18:土曜日

 ニシはスーツ姿で藤堂製薬のエントランスを通った。社員証を警備ロボットに見せる=有効期限は今日の昼まで。

 エレベータに乗りまずはオフィスへ向かう=デスク周りを片付けなければ/せめてものマナー。社長との約束の時間まであと30分ある。

 視線のやや上=通り過ぎた階を示す光がピカピカ/そういえば首元の違和感=ワイシャツの襟の刺々しさに慣れてしまった。

 鈍く光るアルミのドアが開く/どことなく漂ってくる化粧水の匂い=看板商品の若返り化粧水。

 ニシが使っていたデスクの後ろ/小柄な人影が頭を揺らしながらパソコンの画面とにらめっこしていた。

「え、あ、ニシ? どうして」

 誰にも見つからずに片付けようと思ったのに/このまま背中を向けることもできず。

「ハセガワさん、サービス残業ですか? 休日出勤はダメだって言ったの、先輩でしょ」

「へへーん。こういう小さい努力が社会人には必要なのだよ、ニシ。実はね、新しいお客様を確保できそうなの。そのプレゼン資料を作ってるの。ニシ、いいところに来たね。月曜に訪問するんだから、ほら手伝って」

 ハセガワさん=なんだか楽しそう/しかしニシの仮のサラリーマン生活は終了している。

「あの、ハセガワさん、話さなきゃいけないことが」

 しかしハセガワは硬直&瞳孔が開いたまま微動だにしない。

「あ、アハハハ、だめだよニシ。そ、そういうのは不適切だって。同僚の関係に恋愛を持ち込むのは……」

 ニシは一旦言葉を整理する=適切な言葉を選んだ。

「実は新入社員じゃなくて藤堂社長に1週間だけ頼まれて社員のフリをしていただけなんです」

 ニシは左腕の前腕部分で浮遊する乳白色の腕輪=最高位の魔導士を監視するためのGPSデバイスを見せた。

「それ、You Tubeで見たことある。たしか魔法使いの」

です。実は常磐興業の社員、というか契約社員ですけど、フリーでいろいろ魔導に関する仕事をしているんです。今回もその一環で秘密の調査をしていたんです」

「じゃあ、つまり」

「つまり、今日でもう会社には来ません。すみません、俺も仕事とはいえ騙すようなことはしたくなかったんですが」

 ハセガワは唇をギュッと結んだ/涙をこらえている。

「私ね、先輩になれると思って頑張ったの。私、入社したときからドジばっかりで。みんなに負けちゃダメだと思って頑張ってきたの。ニシ実地研修OJTの担当になっておかしいな、って思ったけどでも頑張らなくちゃって思って。でも嘘だったんだね」

 ハセガワは目の端の涙を小指の腹で拭った。

「ほんとすみません、ハセガワさん」

「ううん、謝らないで。私が勘違いしてただけだから。あ、そうだ。また会えるよね。私のLINEを消さないでね。ときどき連絡するから」

 ハセガワは潤んだ瞳のまま笑っていた。



「しけた顔をしておるな。女絡みか」

 ローテーブル/初日と同じくドリップコーヒーの湯気が立ち上る/座り心地の悪いソファに腰掛けニシの正面に藤堂社長が相対した。

「間違ってはいないです。読心術それも死霊術のたぐいですか」

「グハハハ、年寄りの勘さ」

 ニシはローテーブルに置かれた白い封筒に手を伸ばす/分厚く膨らんでいる。

 会長が唸った。

「約束の報奨金だ。少しも付けてある。子供を育てているんだろう? 少しは足しになるといいんだが」

「助かります。6人もいるといろいろとお金がかかるので」

 分厚い封筒を見た/今時珍しい現金の束=税務署対策。

 ニシは白い封筒から強面の藤堂社長へ視線を移した。

「お伺いしたいことが。死霊術についてです」

「なんだ、それは常磐の社員として、ということか」

「いえ、俺の個人的な案件です。、ですけど龍脈のマナや生き物の血や心臓、脳のを食べるような術は存在するでしょうか。例えば死霊術で肉体のある生命体を作り出すこととか」

「ほほう、、か。、最近川崎や旧東京で起きているゴタゴタについてか?」

 藤堂社長のサングラスが光る/「昔話だ」=低い声だった。

「死霊術───パッシブ魔導士の間では割と有名なんだが、17世紀のアメリカ。先住民と白人の兵士が領地を巡って争っていた時代だ。パッシブ魔導を駆使していたといわれる先住民のシャーマンの一団が蜂起した。ある日、騎兵隊が前線基地を訪れると嵐の後のような惨劇で駐屯していた兵士たちはすり潰されるように殺されていた。かすかに息のあった兵士は“ゴリアテに襲われた”と。知ってるか、ゴリアテ」

「ジブリのほうじゃないですよね。旧約聖書に出てくる巨人」

「ふむ、学はあるようだな。シャーマン達は魂と対になるマナではなく大地との対話によって魔導を行使し禁じられた手段に出た」

「それは、どういう」

「さてな。結局、部族は白人の兵士たちによって皆殺しにされて真相は闇の中だ。なんらかの魔導で人を轢き潰したか本当に巨人を作り出したか、それはわからん。だが、仮に肉体を作り出したとすると、それはパッシブ魔導ならではと言える」

 ニシは前のめりに藤堂社長の言葉に聞き入った。

「───例えばだ、肉体なら作れるだろう、召喚の魔導士。だがそれではただの肉塊。魂が宿っていない。魂というのは魔導士が認識する世界の外側の存在。ゆえに分からないし作れない。しかしだ、魂の進化を沿ったやり方なら魂の外枠だけを真似することができるかもしれない。胎児は、単細胞から魚類、爬虫類、哺乳類と生命の進化を辿って成長する。それと同様に魂の形ももっとも単純な単細胞のそれから時間をかけて進化させることができれば、よもや可能かもしれん。生命は内に秘めたマナを持って魂の外枠を作るが、死霊術的に言えば、外部からマナを取り込み続けることで魂の外枠、ひいては肉体をも模倣することができる」

「じゃあ、例えば」ニシは言葉を選んだ。「仮にその存在が人類に対して敵意、というか害のある存在の場合、斃すことは可能でしょうか」

「無理だ」思慮深い死霊術士の言葉は単純だった。「神代にくらべ宇宙に存在するマナはたしかに減っている。だがその量はいまだ、個人の魔導士をひどく凌駕している。両者が単純に戦ったとしても打ち負かすことは困難だろう」

「社長は、何か方法を知っていますか」

「否、死霊術をもってしても斃すのは至難の業。なにせ力の源となるマナはいまだ大地にあふれているのだから」

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