11 浸蝕する水
捕まれば、終い。
「ふふっ、私が『鬼』なの?……
迫る気配に、 千本格子の玄関戸を引いて中に飛び込み、鍵を閉めた。 最悪だ。数寄屋造りの硝子戸廊下が、
「咲雪……ごめんな」
土気色の
「血が滲む……喋っちゃ駄目。冴に
「……咲雪には『人魚』が見えてるのか?」
思わず、渉が見開いた
ピチャ、ビチャ……と
「咲雪が……怖い物……知りたいわ。教えてくれたら、私のも教えてあげる。
障子に映る影は、やはり女のそれのみ。返事もしてないのに、障子戸と畳の境目から『得体知れぬ水』が染み始める。全く、余計なお世話だ。
「ねぇ、よく考えて。私は貴方達を
最早、私達が居る床板だけが海上の船のよう。障子越しの影が
「
畳上の海に踏み込むのは、本能が
舌打ちした私が、
「あら、可哀想。彼は瀕死……咲雪も
鴉を呼べば、この局面を打破出来るだろう。だが、原初の妖との決定的な繋がりを明かしてしまう事になる。
「ふふ……
冴が床の間に膝を付けば、波打ち際になる。忌まわしむべき水は、助けを求めようとした
「咲雪が助けを乞うべきは、この私。よく視て。貴方の一部に成る女の
【海の
「冴は……
絵本の『おはなし』を、母にねだるようだった。あぁ……
「昔、孤独な『人魚』の妖が居たの。己を満たす為に人を喰らう彼の暴食を、誰も止めることが出来なかった。だけどね、彼はある少女に出会い、究極を告げられたの。『貴方が孤独なのは相互の『愛』を知らないから。互いを食べ尽くして、
冴と共に、がらんどうな『人魚』の眼窩が私を覗く。あれは、私が死よりも恐れていた
「咲雪が視ているのは、私の血の中の『人魚』。私には『妖』の魂が無い代わりに……『人魚』が住んでいるの。
赤が透明に滲むような唇で微笑した冴は、私を抱き起こす。冷たさに隠された、生ぬるい体温だな。私を自らの頸動脈へ近づける
「私……本当は奥手で。『浸蝕』するにしても……知らない人も妖も、怖いじゃない? けど……私を【感情視】で覗いた咲雪になら、食べられてもいいと思ってた」
乳飲み子のように牙を剥いて、応えた。冴の血は、奇妙な味がした。甘かったり、急に苦さが滲んだり。波が押し寄せたり引いたりするように……『人』と『妖』の境界線が、常に変動している。だからこそ妖狩人の中で、『人』として生きてこれたのか。
冴が私の左腕の傷を這い、『私の意思』が奪われる痛みと『冴の意思』の味が染みゆく中……胎の内から小さな足が蹴る! 可愛らしい
「秋陽が……私達を待っているのに、『私』が消える訳にはいかないの! 渉を解放して! 」
「残念……もう少し咲雪を食べていたかったわ」
嗤う冴を突き飛ばせば、畳上の海へ
「『隠世』の在り処も視えなくて、少々足りないけど……
無感動な冴が右手で
「
微笑する冴が
「やはり『感情視ノ白魔』が、『
「やめろ、隆元! 咲雪にはっ……」
翔星の咆哮にも止まらない! 怒り狂う隆元に怯んだ私は、首を掴まれ足が浮き、薙刀を落としてしまう! 息と血流が完全に止められ首の骨が軋み、意識遠のく私の背後から、隆元の眼前に
「離せ! 咲雪の胎にはアンタの孫がいる! 」
「なんと……穢らわしい……
隆元の
「頭を冷やせ、隆元。……どちらが正気か、問われる羽目になろうとはな」
「申し訳ございません……私としたことが……」
少々疲れた様子で現れたのは、妖狩人の
「
翔星に鋭い
「戯言ですな。竹林の妖を封印していた『
双方の眼光を前に、思案する正治は無精髭をさすった。
「ふむ……。命知らずな
正治は己の白金の太刀の
「物的証拠が無い
新嫁とは『
「
偉大なる咆哮にビリビリと全身が打ち震わされる中、
「お言葉ながら、正治様。尾白家御子息の腹部の包帯は、負傷を装う
「それはっ……! 」
(( いいの、咲雪? 正直に話せば、渉の傷口が開くけど ))
目が合った
「解け、尾白 渉」
正治に命ぜられ、静かに解かれた包帯の下……渉の腹には
「言い逃れはしない、か。弥禄らの言い分からすれば、渉は被害者の側面もあるが……どうしたものか」
正治の隣で、隆元は渉を見下ろす。まるで一縷の望みが絶たれたように、眼差しは凍えていった。
「正気で無い者に問うだけ無駄です、正治様。
「はっ……願ったり叶ったりだね……クソ親父。勝手に俺を妖狩人に
何も答えない隆元を、暗く嘲る渉に……私は睫毛を伏せた。渉の望み通りでも……私と出会わなければ、親子の絆は断たれなかった。隆元が
(( じゃあね、咲雪。ゆっくり……また
彼女に憑く……誰も見えない『人魚』が洗朱の尾鰭を翻せば、釣り針から逃れて『
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