第38話 【ジュリアン視点】理由
「お兄様……」
「ああニーナか。そろそろ燻製が出来上がるか? すまないがこの書類のチェックだけするから、少しだけ待っていてくれるかい?」
ノックをして執務室に入って来た妹に私は笑みを浮かべる。
「それは私がとっくにやったわ。トウコにもナイトたちの分は渡しておいたわよ」
「……そうか。そんなに時間が過ぎていたのか」
時計を見れば、妹と窯へ行く約束をしていた時間から二時間近く過ぎていて血の気が引いた。
最低だ。
「ああニーナ、約束を破ってしまって申し訳ない!」
私は椅子から立ち上がると妹に詫びた。
「いえ、それはもういいの、怒ってないわ。……でもお兄様、最近変じゃないかしら?」
「──変?」
「急に外に視察にマメに出るようになったと思ったら、今まで避けがちだった他国との会合にも積極的に顔を出すようになったらしいじゃないの。まあお父様はとても喜んでいたけれど、前のお兄様の生活を知っているだけに、変わりようが少しいきなり過ぎるわ。どんな心境の変化?」
ソファーに腰を下ろしたニーナが私をじっと見つめた。
「ええと、どう言えばいいか……私はこれまで父上にもニーナにも相当な迷惑を掛けていたのだろうと気がついたと言うか……」
正直、自分ではそこまで人に迷惑を掛けているという認識はなかった。
私がなるべく人を避けて話も最小限にして引きこもっていたのは、親しくなる人を出来るだけ作りたくなかったからだ、とニーナに伝える。このことを話すのは彼女が初めてだが、説明しないと理解出来ないだろう。
「え? どういうこと?」
「──私に近い女性はことごとく早死にしてしまったからだ。母も、乳母だったミラベルも、カーラも」
母は私が七歳の時に亡くなった。心臓の病だったが、倒れる前に私が母に「誕生日には母様の作った木苺のパイが食べたい」とワガママを言ったのだ。ずっと前に一度食べたばかりだったが、とても美味しかった記憶があった。
母はとても喜んで、近くの山までメイドと一緒に木苺を摘みに行ったが、普段から王宮にいて激しい運動もしていなかったので、ほんの少し遠出して歩き回るだけでも心臓に負担が掛かったのだろう。パイを作った夜に突然具合が悪くなり、数日もしないうちにあの世に旅立ってしまった。
「私がそんなお願いをしなければ母はまだ生きていたのだと思った」
「でも、それはたまたまでしょう? お母様がそんなに心臓が悪いなんて知らなかったんだもの」
「だがきっかけになったのは私だろう? ──でも子供だったからな、ショックは受けたものの、しばらく経つとそこまで気に病むものではないのでは、と思うようになった」
「当然じゃない!」
「しかし私が九歳になった時には、今度は乳母のミラベルが私の目の前で倒れた」
「ミラベル……記憶にないわ」
私は苦笑した。
「ニーナは七歳だったし、覚えてなくても当然だ。私とニーナでは乳母も違うし会う機会も少なかったしね。ミラベルはまだ三十代半ばぐらいだったが、私の昼食を下げようとしてそのまま皿ごと地面に倒れて動かなくなった。医者が呼ばれたが、頭の中に血の塊が出来て血管が詰まったのではないか、と言う話だった。前からのぼせやすいと周囲の人間に漏らしていたそうだ」
「じゃあ彼女も病気だったんでしょう? お兄様のせいじゃないわ」
「うん……私もね、そう考えた」
自分がワガママ言った訳でもない、理不尽なお願いもしていない。今回はミラベルの病気による突発的な事故だったんだ、と思っていた。
「その後ミラベルの代わりにやって来たカーラはまだ二〇歳でね、元気いっぱいだった。一緒に遊んでくれたり、色々話をしてくれたりして落ち込んでいた自分に寄り添ってくれた。子爵家の次女でね、休みには家に帰って大事にしている愛馬に乗って遠乗りするのが何よりも好きだと言っていた」
「あ、カーラのことは少し覚えているわ。確かソバカスのある三つ編みの人だったわよね?」
「よく覚えているね。そう、その人だ。──元々婚約者がいるので二年ほど勤めるだけの予定なのだと言っていたが、一年と少しで帰省中の遠乗りの際に落馬して亡くなった」
「まあお気の毒に……でも、それだって別にお兄様のせいではないじゃないの」
私はため息を吐いた。
そう、全部持病や事故である。誓って私がわざと何かを仕組んだと言うこともない。
「でも、私の近くでそんなに頻繁に人が、それも私が信頼する若い女性ばかりが亡くなるなんて、おかしくないかい? 男性には一切ないんだ。偶然にしても重なり過ぎだ」
「だけど物事ってそんなものじゃないの? 計算したわけでもないのに良いタイミングも悪いタイミングも重なることってあるじゃない?」
「偶然じゃないとは言い切れないだろう? 第一先日のトウコの事故だってそうだ。私のせいでケガまでした。打ち所が悪ければ死んでいたかも知れない」
「……だから最近ナイトやトウコを避けているのね?」
私は頷いた。
「カーラが亡くなってからは乳母も要らないからと断って、なるべくメイドたちとも最低限の会話しかしないようにした。例え偶然であろうとも、親しい人たちが亡くなる可能性は出来る限り排除したかったからだ。それなら最初から親しくしない方がマシだ。……ニーナも例外じゃない。寮に行った時は物理的に離れたから嬉しかったし、出来るだけ早くいい人と出会って私から離れたところで幸せになって欲しいと思っていた。だけど……卒業して戻って来たら一緒に行動することが増えて、何事もなかったから、少し安心してしまっていたんだ」
「トウコも元気だったものね」
山の件を思い出して顔が歪める。
「トウコも少しずつ打ち解けて、親しくなって来てからあんなことがあって、しかも自分はパニックだ。恥さらしもいいとこだ。──だが私はこのまま逃げたままでいいのか、と思った。今後の人生に真摯に向き合うべきだ。今までは殻にこもって起きるかも知れない不幸から逃げているだけだった。もしこれから立派に治世が行えるような人間となっても、周囲の女性にばかり不幸が訪れるのであれば、もう妻も迎えなくて構わない。だがせめて自分が助けられる者は助けられる人間でありたい。ナイトやトウコと会うのは癒やされるし楽しいが、私は弱虫なんだ。ダメなんだよ。自分にある程度自信が持てないとすぐ甘えてしまうから」
ニーナが私の近くまでやって来て軽く抱き締める。
「──お兄様なりに頑張っているのは分かったわ。お兄様がずっと引きこもっていた事情も知れて嬉しかった。でも一つだけ言わせて欲しいの。……トウコが来月で王宮の仕事を辞めるのは知っていて?」
「……え?」
私は呆然とニーナを見返した。
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