1:土曜日
減速──ブレーキ──停車──ニュートラルを確認──キーをオフ。
これまで何千回とやってきた操作=ニシの愛車/ヤマハの大型バイク/今時珍しい
魔導セルによるEVカーが主流になりつつある昨今=騒音&排気ガスというだけで職質の対象に/しかし4気筒サウンドの虜。
けたたましい機械音と排熱=土曜日の区役所の駐輪場で時代遅れの乗り物にやかましく抗議する人影=0人。
バイクのリアシートの上=モモ。猫のように飛び降りた。
「うっはー着いた! たまにはいいね、バイク」
「楽しかった?」
「うん、とっても。ねぇ、たまにはバイクでどこかいこーよ」
「今日は市役所に来た」
「そーじゃなくて」
モモ=いじらしげ。まるでそういう表情をすればニシが気持ちを汲んでくれるという甘え。
「帰りにマックでも寄っていくか」
「やったーラッキー! ニシ兄ぃとマック」
モモ=ウキウキハイテンションでステップを踏んだ。ジェットヘルメットのバイザーがパカパカ音を立てる。
あまり甘やかすのは良くない/愛情を持ち子供の甘えのサインに気づきましょう=それぞれの教育本のそれぞれの教育哲学。
ニシ=未婚/しかし特例で&なりゆきでしかたがなく/孤児6人を預かっている手前、何かと教育を気にしてしまう=根っからのクソ真面目至上主義。
モモは───自主的にではあるが───小さい子どもたちの面倒をみる母親役を任せているせいか、モモの「したい」はなるべく応じてあげたかった。
モモを連れて区役所に来たのは2ヶ月に1回の定例面談のため=ニシに孤児を預かる資質があるか/孤児たちの生活は安定しているか/里親縁組が来たかetc=すべては5年前の魔導災害のせい。
2ヶ月前の面談は新顔の孤児のサナと来た。今回はモモ。最年長だけあって慣れている=東区区役所第2庁舎/下半分が役所、上半分がマンションの経費回収型庁舎=「
階段で3階へ上がり自動ドアをくぐる。
「私が押すー! 覚えてるんだから」
思春期まっさかり/しかしシラケた態度は無し=ちょっと助かるがちょっとさみしい。
省人主義な現代=受付担当など無く、床から突き出たように鎮座する柱のタッチパネルに要件を入力する。
「あら、ニシさん。それにモモちゃん。おひさしぶり。2月に家庭訪問したときに会ったから……半年ぶりね。ちょっと大きくなったのかな」
柔和な声/静かながら自信に満ちた大人の態度。うぐいす色のセーターとゆるくふわっとしたスカート=「公僕たる区役所職員は質素たれ」という標語を体現した大人の女性。つい左目の横の泣きぼくろに視線が移ってしまう。
「高橋さん。お久しぶりです」
「時間ぴったりですね。さすがです。さあ、始めましょう」
3人は「福祉課」の看板をくぐった。さらに奥へ進みプライバシーを守るため背の高いパーテーションのエリアに来た。どこかから声が聞こえてくるが他の人影は見えない。
「じゃ、ニシさんとお話してくるから、モモちゃんはここで待っててね」
「はい。大丈夫デス」
モモ=すっかり市役所に慣れているというふう。ポケットから2枚の紙/
パーテーションで区切られた狭い空間/膝を突き合わせるような狭い机=「市民の生活に寄り添う姿勢の体現」/パーテーションのいたるところにピン留めされたポスター類=公的支援&相談セミナー&公認幼稚園の案内etc。
「人形で遊ぶような年齢じゃないんですけどね」
「あら、今どき1日中スマホを見ている小学生だって珍しくはないんですから。モモちゃんは健全そのものですよ。思うに、魔導がモモちゃんの精神安定剤のようになっているんだと思います」
他愛無い会話とは別に2人は慣れた手付きで書類を用意する=ニシ:リュックサックから記入済みの書類&一昨日カナに頼んで用意してもらった常磐の採用関連の書類の束。
「じゃあ、ニシさん、いつも通りですね。この申請書に記入をお願いします」
いつも通り=生年月日、氏名、年齢、既往症、職業、年収、家族構成、宣誓書。
いつも思い浮かぶ光景=身寄りのないモモを預かることになった日=潰瘍と魔導災害がいったん落ち着いた半年後の日/川崎市東区の仮庁舎=自責の念と決意。
光景を振り払う/書くべき漢字を思い出すふりをして天井を見上げる=典型的なトラウマへの対処法/高橋さんにはたぶんバレてる。
「年収の欄、最近、安定してないんですけど、どうしたらいいでしょう」
「あら」高橋さんの顔が曇る。「直近3ヶ月の平均でいいですけど。
「ええ。基本給以上に臨時収入といいますか、常磐からの危険手当が多いので」
思えば、毎月のように厄介事に巻き込まれている=IT満載な自動車が買えるだけの危険手当。旧東京の潰瘍が消えるまでは厄介事も消えないだろうが。
「ああ、そっちでしたか」
高橋さんが柔和な笑みを浮かべる=審査? 危険な状況も審査に悪影響を及ぼすだろうか。提出した書類に不備がないか目を通しているようだが頻繁に視線を感じる。
「書きました」
「はーい。お疲れ様です。書類の方は大丈夫ですね。審査の結果は1ヶ月後くらいに郵送しますが、多分大丈夫だと思います。じゃあ、いくつか質問しますから教えてください」
高橋さん=ペンを持ちアンケート用紙を貼ったバインダーに目を移す。その手=ラメ入りのネイル/「休日出勤なんだから小さなおしゃれくらい許してほしい」という反骨精神。
「じゃあ、まず1つ目です。お子さんはご飯を毎日食べていますか」
「はい。朝は必ず。夜も常磐の仕事がなければ一緒に食べています。子どもたちは、まあ好き嫌いはありますがモモが厳しいのでだいたい食べていますよ。肉、魚、野菜」
「わかりました。大丈夫です。好き嫌いは小学生のことはよくあることです。味覚が敏感ですから、子供は。なのであまり無理をさせなくても大丈夫ですよ」
高橋さん=プロフェッショナルなアドバイス。
「はい」
「じゃあ、次です。収入はどうですか。あとワークアンドライフバランスはどうでしょう」
「人と比べたことないですけど、お金は困ってません。仕事は、基本待機任務が多いので暇です。まあ、暇と危険が両極端ですけど、魔導士は一般人より
「はーい、結構です。3つめの質問です。配偶者からの相談はどの程度まで親身になって答えますか」
ん? こんな質問、前にあったか。
「配偶者……まだ結婚をしていないですが」
「もしも、です。多角的な視点から調査しますから」
高橋さんの眼光が光る/また左目の泣きぼくろに視線が移ってしまう。
「もちろん、なるべくなら力になろうと思います。たぶん」
「結構です。じゃあ、次は恋人を作る努力をしていますか」
「えっ?」
家事と仕事で予定がぎっしり詰まっている=出会いの機会はゼロ。身近な人だとリンやカナ。
リン=男が何人もいそう/常に候補を確保しておいて最も良さそうな男を選びそう。
カナ=奥手で勉強と仕事が彼氏といった真面目人間/食事に誘っても仕事と魔導の話しかしないはず。
高橋さん=ニコニコボイスで説明した。
「子どもたちにとって育ての親が増えることは大きな負担になりますから。あ、でも恋人がいても審査が落ちるということはないですよ」
そういうものなのか。
「今の生活が優先です。将来の出会いは考えていないですね」
「じゃあ、もし魅力的な女性が現れたら」
脳裏に浮かんだ2人の映像を振り払う。
「まあ、縁があれば」
「ちなみにどのような女性がタイプですか」
「……この質問、必要ですか?」
「ええ。
高橋さん=ニヤリ/IDが照明を反射してキラリと光る/もうひとつの資格───臨床心理士=この人、けっこうエリートなんだな。
「あまり考えたことないですけど、でも高校生の時の彼女は笑顔が素敵で優しかったです」
「なーるほど。よくある定番のタイプですね」
高橋さんの手元=さっきからペンが動いていない。
「で、この質問の意図は?」
「あはは、
†
「じゃ、緊張しないで。いつも通り話してね。もし何か訊きたくなったら遠慮なく訊いてくれていいからね」
モモの頭上から静かな言葉が降ってくる=保健室の先生みたいな話し方。
ああ、ニシ兄ぃ、やっぱりひとりは心細いな。一緒じゃだめなのかな。
目の前の女性=高橋さん。大きい女の人。大人の女。
訊きたいこと=どうやったらそんなに長いお乳になるんですか。比べると悲しくなるくらい幼い胸に秘めておく。
大人なら=ここで気の利いた言葉をいうんだろうな/緊張でうなずくことしかできない。
「それじゃあ、まずは、最近、楽しいことはあったかしら」
「あ! 海に行きました!」しまった。今の言い方はガキっぽい。「えっと、家族とみんなで海へ行きました。横浜の方です。そこでみんなで、魔導で、へんてこりんなタコをたいっぱいやっつけたんです」
高橋さん=首を傾げ思案/思い出した=先月の停電騒動。もはや皆の記憶から消えかけているニュース。
「そう、よかったわね。モモちゃんもニシさんのお手伝いをしてあげたの?」
「もちろんです。私、お姉さんですから」
ぐっと堪える=嘘/年長なのはサナの方。
「わかったわ。じゃ、次。何か困ったことはあるかしら。もちろん言いにくかったら言わなくてもいいのだけれど。秘密はもちろん守るわよ」
「……来ないんです」
「あーうん、なるほど」高橋さんはだいたいを察して「それは人それぞれだから心配らないわ。お姉さんの友達も中学2年生でやっと、っていう人がいるくらいなんだから」
「でも、来ないと大人になれないんでしょ」
「ううん、そんなことないわよ。大人というのは心と体の準備が揃わないといけないの。ゆっくりと進むものだから焦ることはないわよ」
あれ、優しい=この乳の長い大人の女の人なのに心にピタピタくっつく。
「はい、わかりました」
「ふふ。モモちゃんは早く大人になりたいのね」
「あっ、私───いえ、何でもないです。」
まだ言えない/信用じゃない/まだ自分でその言葉に向き合えていない。
「じゃあ、私から質問させてもらうわね」高橋さんはバインダーの書類に目を落とした。「例えば別の、養子の家族と一緒に暮らしたいかしら?」
「嫌です! あ、すみません。いまのままでいいです」
今の生活に不満=無い/むしろ楽しい。
強いて言うならサナというライバルが現れたくらいだ。1歳しか違わないのに妙に大人ぶってて、それにニシ兄ぃもサナに優しい。別の養子の家族と一緒に暮らすというならそれはサナの方だ。
養子───やっぱり私は養子なのか。
しかし、別にいいそれで。ニシ兄ぃと暮らせるならそれでいい。
「あの、ひとつ訊いてもいいですか」
「ええ、もちろん」
「私は養子───つまりニシ兄ぃとは親子みたいなものなんですか」
「うーん、実は違うの。ちょっと難しいことだけど、モモちゃんは6年生だから問題ないわね。ニシさんとお子さんたちが一緒に暮らしているのは、特別
「魔導災害です。私はもう怖くなんてないんですから」
まずい、子供っぽい反応をしてしまった=反省。怖くはない、と言い放ったにも関わらず心臓が痛いくらい動いている/気取られてしまいそう。
「そうね。魔導災害でたくさん助けが必要な子どもたちが出てしまったの。だから、収入、学歴、仕事、その他能力がひとつでも当てはまれば
うん、よくわからない。さすが大人だ。この点は素直に完敗を認めよう。
「じゃあ、私とニシ兄ぃは家族じゃないんですか」
力がこもる=期待して。
「ううん、家族よ。大丈夫。法律でちょっとちがうだけなの。ニシさんは高度な魔導の能力があるから、マナの
「ニシ兄ぃと? どんな?」
気になる=ニシ兄ぃの過去/もしかしたらこの人のほうがニシ兄ぃを知っている?
「んーでも、魔導災害の頃のことだから」
「怖くありません!」
強がりだ/分かっている/たぶんこの人も気づいている。
死ぬほど怖かった/あの時を思い出すだけでじわりと汗が吹き出る=本当の家族もろとも潰瘍に飲み込まれた。
でも同時に思い出した=ニシ兄ぃの暖かさ/ずっと泣いてる私のそばにいてくれた/守ってくれた。
でも当時、ニシ兄ぃが何をしていたかは知らない。毎日、同じテントの中でじっと恐怖に震えていたから。
大人たちの怒鳴り声/サイレン/赤ちゃんの鳴き声/痛みにすすり泣く声/爆発/雷鳴──モモはぎゅっと拳を握った。
「当時は大田区……多摩川の向こう側ね。昔の東京なんだけど沢山の人が避難してきてたの」
「それは覚えています」
「私も災害支援の職員として派遣されていたけど、ニシさんは私達以上に働いていたの。怪異の駆除、瓦礫の撤去、避難所の設営、煮炊きする熱源、明かりや水を魔導で作ってくれたり。ほんと、いい人よ。人のために尽力するの。あの姿に私、ずいぶん勇気づけられちゃったの、フフフ。あ、でもニシさんには内緒よ」
モモ=目を細めた。
わかった=気づいた。この女、ニシを狙っている=女の勘。
「ごめんなさい、ちょっと昔話が長くなっちゃったわね。最後になにか聞きたいことはある?」
乳の長いの大人/いい相談相手/ライバル=牽制を込めて訊いてみよう。
「私、ニシと結婚できますよね」
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