第三部:それはもう熾烈な魔王討伐戦

03-01:神様会議

 うたた寝をしていた。

 戦車チャリオットの中で、重鎧を身にまとった筋骨隆々の戦士が、ぼんやりと。


 かつて、シュヴェルトハーゲンは血に塗れた土地だった。

 戦争、革命。そのどちらも、中心地はこの国だった。


 今は、平和だ。


 多少の小競り合いはあるにせよ、過去と比べれば呆れるほどに平和だ。

 どれもこれも、クーデターに成功し、国家元首となったアドラムが有能すぎるせいでもある。

 少しでも隙を見せれば、ソルモンテーユ皇国が攻めてくるだろう。

 そうと思っていたが、現実には、絶大な戦力である赤の神子が協力的だったこともあり、戦にはならなかった。


 暇だ。


 もちろん、この火炎神エシュゲブラを信仰する人々が幸福に生きること自体は、喜ばしいことではあるのだが。

 戦神としての側面を活かされていないのは、少々寂しくもあった。


 ぼんやりと、眠るように考えていると、別の神の存在を知覚する。

 よく知った神だ。同じくシュヴェルトハーゲンで祀られし、陰の火神。


 「ハムホド、なにか用か」

 先んじて、声をかける。

 視線の先には、赤いドレスを着て、その下にたおやかな胸を持つ、美しい青年。

 両性具有の、炎熱神だ。


 「エシュゲブラ。次の会議の開催時期が決まったらしい。ほら」

 ハムホドが指差す先。硬い岩の地面に、一枚の白い羽根が突き刺さっている。


 「む。確かに」

 エシュゲブラは、燃える戦車チャリオットから降り、羽根を拾い上げた。


 陽光神オルケテルの、眷属が落としたものだろう。

 あたりを流れる、煮えた溶岩の光を受け、てらてらと輝いている。


 「信徒から、何らかの報告は?」

 「そっちで受け取ってなければ、なし。目に見える異変は、起きていない」

 ハムホドは、肩をすくめた。


 「そうか」

 エシュゲブラは、思考を巡らせる。

 少なくとも緊急事態ではない。

 だが、主神たるオルケテルが会議を主導するとなると、世界規模の問題が起きつつあると考えたほうが自然だろう。


 「で、どうする? おれは、すぐにでも準備しようと思う」

 「私もそうする予定だよ。夜までには終わらせたいところだ」

 なら、決まりだ。

 自領の枢機卿に遣いを送り、少し席を空けることを伝える。

 

 「そういえば」

 と、ハムホド。

 

 「リコちゃんとアドラム、そろそろくっついて欲しいって思わない?」

 「赤の従徒と、今の元首か」

 クーデターから、約五年。

 彼らについては、思うところがないわけでもない。

 どちらも、先の革命では大変な目に遭っている。

 リコが火をつけ、アドラムがその火で旧体制を焼き払う。

 実に見事なコンビ、ではあったのだが。


 「それこそ、お前の権能でなんとかなるのではないか?」

 率直に投げる。

 ハムホドは熱の神である。

 情熱もその範疇に含まれるため、恋や愛の神として信仰されることも多い。


 「それは、無粋だよ。自然な流れで、身を焦がされるような恋で成し遂げてほしい。私はそう思う」

 「五年は、人の身には長いと思うが」

 然り。

 このまま放っておけば、恐らく恋は成就すまい。

 それは、強いて表現するならば、シュヴェルトハーゲンにとっての損失と言えた。


 「幸い、当代の赤とオドは、繋がりを持っている。私達が干渉するならば、彼を通したほうが無難かもしれないね」

 「あの朴念仁そうな子が、上手くやれるなら良いんだがな……」

 全く、不安なことである。


 「とにかく、行くぞ。チャリオットこれに乗れ。そうしたほうが早い」

 「そうさせてもらうよ」


 かくしてシュヴェルトハーゲンの神々は、オルケテルの領域へと発った。


 ◆◆


 ここで、他の会議の出席者と、簡単な紹介をしておこう。

 

 まず、オルケテル。荘厳な老王の姿。主神にして、陽光の神だ。

 次に、ツェルイェソド。妖艶な若い男。陽光神の傍らに生まれ落ちた、闇の神。

 彼らは、円上に割り当てられた十の座を、互いに挟むように座っている。

 仲が悪い訳では無い。世界を作るとき、互いが互いを見据えられる構造にしたためだ。


 やがて、水流神マイムケセドがやってくる。姿は、若い王。波めいた冠を被り、ソルモンテーユのもう一柱を誘う。

 誘われたのは、氷冷神カルマルクト。冷気を放つ長杖を携えた、若い女王。


 「他の皆は?」

 マイムケセドが問うと、ツェルイェソドが顎で指し示す。

 そこには、既にアヴィルティファレトが座っていた。

 ルノフェンを呼び出したことでおなじみの、少年の姿をした瓢風神だ。

 

 「アナンコクマーも来る。ほら」

 アヴィルティファレトの背後、雷光を放つポータルが開き、髭を蓄えた老人が現れる。

 日に焼けている。老衰しているというよりは、豪傑のような風格だ。

 彼は冒険者のシンボルでもある二枚貝でサーフィンをしていたかと思うと、豪快に飛び降りた。

 雷雨神アナンコクマーである。


 「ふぅ。待たせたかと思ったけど、まだセーフかな」

 ひらひらと飛んできた蝶の中から、強い光が漏れる。

 その光の中から、生命神テヴァネツァク。オドを呼び出した神だ。


 「テヴィー、また新しい演出を考えまして?」

 誰かがテヴァネツァクの背後から、肩を掴む。

 視線を移してみれば、鉱石神ミクレビナー。

 宝飾品で身を飾る、ふくよかな女神。


 「さて、後は暑苦しい二柱だけですね」

 カルマルクトの言葉に続き、シュヴェルトハーゲンの神々、エシュゲブラとハムホドも現れる。


 これで、十の神が揃った。


 「では、始めようぞ」

 オルケテルが、宣言する。


 この世界の民は、不定期に開催されるこの会議を称して、こう呼んでいる。


 神様会議、と。


 「うむ。手短に終わりそうなものから、始めよう」

 まずは、各地域ごとの報告である。

 ここでは、大きすぎる問題はまだ扱わない。

 別途、議題として設定するためである。


 「聖都デフィデリヴェッタは、問題ない。『イスカーツェル・レガシィ』異変からの復興も、殆ど完了したと言っていい」

 「ソルモンテーユも同様。平和すぎるくらいね」

 「黄砂連合は――ラミアたちの勢力がまた増えた。そのうち、都市の一つでもできるんじゃないかな。それくらいだね」

 「シュヴェルトハーゲンは、ちょっとした神子の話だけだ。以上」

 「紫宸龍宮は、別途議題として取り上げたいことがある。長くなるぞ」

 「シュヴィルニャは問題ありませんわ」

 「ミトラ=ゲ=テーアは、大きく分けて二つ。片方は紫宸龍宮と同じだから省くね。もう片方は、奴隷商会の有力者が軒並み潰されてるってこと。ほぼ壊滅かな」


 ああ、とツェルイェソド。

 奴隷商会が被害を受けているのは、主に黒の神子の仕業。具体的には、当代オド先代ルノフェンのせいである。

 

 「そういや、紫宸龍宮こっちにも報告自体は上がっていたな。確か、『反転呪詛』だったか。そいつに、俺の加護はまだ届いている」

 「止めさせたほうが良いかな? ルノフェンにはいつでも声をかけられるけど」

 アヴィルティファレトの提案には、「その必要はない」と答えた。


 「そうだね。どっちに転ぼうと、問題はないだろう。好きにさせるのがよさそうだ」

 ハムホドが補足。他の神も首肯した。


 各地域の報告は、これで終わりだ。


 「では、次だ。ムコナダァトの状況に変わりはないか」

 オルケテルは、カルマルクトに投げかける。

 

 この世界の骨子となる神は十柱だ。

 とはいえ、後から人の手によって作られた神が、一柱だけ存在する。

 それが、機械神ムコナダァトである。

 千年ほど前に滅びを迎えた、イスカーツェル文明の神だ。


 「あいも変わらず凍りついたまま、ですね」

 ため息混じりに告げる。

 カルマルクトはイスカーツェル文明が滅びた後も、度々かの神へ向け、通信を送っている。

 だが、その全てが返ってこない。

 眠っているのだ。

 他ならぬカルマルクトの一撃によって、凍土の中に封印されたようなものである。

 

 「信者は元気にやってるし、加護も機能しているんだけどね」

 アヴィルティファレトは、先の異変を起こした首謀者から情報を吸い出すことに成功している。

 ともかく、困ったものである。

 「起きたら座に加えても良いんだが、本人が望んで眠っていちゃアなあ」

 腕を組みながら、アナンコクマー。

 イスカーツェルとの戦争から二千年経とうとも、戦後処理は済んでいない。

 神の時間感覚は、とてつもなく長い。


 「うーん……。ミクレビナーさん、ちょっといいかな」

 アヴィルティファレトは、鉱石神に向け、機械種族ディータのコアチップを投げ渡す。

 「これは」

 文脈から理解する。

 『イスカーツェル・レガシィ』異変の、首謀者のコアチップだ。


 「ムコナダァトの所在については、シュヴィルニャ地方のほうが調べやすいだろうからね。機械種族ディータでも加護を与えれば大体の所在地は読めるから、監視も続けられる」

 要するに、彼ならばイスカーツェルの遺跡群から何かしらのヒントを持って帰れるのではないか、ということだ。

 「なるほど。でしたら、こちらで適当なボディを見繕っておきましょう」

 「助かるよ」


 この一件も、おしまいだ。


 「次が、主たる議題となるな。ツェルイェソド」

 オルケテルが、進行を続ける。


 話題を振られたツェルイェソドは咳払いし、引き受ける。


 「昨日、紫宸龍宮の枢機卿から直接報告があった」

 言葉とともに、円卓の上に大陸の地図が表示される。

 紫宸龍宮の領域のうち、三箇所に赤い点が打たれた。


 「魔力の循環が滞っている。これ自体は自然現象だ。カイムスフィアでは、いくらでも見られるくらいのな」

 「ほう」

 興味を示したのは、エシュゲブラ。


 「話を聞くに、テヴァネツァクの領域でも同じことが起こっている、ということは――」

 火炎神の口調は、少しだけ興奮気味だ。


 彼の気が逸る理由を、読者にも説明しておこう。


 まず、この世界の魔力循環を担っているのは、世界樹だ。

 大気中に漂う魔素の一部は、生物や機械によって消費される。

 だが、大抵はそうではない。雨に吸収され地面に溶けたり、排泄物に混ざったりする。

 その上、生物の遺骸もまた、魔素を地に還す要素の一つである。


 大地に溶け込んだ魔素の大部分は、地脈を通して世界樹の中に入り込む。

 ミトラ=ゲ=テーアの大世界樹。各国にも小世界樹。

 世界樹が大地の魔素を吸い上げ、その葉からまた大気へと放流する。

 そういうサイクルなのだ。


 ところが。

 十年から数十年に一回、そのサイクルが崩れる事態が起きる。

 世界樹の魔素を吸い上げるスピードが落ち、大地に魔力がわだかまる。

 魔物が次々と現れ、闊歩する日々がやってくるのだ。


 そして、それだけではない。

 最終的には、シュレヘナグル大陸のどこかに、意思を持つ魔力生命体が現れる。

 

 その存在には、名前があった。


 「――魔王が、来るのだな」


 然り。魔王である。

 姿かたちは顕現ごとに変わる。

 ある時は、ドラゴン。

 ある時は、巨人の戦士。

 スライムの形を取ったときもあった。

 とにかくそいつを打ち倒すことで、異変は終わりを迎えるようであった。


 「ああ」

 ツェルイェソドが追認する。

 いずれ、シュヴェルトハーゲンでも、黄砂連合でも。あらゆる国で、世界樹が機能を停止することになる。

 どの国も、戦いの準備が必要になるはずだ。


 「今回は早いなァ。まだ十五年ほどしか経っていないはずだぜ?」

 アナンコクマーが指摘する。

 この現象は、不定期的に起こるものである。

 ただ、エルフ七大家の一つ、〈黄のゲルビレア〉家の調査によると、魔力の使用量が多すぎると起こりやすいらしい、とのことであった。


 「心当たりはあるね、うん。先の異変で、憑依までしちゃったからなあ……」

 アヴィルティファレトが頭を抱える。

 神の降臨はとにかく法外な量の魔力が供給されるので、環境への影響も大きいということだ。


 「……ということで、神子たちにも動いてもらおうと思う」

 オルケテルが取り仕切る。

 魔王は、凄まじく強い。

 白金プラチナ級冒険者だけであれば、最低でも百人は必要になる相手。

 そこで神子を投入するのは、成り行き上やむを得ないことである。


 「分かった。赤には、従徒ともども刺激が必要だ。ハムホドをサポートに入れる。可能ならアドラムを引きずり出したいところだが、そちらはどうなるかわからない」

 「アドラム? あの子、戦力になるの?」

 カルマルクトが指摘する。

 国家元首たるアドラムは、個人戦力としては白金プラチナには及ばない。

 そこは、エシュゲブラも認識している。

 「こっちにはこっちの思惑がある。アドラムには、そろそろ後継者のことを考えてほしいからね。ソルモンテーユに累は及ぼさない。約束するよ」

 ハムホドが答えた。

 悩ましい問題ではあるが、いずれは答えを出さなければならない話だ。

 「ふぅん……」


 氷の女王は、値踏みするように赤の従徒、リコへ意識を向ける。

 彼女は、当のアドラムと談笑をしている。


 己の心に、背きながら。


 「そういうことね」

 「そういうことだ」

 そういう、作戦であった。


 「ああ、そうだ」

 水の神の片割れ、マイムケセドが話を戻す。

 「青の神子は問題なく動かせると思う。懸念は例の皇太子だけだけど――」

 例の皇太子とは、ルシュリエディト。

 とにかく衝動的に悪行をやらかしてしまう、すごい人である。

 「ロークレールの貴族もサヴィニアック辺境伯も、魔王討伐の戦利品はいくらでも欲しいはずだからね。大物の説得は、するまでもないかな」

 こちらは、スムーズであった。


 「ルノフェンも、まず自分から動いてくれるでしょ。あの子、いつも『なにか面白い話ない?』って通信を送ってくるからね」

 「ベタベタですのね……」

 「……惚気じゃないからね?」

 先代の黒も問題なし、だ。


 「順調なところ、水を差して悪いんだけどさ」

 残るは、テヴァネツァクの召喚した、オドだけだ。


 「どうした? テヴァネツァクよ」

 オルケテルが、続きを促す。

 この様子を見るに、何かしらの問題が起こっているようである。


 「うーん、切り出し方に迷うんだけど――そうね」

 一呼吸。

 整理して、言葉を紡ぐ。


 「オドは、どう転ぶかわからない。C神話の神から、加護を受けていることがわかったから」

 「あら……」

 どよめき、うめき。

 そういった声が、場を満たす。


 C神話。

 読者にわかりやすく言えば、Cはクトゥルフ。クトゥルフ神話。

 理外の、邪神どもである。


 「確かに、あの魔力量は神子としても尋常ではなかったからな」

 エシュゲブラが、苦笑しながら想起する。

 マナタイトの創造もそうだし、奴隷集落で見せた数千人規模の《ホールド・パーソン》もそうだ。

 挙句の果てには、エンシェントドラゴンと単騎で渡り合う始末。

 人の身に余る、としか言えない所業であった。


 「一方的な魔力の遮断はまずいな。出方次第で戦争になる。その神と意思疎通は可能なのか?」

 ツェルイェソドが問う。

 「カイムスフィアに紛れ込んだ禁書を数冊確認した限りでは、多分」

 自信なさげに、テヴァネツァク。


 C神話の邪神は、訪れた世界に己の痕跡を遺す。

 そしてそれは、基本的には魔導書の形をとる。

 別名、ヤバい方の禁書。

 読んだ場合、良くて発狂。悪ければ強制的に加護を付与。眷属化される場合すらある。

 文化上の禁書どうじんしは通俗的な呼び方だが、C神話の禁書は厳重に管理されるのが一般的だ。


 「意思があるのは不幸中の幸いだが、あの量の魔力が流入するのは少し問題があるな」

 魔王の降臨周期が短くなりすぎれば、世界は疲弊してしまうだろう。

 カイムスフィアの神々としては、避けたい事態だ。


 「なあテヴァネツァク。オドを介してこちら側にかの邪神を呼ぶことになるだろうが、俺たちは何をすればいい?」

 アナンコクマー。

 最適なのは、知識と知恵の権能を持つ彼が動くことではある。

 とはいえ、オドの召喚者はテヴァネツァクなのだ。彼女が、働きかけるしかない。


 「私の領域に結界をお願いしたいかな。後、いざというときのために、儀式魔法の準備も」

 「わかった。結界は俺が構築し、オルケテルが維持するやり方で行くぜ。儀式魔法は、エシュゲブラが適任だな?」

 「では、《コンヴァージド収束・メテオレイン》を構えておく。撃たずに済めばいいが」

 トントン拍子で事が進んでいく。

 魔王に戦力を当てるため、見えている問題はなるべく解決しておきたいのだ。


 「概ね、方針は決まったな」

 最後に、オルケテルがまとめる。


 「今晩、黒の神子はまたこちらの世界に訪れるはずだ。その時に、決行しよう」


 ◆◆


 「――ということがあってね」

 テヴァネツァクの座。

 湿った土の上、植物のツタがあちらこちらを行き交う、ジャングルのような光景だ。


 彼女は、まずオドに一切の事情を報告した。

 他のパーティメンバーは居ない。

 C神話の神々は直視すらも危険な存在であるため、影響を受ける存在はなるべく減らしたいのだ。


 とまあ、神々は固唾をのんで見守っていたわけだが、従順を形にしたようなオドは、何かに思い当たったようで。

 「……あ! 多分あの時だ!」

 と、一人で合点したようであった。


 「昔憧れてた人と読書してて。多分ただの小説だったと思うんですけど、一本だけ読んだ記憶が飛んでて……」

 「禁書あるあるだね。特定の章を読むと邪神に気づかれちゃうんだよね」

 禁書を読むにあたって、神は大した影響を受けないモノではあるが、ヒトにとっては致命傷になりがちである。


 「それで、オドくん。その『憧れてた人』も無事だったなら良いんだけど」

 「なんかすっごくピンピンつやつやしてました。あと、目覚めたら『このことは、ぼくは秘密にしておくね』って。何をしちゃったんでしょうね、わたし」

 「んんー?」

 話が見えない。

 ともかく、この記録は既に電子の藻屑、である。


 「……話、戻すね。オドくんにはその神と交信してもらって、できればカイムスフィアこっちに来る時は加護を止めてほしいって伝えてくれると助かるかな」

 「わかりました、やってみます」

 良い子だ。

 加護が止まった後、魔力が以前より制限されるのも織り込み済みである。


 (良い子すぎて逆に心配になるな……)

 オドが交信を試みている間、テヴァネツァクは結界に意識を向ける。

 今のところ、問題なし。

 エシュゲブラの座からは、火炎の魔力を感じる。

 ヒトの造った儀式魔法は、C神話の神相手であっても威嚇射撃程度にはなろう。


 「テヴァネツァクさま」

 交信は、十秒ほどで終わった。

 「どうだった?」

 張り詰めた空気の中、テヴァネツァクが問う。


 「どうも、こっちに来るみたいです」

 オドの言葉の後。反生命の、穢れた魔力がカイムスフィアに接近するのを、生命の女神は知覚した。


 「え゛」

 その神は、交信用に開けていた結界の穴を伝い、テヴァネツァクの座に降りてくる。

 空から落ちてきて、べっとりと着地。

 砂埃を立て、一瞬だけ姿を隠す。


 然り、砂埃だ。

 邪神が触れた箇所のツタは枯れ、地は乾く。

 生命神テヴァネツァクと、全く逆の存在であると言って差し支えなかった。

 

 砂埃が晴れると、その姿があらわになる。

 巨大な複眼に、ロープ状の触手が多数接続されている。

 脳をくらくらさせるような、痺れるような臭いが漂う。


 そして、何よりも恐ろしいのは、その輝きである。

 体全体が青白く輝いており、その放射が、ありとあらゆる生命を吸い上げる。


 かの神の名は、イオド。

 奇しくも、元の世界でのオドと同じ名前を持つ。


 「《マス・トランスレーション》」

 オドは冷静に、翻訳の呪文を二柱と自身に行使する。

 カイムスフィアと、C神話の世界では次元プレーンが違う。

 そのためカイムスフィアの呪文が効果を及ぼすかは、半ば賭けであった。


 「ふム。そちらニは便利な呪文ガあるのだな」

 どうやら、会話はできるようだ。

 まずは、よし。

 少なくとも、文献通りに言葉は通じそうだ。


 「我ノ魔力を遮断してくれト言うからニは、何事かと思ったガ。何も起こっていないでハないか」

 「いやー、その。世界管理上、仕方ない事情があってね? 別の次元から大量の魔力を注ぎ込まれるの、大分悪影響が、ね」

 出方を伺う。

 イオド神に長居させることも、リスクだ。

 スムーズに退散してほしい、のではあるが……。


 返答の代わりに、イオド神は呪文を唱えた。

 「《崩壊せよ、我を阻む一切の障壁よ》」

 「《コンヴァージド・メテオレイン》!」

 イオド神の唱えた魔法は、この世界に根を張らせぬため構築された結界の、破壊。

 それを契機として、エシュゲブラが燃える隕石の雨を降らせる。


 「《防御せよ、我を害する打撃の一切から》」

 イオド神の眼前。ぬるりと、青白く輝く粘液の盾が現れる。

 隕石の雨は、容赦なく盾に衝突し、削ってゆく。


 「《リピート・マジックおかわりだ!》」

 「ほウ!」

 邪神は、楽しそうにメテオの山を受け止める。

 やがて、盾は乾き、ヒビが入り、砕ける。

 炎が直撃し、触手が燃える。

 イオド神自体が放射する色と交わり、白い光があたりを満たす。


 これを、黙ってみていられるオドではなかった。

 「ちょっ!? 何やってるんですか!? やめっ、やめましょうよ!」

 仲裁に入る。

 オドからしてみれば、どちらも加護を与えてくれる神であった。

 《テレポーテーション》で間に入り、《サンクチュアリ》で残りの隕石を受け止める。


 「撃ち方、止め!」

 テヴァネツァクも、エシュゲブラを止める。

 彼は、不服げに呪文の行使を中断した。


 「ほんとに、もう! 突然戦闘が始まってどうなることかと思いました……」

 オドは胸をなでおろす。

 彼としては、平和裏に進んでほしい一心である。


 「……まア、今ので多少は掴めタ。我としても、この世界を破壊するまでやるのは、面白くなイ」

 「それを聞いて、とりあえずは安心したかな」

 魔力で火を消しながら、テヴァネツァクが答える。


 「オドへの魔力供給を一時的に止めルことは、問題ない。だガ、こちらの条件モ一つ飲んでもらウ。それで手打ちにしないカ」

 「内容による、だね」

 続きを促す。

 無難なものなら、カイムスフィア側としても受け入れてよいだろう。


 「オドに我の眷属を与えル。元よりオドの旅路に興味が出たために与えタ加護だ。眷属にはそちらのルールで生活させ、我の目になってもらう。これなら、どうだろウ」

 「オルケテル様、どう?」

 主神に話を投げる。

 カイムスフィアにとっては、若干のデメリットがある提案だ。

 異次元の邪神にこの世界を監視されるのは、あまり気分のいいものではなかった。


 「もう一声、だってさ」

 少なくとも、お互いに交渉のテーブルにはついている。

 つまり、条件には、調整の余地があると踏んだようだ。


 「では、こうしよウ。先ほど、我がそちらの結界を一撃で破壊できた理由。それをこの場で教えル」

 「確かに、メリットが大きそうね」

 オルケテルは数秒の逡巡の後、許可を出した。

 

 「交渉、成立だナ。まず、結界の方からダ。術式は見事なものだガ、魔力集約の基盤がとても古イ。さては、創世以来一度もメンテしてないナ? とにかく、その脆弱性を突いタ。そちらの世界の……赤の神子か? そいツに一度診てもらうと良イ」

 「分かった。ありがとう」

 あの攻防の裏で、世界の隅々まで探索を行っていたらしい。

 つくづく、戦争にならずに済んで良かった。テヴァネツァクはそう思った。


 「では、眷属の方だガ。すぐに用意しよウ」

 イオド神は、触手の一本を『ぽん』と切り落とす。

 

 「オドよ。それを世界の中に持っていけバ、自動的に受肉するはずダ」

 「わ、わかりました」

 触手は、もはや本体のような青白い輝きを発しては居ない。

 生体バイオ系の素材のような、落ち着いた青緑色だ。 

 

 「これで用は済んダ。互いの世界が、面白いものであると良いナ」

 もと来た魔力の道を、イオド神はスルスルと登っていく。

 何度も世界間を移動してきたのであろう。ホームの世界に戻るのに、なんの苦労もなかったようだ。

 

 邪神がカイムスフィアから飛び立ったことが神々に伝わると、どっと疲労感が押し寄せてきたようだ。

 「なんとかなってよかったー……」

 地面に座り込む。

 イオド神が居た痕跡たる、荒れた地面は速やかに湿り、また植物に満たされる。


 「なんというか、すみません、わたしのせいで」

 オドもしゃがみ込み、テヴァネツァクと目線を合わせる。


 「良いの。世界を管理してると、そのうち別世界の神々と出会うってのは分かってたから」

 「となると、わたしの世界の神様も?」

 「アヴィが会ってるはずだよ」

 「ほえー……」

 へくちっ。

 どこかで、くしゃみをする音が聞こえた。


 「ところで、さ。今まで突っ込めなかったんだけど」

 「なんですか?」

 テヴァネツァクは、珍しいものを見るような目で、オドの全身を見つめている。


 今のオドは、巫女服を着ていない。

 ブレザーにシャツと、スラックス。

 読者に伝わる形でいうと、学ランだ。

 くりくりとした目が、相変わらず可愛らしい。


 「あ! そういえば、この服でこっちに来るの、初めてですね。今度『アカデミー』の中等部に入るんです」

 「そっか、そんな歳なんだ。似合ってると思う。こっちの学園もそろそろ年度が変わる時期だね」

 曰く、体型が男っぽくなってきたので男の娘は卒業、とのことである。

 

 「あれ? そういえば折衝の仕事がどうとか言ってなかったっけ?」

 テヴァネツァクが、「確か、そういう話をしていたような」と問う。

 「あー……。お仕事体験が終わった後、暫くハマってたんですけど、師匠に『そろそろ学校いけ』って怒られちゃって」

 「そゆことね」

 まだまだ、扱いは子供であった。


 「じゃ、今日もいつも通りカイムスフィアに転送するね。眷属は……持ってるね。目、瞑ってて」

 「はい!」


 オドの、第二の一日が始まる。

 目を閉じ、テヴァネツァクの魔力を受け入れる。

 魔力は深く、深く浸透し、カイムスフィアの大地に受け止められる。


 ◆◆


 オドは、暖かなベッドの上に横たわっていることに気づく。

 隣のベッドには、レシュ。

 ピンクの長髪が美しい、ラミアの少女だ。

 彼女も、オドも、肉体的には成長期。

 この間レシュの全長を測った時は、三.三メートルあった。

 

 「……?」

 オドは、違和感に気づく。

 己の股間のあたり。パンツの下。


 何かが、うごめいている。

 

 「なんか、くすぐったい……!」

 その『何か』は、矮躯から想像できるよりは遥かに強い力で、衣服の迷路から這い出してゆく。

 知性のある動きだ。


 一分もしないうちに、オドの首元から、その存在が顔を出す。

 「ぷはーっ!」という声を聞き、レシュが即座に起きる。


 聞き慣れない、ハスキーな少年の声だった。

 体長十五センチ。見た限りは、妖精族ピクシー

 四枚の翅で飛行する、葉っぱアレーの一種だろう。


 オドは、この存在が邪神の言う眷属にあたると、すぐに分かった。

 と言うのもこの妖精。肉体的には命が宿っていない。

 肌はやや青白く、衣服には不気味な眼が描かれている。

 呼吸も、鼓動も、してるフリ。

 

 なんとも、邪神のやりそうなことだと言えた。


 「まったくもー! どこに転送してんだよあの邪神はさあ!」

 開幕、妖精はキレている。


 一方で、隣のレシュもキレている。

 「アタシを差し置いて、こんな馬の骨と同衾するとか……。あんた、ショタコンだったの?」

 「違うよ! これには世界の危機が絡んでて!」

 問答無用とばかりに、レシュはオドを押し倒す。


 「まずい! 《レジストアップ》!」

 「今度こそ分からせてやる! 《チャーム》! くっ、弾かれた!」


 唐突に、痴話喧嘩を始めるオドとレシュ。

 

 その様子を見て、一足先に逃れた邪神の眷属――ディーは物陰に隠れ、己の神との通信を確立する。


 「良いよね、生気に溢れてるって」

 指を長方形に構え、《プリザーブ・シェイプ》で撮影。

 オドの周りの光景を、ただ一つも漏らさず、イオド神に報告。


 (でも、暇な旅にはならなさそうだ!)

 その口角は、楽しそうに上がっていた。

 

 【続く】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る