19-15 領主別邸
黒塗りの馬車の個室から俺が先に降り、先生が降りやすいように手を差し伸べる。
朗らかな笑顔で応えた先生が、俺の手を頼りに馬車から降り立った。
俺と先生が降り立ったのは、静謐(せいひつ)な雰囲気に包まれた領主別邸本館前の入口だ。
敷地の外から続く石畳は、その隙間から所々で芝生が顔を覗かせながら、ここまで続いている。
石畳の隙間から見える芝生と、そこに残るわずかな馬車の車輪の跡が、時の流れを優雅に刻んでいるように感じられた。
周囲には丁寧に整えられた花壇があり、色とりどりの花々が空気を鮮やかに彩っており、それらを昼過ぎの光が静かに包んでいる。
ここに身を寄せていた頃から感じていたが、この場所はまるで時間がゆっくりと流れる幻想的な空間として、訪れる者の心を魅了しているようだ。
そうした風景に似合っているのか似合っていないのか⋯
微妙に理解できない調和を見せるのが本館入口の重厚な扉だ。
やはりウィリアム叔父さんが来ていることからか、今日はその重厚な扉の両脇に帯剣した衛兵が立っている。
しかも扉の取っ手に手を掛けた従者付きだ。
この従者は俺がこの別邸に身を寄せていた時にもいた気がする。
この大きな扉を目にすると、この1年が懐かしく思えてしまい、なぜか西側2階の窓へと目が行く。
去年の今頃に、あの部屋へ転がり込んだんだよな(笑
「イチノス様、ローズマリー様、中へお進みいただき、エントランスホールでお待ちいただけますか?」
青年騎士(アイザック)の言葉に従い、従者が抑える扉から中へと入ろうとすると、その従者が会釈と共に声を掛けてきた。
「イチノス様、おかえりなさいませ」
「ただいま⋯ で、良いのかな?(笑」
「はい。我々はいつでもイチノス様のお戻りを待っております(笑」
「ありがとう(笑」
どこか含みを感じる従者の言葉を気にするのは、今は止めておこう。
(フフフ)
先生、笑い声が漏れてますよ。
先生の笑い声を聞かなかったことにして、玄関ホール=エントランスホールへ入ると、メイド長の服を身に纏った懐かしい顔が迎えてくれた。
彼女はコンラッドと共にケユール家から母(フェリス)付きとなった女性で、この領主別邸へ母(フェリス)が越してきた際にも、コンラッドと共に継続して母(フェリス)を支(ささ)えてくれた一人だ。
俺が幼い頃には遊んでもらった記憶もあるし、ここへ身を寄せていた頃には身の回りの世話もしてくれた家政婦長のエルミアだ。
「イチノス様、おかえりなさいませ」
そんなエルミアが、二人の若そうなメイドを後ろに従え、俺を迎える挨拶と共に頭を下げてきた。
ここでも『おかえりなさい』で攻めてくるのか?
「フフフ イチノスさんはウィリアム様のお屋敷へ来ると『お帰りなさい』で迎えられるのね(笑」
俺の後ろで含み笑いで呟くローズマリー先生の言葉に、固まりそうになっていると、エルミアが先生へ声を掛けた。
「ローズマリー様、本日は御足労いただきありがとうございます」
「いえいえ、フェリス様からの願いですし、シーラさんは私の大切な教え子で患者さんですから」
「フフフ」
「ふふふ」
二人が互いに朗らかな顔で、笑みを浮かべ合うのは、互いに顔見知りだと言うことだよな?
俺から見ると、二人とも年齢は近い感じだ。
多分だが、エルミアとローズマリー先生は同い年ぐらいだろう。
どうも俺は人間種の女性の年齢を見極める能力には欠けている気がする。
「アイザックは引き続きイチノス様の護衛を、ローズマリー様は私がご案内させていただきます」
「はい、よろしくお願いします」
エルミアの言葉に先生が応えたところで、何気なく振り返れば、青年騎士(アイザック)と若い街兵士が目線を合わせて頷き合っていた。
顔を戻すとエルミアの視線が俺の手にした布袋へ行っているのがわかった。
俺は魔導師ローブを羽織り、片手にはムヒロエが置いて行った薄緑色の石が入った布袋を手にしている。
エルミアは、俺の装いに似合わないこの布袋が気になったのだろう。
どうせなら、ここでエルミアに頼んで母(フェリス)にこの薄緑色の2つの石を先に観ておいてもらおう。
「エルミア、頼み事がある」
そう声を掛けると、動き出そうとしていた全員の動きがピタリと止まった。
俺は直ぐに皆が止まった理由がわかった。
エルミアが先ほどの先生へ挨拶を終えた姿勢のままで動かない。
そしてその表情は朗らかなのだが、その瞳からは朗らかさを全く感じない。
むしろその瞳は、明らかに俺を睨んでいるのがハッキリとわかった。
その剣呑とした視線に青年騎士(アイザック)もローズマリー先生も足を止めたのだ。
おもむろにエルミアが口を開く。
「イチノス様、お屋敷へ戻られるなり『頼み事』ですか?」
「うっ!」
「イチノス様はお屋敷を出られて一人立ちされたと聞いておりました。ですがこうしてお屋敷へ戻られるなり、未だにこのエルミアに頼み事をするとは、まだまだ半人前なのでしょうか?」
そこまで一気に告げたエルミアの顔がますます朗らかになる。
だが、俺に向けているエルミアの目は、ますます険しさを増しているぞ。
「わ、わかった⋯ エルミア、これをフェリス様へ渡してくれるか?」
「はぁ⋯」
エルミア、明らかに溜息をついただろ!
「イチノス様、ローズマリー様やアイザックの前ですが、このエルミア、少々、小言を述べさせていただきます」
「うっ⋯」
俺の言い方に間違いがあったか?!
「誠に残念ながら、まだ、イチノス様から『おかえりなさい』への返事をいただいておりません」
「!!!」
「イチノス様がお屋敷を出られて斯様に礼節を無くされているとあっては、コンラッド殿へ今のイチノス様の状況を『正しく』伝え、即時にお屋敷へ戻っていただき『礼節』を学ばれるよう手配を⋯」
「すまん、エルミア。ただいま」
「⋯⋯ イチノス様、おかえりなさいませ」
(プププ)
俺の後ろから先生が笑いを堪える声が聞こえる。
(ククク)
こ、この笑いを堪える声はアイザックか?!
そんなやり取りの後、ローズマリー先生とはエントランスホール正面の両階段の手前で別れることになった。
別れる間際にエルミアに着いていた若いメイド二人の内の一人が、青年騎士(アイザック)の横に着き何かを小声で伝えている。
青年騎士(アイザック)の足が止まりそうになるので、これは少し時間を与えた方が良さそうだ。
そう思って少しだけ足を止め、階段を昇り行くローズマリー先生とエルミアの背を眺めていると、青年騎士(アイザック)が声を掛けてきた。
「イチノス様、フェリス様へお届け物でしょうか?」
「あぁ、そうなんだ。頼めるかな?」
青年騎士(アイザック)が俺の手にする布袋を気にしながら声を掛けてくれた。
「まずは小サロンでお待ち頂くので、そこで預かってもよろしいでしょうか?」
「そうだな、そうしよう。他の出席者はもう来ているのか?」
「はい、ベンジャミン様とアキナヒ様のお二人は、ウィリアム様と会議中とのことです」
そうした会話をしながら、青年騎士(アイザック)と小サロンへと向かう。
小サロンへ足を進めながら、なぜか若い街兵士、先生の護衛として同行してきた、あの若い街兵士のことが気になった。
「アイザック」
「はい、なんでしょう?」
「先生の護衛で着いてきた街兵士は顔見知りなのか?」
「ああ、騎士学校の先輩なんです」
やはり騎士学校繋がりなんだな。
そういえば、店の向かいの女性街兵士も、青年騎士(アイザック)の先輩だと言っていたな。
「そういえば、店の向かいの交番所に勤める女性の街兵士がアイザックのことを聞いてたぞ(笑」
「あぁ、あの方達ですね。皆、騎士学校時代の先輩なんです。不思議なぐらいに世の中の狭さを感じますね(笑」
そうした会話をしながら、勝手知ったる別邸の中を歩み行き、待機室になっている小サロンへと足を進める。
小サロンへと歩み行く廊下は、明かり取りの窓から差し込む光から、それに照らされる壁から柱から、その全てが埃ひとつ見当たら無い。
そして、それらの全てが1年前と何らの変化も感じられなかった。
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