03-02:再び、辺境サヴィニアックで

(あらすじ:大陸の何処かに魔王が現れるようだ。魔王退治が始まる。一方、神々はオドの異様な魔力の出元を調査し、その過程でC神話の神と接触。オドの同意の元、魔力供給を遮断することに。要するに、オドは弱体化した!)


 「ん……?」

 オドを組み敷いていたレシュは、彼の雰囲気に違和感を覚える。


 ぺろん。

 唐突に、ヘビの長い舌でオドの頬を舐めた。

 「ひうっ!?」

 ビク、と体を震わせるオドをよそに、レシュは脳内の謎を言葉に変える。


 「あんたの魔力、こんなに綺麗だったっけ? なんというか、前はもうちょっとエグみのある感じだったような」

 「人をテイスティングしないで、よおっ!」

 オドはどうにかレシュを押しのけ、立ち上がって埃を払う。


 「色々あったんだよ、うん。色々と」

 物陰に隠れていたディーが、パタパタと二人の間に挟まり、事情を説明した。

 パーティメンバーに隠し事をしても仕方がない。

 具体的には、C神話の神々のこと、魔王が現れることを話した。

 

 「当面の影響としては、イオド神からの魔力供給がなくなるから、魔力量任せの戦闘はしづらくなるってことかなあ」

 「あーね。今までが明らかにおかしかったから、しょうがないんじゃない?」

 意外と、すんなりレシュは受け入れたようだ。


 「ディーくん、だっけ? 邪神の眷属ってゆーけど、見た目は普通の妖精族だよねえ。顔色ちょっと悪いくらい?」

 オドの肩の上に止まった彼の頭を、レシュは人差し指で撫でる。

 「……食べないでね?」

 引きつった笑み。伸びをしたレシュは、背が高い。


 「おおっ!? バタバタと騒がしいと思えば、羽虫が増えておるの!」

 騒ぎを聞きつけ、他のパーティメンバーもやってきたようだ。

 人化したドラゴンのダハリト。厨房からやってきたためか、エプロンスタイル。 


 「羽虫……」

 「ちょっとダハリト。この子にはちゃんと『ディー』って名前があるの」

 ディーは何やら身の危険を感じ、レシュの背後に隠れた。


 「新しく飼ったのか? 食べていいか?」

 「ダハリトくん。食べたら世界が終わりかねないから、やめようね」

 オドの制止には素直に従い、「ぬぅ、そうなのか」と引き下がっていった。


 「主。それは……小型のアンデッドか?」

 彼らの居る二階。窓の外から様子をうかがっているのは、象のタウロスたるクレオネス。

 身長四メートルほどもある彼は、地面からでも二階を見渡せる。

 

 「あ゛? それは聞き捨てならないぞ! 誰がアンデッドだって!?」

 羽音をぶんぶんと鳴らし、ディーは窓から飛び出してゆく。


 「見てよ、このぼくのすべすべ肌! 色は悪いけど、どう見ても腐ってないでしょ!?」

 クレオネスの眼前で、フリフリと尻を揺らす。


 「……羽虫は良くて、アンデッドはダメなのか?」

 「羽虫は生きてるけど、アンデッドは死んでるじゃん!」

 引き気味に、クレオネスはディーをなだめた。


 今のオドパーティの状況をまとめよう。

 まず、オド。主にヒーラー。司令塔。

 レシュ。ラミアの少女。生成した槍で戦うアタッカー。

 クレオネス。若い象のタウロス。大盾と大槌を軽々操るタンク。

 そして、ダハリト。ヒト化した古竜。炎のブレスで燃やし尽くすアタッカー。


 かつて在籍していたアルムはシュヴィルニャ地方で、遺跡の発掘を取り仕切っている。


 ともかく。この四人のパーティに、ディーが加わるというわけだ。


 「ふぅ。まったく。次アンデッド呼ばわりしたら、おじさんの目をくり抜くからね!」

 「わかった、分かったよ。すまない、次は気をつける」

 根負けし、クレオネスは朝の準備に戻っていった。


 「……アタシたちも、着替えてごはん食べに行こっか」

 「うん。今日はダハリトが当番だよね」

 顔を洗い、歯を磨く。

 野営ではこうは行くまい。

 今、彼らは大きめのクエストを終え、辺境サヴィニアックで小休止を取っているところであった。


 「……はぁ」

 オドに聞こえないように、レシュはため息をつく。

 この旅において、彼女の目的はまだ達成されていない。

 

 先の温泉旅行で気まずい目にあってなお、レシュはオドの身体を狙っている。

 あれから彼女は気が遠くなるほど慎重に立ち回った。

 世間一般の印象で見ると、オドの隣に立つものは誰かとアンケートを取れば、僅差でレシュが一位に躍り出るだろう。

 彼女は頑張っている。相部屋の際に一緒の部屋で寝られるほどの信用を勝ち取ることにも、成功した。


 だが、その先はまだだ。


 オドがレシュを襲う様子はない。

 逆に、レシュからも再度の一歩が踏み出せない。


 彼女としては、この状況が疼くほどもどかしかった。


 「アタシ、そんなに魅力ないかな……」

 しょんぼりと、肩を落とす。

 

 「え? そう? オドはあれで結構意識してると思うけど」

 いつの間にか肩の周りで、ディーがふよふよと飛んでいた。


 「うっそ、居たの!?」

 レシュは他に聞いている者が居ないか、辺りを見渡す。

 

 「ぼくは神出鬼没。羽音だけで判断しちゃダメだよ。隠れるのは妖精族の一番得意なことなんだから」

 彼の腕を見ると、甘い香りのする口紅を抱えていた。

 

 「それ、誰の?」

 見覚えがない。

 しかし間違いなく、レシュに似合いそうな色合いをしていた。

 

 「さあ? わかんない。隣の部屋から借りてきた。妖精族ってこういうことするんでしょ?」

 「突っ込みたいこと色々あるけど、普通に犯罪じゃない。返してきて。あと、できればどこで買ったか聞いてきて」

 はーい、と退散。


 今度こそ辺りに誰も居ないことを確認し、レシュは身支度をする。

 ディーの話が正しければ、近々魔王が現れる。

 出現場所を特定するため、陽光属性を用いるオドは儀式魔法の準備にかかることだろう。


 儀式の補助であれば戦士の装備ではなく、グレードは低くともマナの通りが良い杖を持ち出すべきだろうか。


 「それにしても」

 再び、思考がディーの方に寄る。


 「あの子もあの子で、演じるのが大変そうだなぁ」

 彼は精一杯妖精族として振る舞おうとしているが、本物の彼らを知っているレシュからすれば、ディーの行動は筋が通り過ぎている。


 もし、本物の妖精族であったならば。

 今頃手持ちの小物の幾つかがコレクションにされ、二度と帰ってこなかっただろう。

 あいつらは物を黙って借りていくし、「返せ」と言われて素直に返すやつらではないのだ。


 「ダハリトは“羽虫”って言ってたっけ」

 ピクシーではなく、羽虫。

 文化で言えば、ディーはむしろ妖精族というよりも、群れからはぐれた蟲人種のそれに近い。

 レシュは、その例えもあながち間違っていないなと思った。

 

 ◆◆


 オドたちが今居るのは、辺境サヴィニアック随一の都市、ヴェルデンブール。

 かつて竜退治を行った温泉のある都市とは違い、アラベスクめいて苔と蔦に彩られた“緑の城壁”は、実に堅牢なものであった。

 辺境といえど水の国は水の国。土地と土地の合間を縫うように水の路が入り組み、そこかしこには渡し船。

 重力に逆らって流れる川を上手く辿れば、それこそどこにでも行けるだろう。

 

 食事を終え、オドたちはクレオネスの背に乗り、辺境伯領が住まう館へ足を運ぶ。

 驚くべきことに、館の周辺一帯が一つの森林庭園として成り立っている。

 この穀倉地帯を統べる〈緑の指〉一族の、並々ならぬこだわりと言えよう。


 「おお? すごいな! こんなに木があるのに、飛ばなくても道がわかるぞ!」

 はしゃぐダハリト。長命とはいえ、人のなした技術にまともに触れ始めたのは、ごく最近のことである。


 平時においては、木々の織りなす導線に従うことで、館へは簡単にたどり着くことができることだろう。

 樫の木で作られたアーチを通り抜けると、一気に視界がひらける。

 門の奥には、既に数名の使用人と、二人の若い男女が彼らを待っていた。


 男女のうち、女性の方には見覚えがある。

 次代のサヴィニアック辺境伯夫人、セレスティナ。彼らは、一緒に温泉にも入ったことがあった。

 とあれば、男性の方は当の辺境伯子息だろう。名を、ディートヴェルデ。爪は緑色だ。


 「男の方、生命の魔力がすごい。吐きそうだからぼくは引っ込んでるね。居なくなったらまた呼んで!」

 と、妖精の方のディーはオドの荷物袋にダイブしていった。


 オドがこの館に訪れたのは、魔王を探知するための儀式魔法を行うにあたって、十分な広さのある土地を探すためだ。

 使用人に従い、門をくぐる。

 良く整えられた低木が、麗しい。


 「それにしても、夫妻揃ってとはな……」

 クレオネスは、少し驚いていた。

 顔見知りのセレスティナはともかく、辺境伯子息。彼も、当代に負けず劣らずの才を持つという。

 なにせ、セレスティナはかの大蔵卿の令嬢でもある。大蔵卿の爵位は公爵。

 家柄は、圧倒的にセレスティナが上なのだ。


 そのセレスティナと大きな諍いもなく、むしろ良好な関係を保てている以上、ディートヴェルデも並大抵の人物ではあるまい。

 

 (まあ、なんとかなるだろう)

 オドが片膝をついたのを確認し、クレオネスはタウロス式に軽く前膝を曲げる。

 レシュはとぐろを巻き、頭を下げる。ダハリトは……左右の様子をキョロキョロと見たあと、オドを真似た。


 すると、ディートヴェルデは両手を突き出し、制止する。

 「よしてくれ。俺たちが形式通りの対応ではなく、わざわざ直接出迎えている時点で礼儀はいい」

 「恐縮です」

 一行は立ち上がり、二人の案内を受ける。

 館の中は、華美というよりも、自然と融合したかのような装飾が施されていた。


 「タウロスは……入れるか? 問題なさそうだな」

 応接室に一行をいざない、改めて挨拶する。

 「俺はディートヴェルデ・ド・サヴィニアック。君たちのことはティナを通して聞いているよ。古老エンシェントドラゴンと、被害なく渡り合ったそうじゃないか」

 「余のことじゃな!」

 「ああ、君のことだな。話を聞いたときは驚いた」

 ダハリトをいなし、オドに発言の機会を与える。


 「私は黒の従徒、オド・クロイルカ。お目にかかれて光栄です」

 「従徒?」

 ディートヴェルデの脳裏に浮かんだ些細な謎を、セレスティナが補足する。

 現状、世間では“黒の神子はルノフェンからオドに代替わりした”ことになっているが、当のオドが気恥ずかしいという理由で、彼自身は未だに従徒を名乗っているのである。

 

 その様子を見て、セレスティナが「ふっ」と息を吐く。

 「主張が控えめなところは、相変わらずですのね?」

 「セレスティナ様もお変わりないようで」

 以前に会ったときと比べ、少し背伸びした態度で応対していた。


 「積もる話もあるが、本題に入ろう。要件は、テヴァネツァク様の遣いから伺っている」

 ディートヴェルデは既に準備を終えていたのか、執事に一枚の地図を広げさせる。

 

 「これは?」

 「君は、今から魔王の出現位置を予測するのに儀式魔法を使うんだよな。見通しの良い広場を、何箇所かピックアップしておいた」

 ありがとうございます、とオド。


 「ちなみに、俺もその儀式を見たいから、良ければ連れて行ってくれ。ティナもそうだ。都合、護衛に従者がもう一人ずつ」

 「わかりました。見た限り、最寄りが程々に広くて良さそうです。わたしたちはクレオネスに乗っていきますが、皆様は……?」

 「水路が良さそうだ。水棲馬にゴンドラを引かせる」


 オドは、ゴンドラという単語に反応した。

 「……ゴンドラ?」


 クレオネスの方を見て、視線を戻す。

 「主よ、乗りたいのか?」

 「……うん」

 オドの実に少年らしい好奇心に、和んだ空気がもたらされた。

 

 「あまり珍しいものではないと思うが……」

 「ソルモンテーユの外には、ここまで発達した水路は無くてよ?」

 セレスティナが口を挟む。彼女は、国内外の交易ルートを暗記している。


 「なら、乗っていくといい。ついでに、幾つか見どころを紹介するとしよう。この街のことなら、知りすぎるほど知っているからな」

 「ありがとうございます!」

 ぺこりと一礼。


 「じゃ、アタシたちは先に行って魔法陣描いてるね」

 「ごめん、お願いっ!」

 レシュたちには、手を合わせる。

 

 そういうことで、オドはディートヴェルデのゴンドラに乗り込むことになった。


 辺境伯の館をぐるりと囲むように引かれた水路。

 もちろん、門は歩いて通れる。

 だが、この館の住人が遠出するときはもっぱら陸路ではなく、その水路の上にゴンドラを浮かべるのだ。

 

 館の裏には、幾つかのゴンドラが浮かべてあった。

 ここでいうゴンドラは、一般に言う船である。

 ただし、その形態は用途によって差が大きい。


 無骨で積載量の多い、機械動力のゴンドラ。

 華美かつ巨大な、恐らくセレスティナの管理しているであろうゴンドラ。


 「この人数なら、一頭立てが良さそうだ」

 彼が選んだのは、木製の小回りがききそうなゴンドラであった。

 それでも屋根がついており、観光用としては十分に快適だ。


 ディートヴェルデの従者は、水棲馬におやつを与えている。

 体躯は、五メートルにもなるだろうか。ゴンドラを一頭で曳くだけあって、体格はがっちりとしている。

 暴れられれば、ゴンドラ自体が沈みかねない。短い旅路ではあっても、機嫌を良くしてもらうに越したことはない。


 「ん……あれ、ニンジンって感じじゃないですね」

 ゴンドラに乗り込んだオドは、水棲馬のおやつに興味を持った。


 「クレソンだ。他国だとソルモンミズガラシとも言うな。あの子は辛いのが好きなんだ」

 「なるほど……!」


 残りの四人が乗り込むと、ゴンドラはおもむろに水面を滑り始める。

 「わっとと、すごい。実際に乗ってみると、やっぱり見え方が変わるなあ」

 「そういえば、イロハを初めて乗せたときも、感動なさっておられましたね」

 青の神子のことだ。

 「あの皇太子が台無しにしてくれたけどな」

 「懐かしいものですわ」


 館が遠ざかり、森林のような庭園へ。

 ここは文字通り、サヴィニアック辺境伯の庭だ。


 「ここは……解説は要らないよな?」

 「……ディート」

 セレスティナによる圧を受け、ディートヴェルデはほそぼそと語り始める。


 「野暮だと思うが……まあいいか。この庭園には、幾つか仕掛けがある」

 「仕掛け、ですか」

 そうだ、と相槌を打ち、続ける。


 「一つだけ、この場で見せる。《マス・グロース》」

 彼が掛けたのは、成長の呪文。

 緑色の爪が指す先には、枝で自然のアーチを描く樹木があった。


 「GGGG……」

 「わ……!」

 それらの樹木が呻き、根を地上に出して歩き始めた。

 

 「道が……」

 視線が、もはや奥の館まで通らない。

 何も知らなければ、道としての導線を失い、無秩序な森林と誤認するだろう。


 「迷いカエデだ。見つけてくるのに苦労した」

 「魔物じゃないですか!」

 「そうだな、魔物だ」

 

 だが、と一拍置き。


 「人を襲う類の魔物というわけでもない。野菜もどきだってそうだろ?」

 「……言われてみれば。あの子たちだって、たまに飼ってる人居ますね」

 「そういうことだ。無害なら、上手く共存できる」

 

 ゴンドラは庭園を抜ける。

 背後の迷い楓たちは、いつの間にか元の場所に戻っていた。


 チリン。

 セレスティナの腰のあたりから、鈴のなる音がした。


 「クロエ、合流を」

 「承知いたしました」

 たった一言で、彼女の従者がゴンドラから飛び出し、陸に降りる。

 その後、音もなく館の方へ走り去っていった。


 「えっ? 今のは」

 「なんでもなくてよ」

 呆気にとられるオドに対し、セレスティナは軽く微笑んでごまかした。


 庭園を抜ければ、城下町だ。

 「あれ? そういえば他のお城だと、お城のすぐ近くって貴族の邸宅街になってることが多いですよね」

 「よく見てるんだな。実際、普通はそのとおりだ。壁の中でより安全に思える方はどちらかといえば、門の近くよりも中心部だ」


 数秒の、沈黙。


 「え……」

 今、彼は『安全』と言った。

 まるで、館のそばが安全ではないという表現だ。


 「じ、じゃあ……その基準で言うなら、あの庭園って……」

 オドはツバを飲む。


 「まあ、想像のとおりだ。俺やティナとしてはあいつらと十分信頼関係を築けているし、頭も良くて番犬として優れている。犬じゃないけどな。何より、可愛げがあると思うんだが……」

 「やっぱり、魔物が居るんじゃないですか……」

 

 そういうことであった。


 気を取り直し、ディートヴェルデは城下町の各施設について、裏話を交えた解説を始める。

 この都市にセレスティナがやってきてからというもの、流通がよりスムーズに行われるようになった。

 大蔵卿の娘の、本領発揮というべきであろう。


 例えば、農業ギルド。

 以前は、ソルモンテーユ国内で作物をやりくりし、ほそぼそとした営業を行っていた。

 国外には出ていかず、内需だけを満たすために生産量を制限していた。

 それがここ暫くは、外貨の稼ぎ頭だ。

 作物そのものの品質は言うまでもなく、“緑の指”印の肥料スクロールといった消耗品も、売れ行きが良い。


 例えば、鍛冶ギルド。

 そもそも、この城下町に鍛冶ギルドと呼べる大きさの組合は存在しなかった。

 需要はあった。農具は鍛冶師の領分だ。軽く、壊れないものが望ましかった。

 セレスティナの提言で、農業ギルドが稼いだ外貨を一部国庫に納める代わりに、本国から職人を招聘しょうへいすることにした。

 そして、彼らが考案した高品質な農具の製法を他国にライセンスすることで、鉱物資源が多くないこの土地でも、鍛冶ギルド単体の収支を黒字にできた。


 「全く、頭が上がらないとはこのことだ。親父は外交にかけては化け物だが、商業面の内政はティナのところが強い」

 「ふふふ」

 セレスティナは頬を染め、恥じらった。


 ◆◆


 こういう話を、十分ほど交わしていた。


 「さて、そろそろ目的地に着く頃合いだろう」

 地図によれば、目的の広場は角を一つ曲がった先にある。


 「……なんだか、騒がしくないですか?」

 オドは耳を澄ませる。

 

 広場の方角から、喧騒。

 複数の女性の声。

 その中には、レシュの声が含まれていた。

 

 「……すみません、うちのメンバーがなにかやらかしてるみたいです。行ってきます」

 「分かった。後で追いつく」


 オドは彼我の距離を推測し、今の魔力で足りることを計算する。

 「《テレポーテーション》!」


 転移。便利な呪文だ。マナの消費が大きすぎる点を除きさえすれば。


 移動した先では、レシュと黒髪の女性が言い争っていた。


 「ちょっと! アタシの魔法陣に何すんのよ!」

 「うう、ごめんなさい、ごめんなさい!」


 二人の足元には、魔導チョークで描かれた、直径十メートルほどのシンプルな魔法陣。

 言い争っているというよりは、レシュが一方的に責めている状況だろうか。


 「あわわわわ……」

 ダハリトは慌て、介入しようとしたクレオネスはというと、腹に強烈な正拳突きを貰ってダウンしていた。


 「ちょ、ちょっと!? なにやってるの、レシュ!」

 「あっ、オドくぅん! この女豹がね――」

 レシュは猫なで声でオドに接近。

 一方、オドは青ざめ、すり寄ろうとする彼女の頭に迷わず手刀を入れた。


 「いったぁい!」

 「落ち着いた? その人の顔、よく見て」

 恐る恐る、女性の方を指差す。


 腰まで伸ばした、サラサラな黒髪。紺色のブレザーと、同色のリボンタイ。

 その上からでも分かる、たおやかな曲線。人形に命を吹き込んだかのような、端正な顔立ち。

 何よりその虹彩は、よく磨かれたサファイアのように、鮮やかで深い青色であった。


 「え……?」

 「イチノセ・イロハ。青の神子様だよ……」

 「うそ……」

 レシュの方も事態を理解し、青ざめる。


 青の神子は、魔術分野において稀代の天才。

 オドに呪文を掛けたとき、その抵抗を突破しうる数少ない人物だった。


 「悪い事したんだし、謝ってこようね」とオドに諭され、レシュは再び青の神子と相対する。

 「ごめんなさい」

 頭を下げると、青の神子は「慣れてますから……」と苦笑した。


 「それで、どうしてこんなことになったの? さっき“魔法陣”がどうのこうのって聞こえたけど」

 「それは、わたくしから説明させていただきますわ」

 後方から声。

 見れば、追いついたセレスティナ。そして先程館に戻っていったはずの従者が、魔法陣の外側に立っていた。


 「まず、イロハについて。ソルモンテーユ皇国本国より、オドと同行するよう指示が出ておりますの」

 「同行?」

 セレスティナに続きを促す。


 「魔王を討伐するためです。討伐にあたっては、その戦利品の分配を受けるため、各国から代理人が派遣されます。そして、イロハがソルモンテーユの代理人として選ばれました。ここまで、よろしくて?」

 「分かりました。続けてください」


 「オドくんがサヴィニアックに滞在している情報は、本国もお持ちでした。ですから、テレポーターで合流し、互いの負担を軽くしようという腹積もりだったのでしょう」

 「確かにイロハさんの術があれば、魔力の節約ができそうですね」

 レシュが何か言いたげだったが、空気を読んで口をつぐんだ。


 「サヴィニアックの転移までは順調でしたが、その……」

 魔法陣の方を見る。

 形は、円の内側に大七芒星。内側の線の交点からは、中央に向けて線が引かれている。

 イロハはその頂点の合間に、龍宮語の文字を描こうとしていたようだ。


 明らかに意図がある。落書きではない。


 「ちなみに、イロハさんは魔法陣に何をしようとしていたんですか?」

 「うう……。発動の効率化です……」

 セレスティナとディートヴェルデは、「アレか」「アレですの」と、合点がいったようだ。


 「第一から第二頂点の間は『気』で、その右が『流』の初期龍宮語。どっちも、マナの消費量を抑えてくれます。魔法陣の外側に古代語で書いても同じ効果が得られるけど、こっちは書きながら動かなくていいから、正確なんです」

 「……確かに、文字の意味がわかってたら便利かも」

 「むぅ」

 不服気なレシュを、オドはなだめた。


 「イロハ。ちょっと」

 イロハのそばにセレスティナがやってきて、何事か耳打ち。

 「えっ? え――」

 みるみるうちに、彼女の頬が紅潮してゆく。

 顔を手で覆い、一歩後ずさる。


 「あわわわ……」

 「イロハちゃん……?」

 顔を真っ赤にしたイロハは、ぎこちなくレシュに向き直る。


 「あの、その……二人がそんな関係だとは知らなくて……! 横槍入れちゃって、ごめんなさい!」

 頭を下げる。

 一瞬レシュは虚を突かれた。

 多分、何か話を盛られている気がする。

 とはいえ、レシュにとっては好都合だ。すぐにニヤリと笑って返す。

 「ふふん。オドはアタシを信頼して準備を任せてくれたんだから。でも、あんたの知識は、多分アタシよりずっとすごい。だから」


 手を広げ、誘う。


 「お願い、手伝って!」

 「……! 分かった!」

 

 オドやセレスティナ、その他の見物人を魔法陣の外に追いやり、陣に装飾を施してゆく。

 「この際だし、アタシも新しい式を試そっかな。『風よ、風よ。かの者のありかを知らしめよvayuh, vayuh । sah kutra asti iti dnyatum』、っと」

 「アヴィルティファレト様を讃える言葉かな?」

 「さすが!」


 陣の外側にはレシュが、内側はイロハが分担し、手を施したようだった。


 「じゃ、オド。後は任せた」

 レシュとオドはハイタッチし、オドの方は魔法陣の中心へ。

 ポシェットから、砂の入った小瓶を取り出し、中身をわずかにつまみ取る。

 その粉は、太陽の輝きを青く照り返していた。


 「それは?」

 遠くから見ていたディートヴェルデが、ここで初めて口を挟む。


 「マナタイト・ダスト。毎晩、余った魔力を《メイク》で変換してるんです」

 「話には聞いていたが、本当に生成できるんだな……」

 魔法陣の中央にマナタイト・ダストを置くと、魔導チョークを伝って陣が青白く発光し始めた。


 詠唱を始める。

 「風よ、風よ。かの者のありかを知らしめよ。地よ、地よ。生ける者の網をもって我が目に映せ」

 昨日までのオドであれば、準備なく術を唱えられたであろう。

 今日からは、そうも行かない。


 「天よ、天よ。輝ける星により照らし給え。闇よ、闇よ。今このときは、幕を上げ給え」

 四節の詠唱。

 これを、繰り返す。


 一巡、二巡。

 そのたびに魔法陣の光は勢いを増していき、また、オドの輪郭と循環するように流れていった。


 五回ほど詠唱した後、オドはレシュに目線を向け、力強く頷く。


 「《エクステンド・マジック》。《プレサイス・マジック》」

 術の強化を、慎重に掛けてゆく。

 射程は、大陸全域に。確度は、一キロメートル以内。


 「ぐっ……!」

 オドは歯を食いしばる。

 予想以上に負荷が大きく、吐きそうになる。


 「《バーチャル・タフネス》!」

 「《キュア》!」

 魔法陣の外側から、イロハとレシュが支援する。十分すぎるほど、ありがたかった。


 頃合いだ。


 「《クリエイト:マップ》!」

 右の拳を地面に突き、術を完成させる。 


 魔法陣の光は、オドの頭上、家屋の屋根ほどの高さに収束する。

 一度収束した光は魔法陣の内部に降り注ぎ、規則的に図形を描いていった。


 「これは……」

 光の列は、シュレヘナグル大陸の形状を正確に模していた。

 最後に、その一箇所だけが、目立つように赤く染まっている。


 「分かった。魔王が出現する場所は……!」

 息の切れたオドは、宣言する。


 「――シュヴェルトハーゲン! 首都グローセシュミデ北方だ!」

 

 未だ舞台に上がっていない、最後の国家への旅が始まった。


 【続】

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