王国歴622年6月6日(月)

25-1 ヘルヤさんが来るんですか?

 王国歴622年6月6日(月)

 ・麦刈り七日目

 ・ヘルヤさんが来店するかも?


 カランコロン


 店舗の出入口に着けた鐘の音で目が覚めた。

 サノスとロザンナが鍵を開けて店に入ってきたのだろう。


 ガタガタ バタバタ


 うん、いつもの足音が聞こえる。

 二人が無事に来ているな。


 眠気の少し残る頭で周囲を見渡せば、いつもの自分の寝室でいつもの朝を迎えていた。

 カーテン越しの外光は明るく、既に陽が昇っている感じがする。

 ベッド脇の時計を見れば朝の8時前だ。


 昨夜は風呂屋の後に、イルデパンと共に大衆食堂で湯上がりのエールを交わして、楽しい時間を過ごせた。


 イルデパンと給仕頭の婆さんが顔見知りだったことには、少し驚かされたがどこか頷けた。


 リアルデイルの街では、あの年代の連中はなぜか互いに顔見知りだ。

 まあイルデパンは職業柄大衆食堂へ顔を出していることもあるのだろう


 面白かったのは、イルデパンが給仕頭の婆さんから『イル』と呼び捨てで呼ばれていたことだ。


 何かの折りに、イルデパンから聞いていた気はしたが、『イル』が名前で、『デ』がミドルネーム、そして『パン』が名字だ。


 即ち、俺が『イルデパン』と呼んでいたのはフルネームなのだ。


 その話しに頷きながら


「『イルデパンさん』より『イルさん』が良いですか?(笑」


 そう冗談交じりに問えば


「では、私はイチノスさんを『タハさん』と呼べば良いんでしょうか?(笑」


 そう返され、思わず互いに声を出して笑ってしまった。


 やはりイルデパンは人生経験が厚い。

 酒の席でああした冗談をさらりと口にできるのは、人柄もあるが、人生の厚みがなせる技だろう。


「ししょぉ~ 起きてますかぁ~」


 サノスの起こす声が聞こえる。

 そういえば、サノスの母親のオリビアさんも、イルデパンを『イルさん』呼びだったな(笑


「起きてるぞ~」


 そう答えて、着替えを済ませ階下へと降りて行く。

 たまった尿意を済ませて作業場へ行くと、サノスとロザンナが既に作業机へ着いていた。


「師匠、おはようございます」

「イチノスさん、おはようございます」


「おう、おはよう」


 朝の挨拶を済ませて、改めて机の上へ目をやれば、既に朝の御茶が置かれていた。


「もう淹れてくれたんだな、ありがとうな」


 3人で席に着き、いつもの朝の御茶を楽しんだ。


「昨日はお休みをいただき「ありがとうございました」」


 一口御茶を味わったところで、サノスとロザンナが揃って、昨日の休みの礼を述べて来た。


「いや、むしろ休みにしてすまなかったな。二人とも、教会のミサはどうだった?」


「はい、月初のミサでしたが麦狩りと重なったのか、先月よりは少し少なかったですね」

「それでも先月と同じぐらいは来てたと思うよ」


 ロザンナが参加者のことを伝えて来ると、それをサノスが追うが、サノスは先月は休まず店に来ていたから、教会には行ってないよな?

 何で、先月の参加者と比べる話をサノスが出来るんだ?(笑


 そんなことに思いが至った時に、サノスが聞いてきた。


「師匠、来月のミサも休んで大丈夫ですか?」


「来月のミサ? いつだ?」


「教会の大きなミサは月初の日曜日だから、7月は3日です」


「3日か。うん、二人とも気にしないで休んで良いぞ。来月は納税月だから、店を臨時休業にするのもありかも知れんな」


 そう、自分で答えながら、これは良い案だなと思った。


 五十日の定休日に加えて、月初の日曜日を休みにするのも良い案だと思えてきたのだ。


「じゃあ、来月の3日はお店はお休みで決定ですね?」


「そうだな、休みにしよう」


 俺がそう答えると、二人が共に嬉しそうな顔で頷きあった。


「イチノスさん、今週の予定はどんな感じですか?」


 今度はロザンナが問い掛けてきた。

 そんなロザンナの手元には、先週に書き記した予定のメモ書きが置かれている。


「ちょっと、待ってくれるか?」


 俺はそう告げて、壁に掛けたカバンを取り、昨日、大衆食堂で書き記したメモ書きを取り出し、そのままロザンナへ手渡して説明して行く。


「まず今日だが⋯」

「あっ! ヘルヤさんが来るんですか?!」


 ロザンナに渡したメモ書きを覗き込んだサノスが、嬉しそうな声を出してきた。


「センパイ ヘルヤさんって確か⋯」


「湯出しを予約してくれた女性ドワーフのヘルヤさんだよ」


「あぁ~、言ってましたね。イチノスさん、ヘルヤさんがいらっしゃるのはお昼からですか?」


 ヘルヤさんの話題で盛り上がる二人を手で宥めながら、二人の問いに答えていく。


「それなんだが、実は今日来るとは限らないんだ。向かいの女性街兵士から聞いたんだが、昨日ヘルヤさんが店へ来てくれて、今日出直すと告げてったらしいんだよ」


「そうだ、思い出した! 母さんがドワーフの人達が食堂に来てたって言ってました」


 サノスが急に思い出したように、割り込んできた。

 サノスが言わんとしているのは、一昨日の夜に大衆食堂へ来ていたドワーフな方々のことだろう。


「そうだな、俺もその人達は大衆食堂で見掛けたよ」


「今日来なかったら、明日か明後日には来ますかね?」


「そうだな、今週中には来るだろうな。そういえば、ロザンナはドワーフは初めてだよな?」


「はい。何か、少し楽しみです」

「うんうん」


 ロザンナの答えにサノスが頷いている。


 さて、どうするかな?

 ヘルヤさんの接客の件をサノスに話すべきか?


 ロザンナも同席することになるだろうが、それは問題ない気もする。

 今後、ロザンナも経験することになるのだし、場合によってはヘルヤさんをサノスが接客するのに、ロザンナが同席するのもアリだ。


 そこまで考えをまとめた俺は、サノスにヘルヤさんの接客を伝えて行くことにした。


「サノス、今までサノスが描いて、お客さんの手に渡った『魔法円』は、全部で3枚だよな?」


「はい、ダンジョウさんの湯出しと、ギルドの水出しと湯沸かしですね」


「その3枚とも俺が微調整して、最終的に俺が確認してるよな?」


「えぇ、そうですね」


「今度のヘルヤさんに渡すのは、サノスが調整をして確認したんだよな?」


「えぇ、そうです。私が調整して確認もしました」


「そこでだ、ヘルヤさんへの引き渡しの接客は、サノス自身がやってみないか?」


「「えっ?!」」


「先の3枚は俺が確認に手を貸したが、ヘルヤさんに引き渡す湯出しはサノスが描いたものだし、確認もサノスがやったものだろ?」


「「⋯⋯」」


「それをお客さんに自分の手で渡すのはどうだ? やってみないか?」


「「⋯⋯」」


 サノスとロザンナの反応が微妙だな。


「俺が描いた『魔法円』を、お客さんに売るのと大差は無いかもしれない。けれども、自分が描いて、調整もして、確認もした『魔法円』だ。それをお客さんの顔を見てお渡しするのは、大切なことだと俺は思っているんだ」


「まあ、言われてみれば、そうですね」

「⋯⋯」


「店として売るものだが、サノスの描いた物なら、大丈夫だと俺は思っている。それに、サノスは『魔法円』を何枚か売っているから、接客で注意点を伝えるのも問題無いよな?」


「やります! やらせてください!」


 サノスの口調が少し煩いが、まあ自分で『やります』と言い切ったんだ。任せてみよう。

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