面海軍作戦』第一巻(朝雲新聞社、1971年)

森拾三『奇跡の雷撃隊』(光人社、2003年)

森史朗『暁の珊瑚海』(文藝春秋、2009年)

森史朗『ミッドウェー海戦』第一部、第二部(新潮社、2012年)

A・A・へーリング(宇田道夫訳)『珊瑚海海戦 空母レキシントン撃沈!』(サンケイ新聞社出版局、1973年)

P・フランク/J・D・ハリントン(谷浦英男訳)『空母ヨークタウン』(朝日ソノラマ、1984年)

イアン・トール(村上和久訳)『太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで』上下(文藝春秋、2013年)

イヴァン・ミュージカント(中村定訳)『戦艦ワシントン』(光人社、1988)

エドワード・P・スタッフォード(井原裕司訳)『エンタープライズ』上下(元就出版社、2007年)

ゴードン・W・プランゲ(千早正隆訳)『ミッドウェーの奇跡』上下(原書房、2005年)

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