第21話 『精霊王の計略』

 のちになにげなく述懐されたことによりますと、シンシアもルクレツィアも、常に私の居場所や動向をつかんでいて、これを見失ったのは人生のうちで三回しかなかったそうです。


 これがどうにも誇張表現やら比喩ではなく、シンシアは家から出て冒険者となったその日から、ルクレツィアにいたっては私が彼女と初めて出会ったという三歳の日から、私がなにをして、どこにいるか、あまさずずっと、把握していたようなのでした。


 その彼女たちが私を見失った三回というのが、どちらもオデットとの付き合いがあった時期なのです。


 一度目は私が冒険者の時代、オデットが腕に切り傷をつけて唐突におとずれ、傷を治し、そのお礼として街案内をされてから、精霊信仰の隠し礼拝堂に神官戦士団を引き連れて踏み入る時までで……


 二度目は、公爵邸で監禁されていた私を、オデットが連れ出してから、シンシアに発見されるまで。


 そして三度目こそが、精霊王としての重責にたえかねていた時、ふらりと現れたオデットに連れ出され、例の寒い小屋で暮らし、死を決意してそこを出たあと、ルクレツィアに捕まるまでだったそうです。


 オデットとは、何者なのでしょうか?


 私はほとんどオデットのことを精霊そのもののように捉えていましたが、冷静に考えてみれば、精霊であるはずがないのです。

 しかしオデットはどんなに厳重な警備の場所にもふらりと現れ、高位冒険者シンシアや、公爵令嬢のルクレツィアから完璧に私を隠してみせる……

 その手腕はなにか不可思議な力でも持っているようにしか思えず、私は今でも、『オデットこそが、私に導きを与える精霊なのではないか』という疑念を、完全に払拭はできないでいるのです。


『オデットは、何者か?』


 その疑問を完全に解消できる答えたりえるかはわかりませんが、これものちに聞いた話によれば、オデットはいわゆる『義賊』だったそうです。


『悪徳貴族』『悪徳役人』『悪徳神官』が民からかすめとった富を盗み、民に再分配する存在。

 民のあいだではほとんどおとぎ話のように語られる『英雄』こそが、義賊というものなのでした。


 『義賊』という概念そのものについて私がまったく知らなかったのは、オデットの正体の隠しかたが巧みというのはもちろんありましたが、私が貴族生まれだったことも、なんの因果もないとは言えないのです。


 義賊は『既得権益保持者から富を奪い、民に再分配する存在』であり、まぎれもなくこれは、民からすれば英雄なのでした。

 しかし貴族の視点からすれば、たちの悪い泥棒でしかなく、これが貴族向けの書籍や演劇といったもので、大活躍することはまずなかったのです。


 私は子爵家の生まれであり、陛下より直々に特殊な役割をいただいていた家系なものですから、これら『義賊』を扱った娯楽に触れる機会がありませんでした。

 また、民からすると『既得権益』のがわに入り、結果として冒険者時代に周囲にいた者たちも、私に義賊というものについてことさらに明かすことはなかったのでした。


 つまり私は、正体を隠し、偽名を使って市井に混じって冒険者稼業をしていた時代から、いわゆる『民』ではないのだと、ばれていたようなのでした。


「そりゃあ、そうだよ。だって君、明らかに普通じゃないんだもの」


 オデットに『そんなに私は貴族とわかりやすかったのか』となにげなくたずねたことがありました。

 その時に彼女は『もしかして人は呼吸をしないと生きていけないのではないか』と真剣にたずねられたかのように、一瞬困ったあと、大笑いして、語った声は、今でもはっきり耳に残っています。


 オデットの声は馬鹿にするような色もなく、ただ、された質問があまりに初歩的すぎるのにおどろき、つい笑ってしまったという様子でした。

 けれど私は、完璧に民に偽装できていると思っていたので、恥ずかしく、『どうして、誰か、指摘してくれなかったんだ』などという、的外れな恨みさえ、抱いてしまうのでした。


 ……ともあれ、彼女のことを語るならば、『冒険者』としてではなく、『義賊』『盗賊』として、その行動哲学を読み解かねばならないでしょう。


 冒険者組合員を引き連れたシンシアが公爵館に攻め入った時、オデットが元国王軍残党に情報を流し、それとなく行動を操ったのも、彼女の義賊としての行動原理によるものだった、らしいのです。


 第三勢力の介入によってすっかり混乱のるつぼと化した公爵館の中、すべての視線や意識が私から逸れた一瞬のスキに、オデットは現れました。


 どのような細いスキマでも抜けられそうなしなやかな体つきをした彼女は、外で争いのおそろしい音が立っているのをまったく気にした様子もなく、いつもみたいに歯を見せて笑って、それから、赤毛を掻いて、言うのです。


「さ、死のうか」


 それは紛れもなく、私の願いだったのです。

 あの日、『もう生きていたくない』と言ってオデットの作り上げた鳥籠を出て、その時にルクレツィアに連れ去られてうやむやになった約束を、オデットは果たそうとしたのでした。


 しかし私は薄情なことに、その約束を忘れていました。


 なので出し抜けに『死のうか』などと、笑って述べるオデットがおそろしく、彼女からあとずさってしまったのです。


 私がオデットの傷ついたような……笑み以外の顔を見たのは、この時が初めてだったと思います。

 いえ、それさえも定かではないのです。あれだけ私に尽くしてくれたオデットの顔を、私は、笑顔以外に思い出すことができないのでした。

 そんな、四六時中ずっと笑っているわけでもないのに、ずっと同じ空間で寝泊まりし、幾度もテーブルを挟んで食事をしたはずの彼女の顔を、笑顔以外に思い出せないのです。


 あるいは、本当に、笑顔以外を浮かべなかったのかもしれません。


 一瞬だけ傷ついた顔をしたオデットは、その表情が幻であったかのように、また、笑顔に戻っていたのですから。


「まあ、君がどうあれ、あたしは君を盗もうと思ってるんだよ。……どんな貴族の宝より、君は価値があるんだ。君を蒐集して死蔵したい。永遠にあたしだけのものになってよ。そうしたらあたしは、なにもいらないから」


 世間で義賊ともてはやされている(もちろん、その正体を知る者は、この時点では誰もいませんでしたが)オデットは、実のところ、義賊として活動しようという信念があったわけではないようでした。


 彼女はただ、価値ある宝を蒐集するのが趣味だったのです。


 そうして、彼女の中で価値が失われたものは、すっかり捨て去って、なくしてしまう癖があるのでした。

 それが『富の再分配』にあたり、結果として、義賊という評判が立っていたと、真相はそんなところらしいのです。


『本当に価値のあるものしか留めおきたくない』という、盗賊なりの哲学をもとにした行動のようでしたが……

 唐突に説明が始まったのと、あまりにも共感できる点が少ないので、私は現在までずっと、彼女の哲学を理解できないままでいます。


 私が理解できた点はほんのわずかです。


 この時点でオデットにとっての『価値ある宝』は私になっていたようで、それは彼女の言動からそう解釈するしかないのですが、その私もきっと、彼女がこれまでに獲得し蒐集してきた宝と同様に、『唐突に価値を失う』かもしれない、ということでした。


 保身を常に念頭においている私は、庇護者たる彼女にいつか捨てられる可能性をもっとも大きく捉えてしまったのです。


 ここで私は、ようやく事態の切迫しているのを、心のしんから理解できたような気がしました。


 誰の手に渡ろうが、私の未来は保障されないのです。


 シンシアの抱いている『お兄様』は、あきらかに私と別人です。

 そうばれないように立ち回っていますが、それはいかにも無理で、重く、いずれきっと、シンシアは私が『お兄様』ではないと理解し、私に裏切られたと思い、報復を試みるかもしれません。


 ルクレツィアの行動は、わけがわかりません。

 私の足跡そくせきを集め、飾り、私のことを誰よりも理解しているのだという思いこみを喜びとしているのです。

 しかし、ルクレツィアはやはり、間違っているのでした。

 彼女の理解しているらしい『私』は、やはり私ではないのです。正解の像を語ることはできませんが、私はその『私』が間違っているのだけは、ほとんど確信をもって断じることができるのでした。


 そして、オデット。

 彼女は私を宝とみなして蒐集しようとしているらしいのです。

 私が『宝』であるうちはきっと、彼女は丁寧に私を世話し、守ってくれるのでしょう。

 しかしある日、ふと私より価値のある宝を見つけ、私に飽きる日が来ます。

 彼女に連れられて行くというのは、いつ来るかもわからないその日におびえ続ける人生の始まりなのです。


 いったい、どうすれば。


 私にもしも、いわゆる『自活』の力があれば、こんなものは、悩むまでもないのです。


 すべては私の非才と怠惰が招いた苦境だけに、誰を責めることもできず、私は狂乱し、しかしそれを態度に出さないように必死につとめていました。


 つまらない虚栄心からでは、ありませんでした。

 ここで取り乱し、叫び声をあげることで、彼女たちの描く『私』ではないことを明確にしてしまっては、この先、生き残る道はないのだと、直感的に察していたのです。


 私は時期を見ることびんにして、深謀遠慮限りなく、慈愛に満ち、精霊の導きにしたがって多くの者を救う『お兄様』でなければなりませんし……


 きらめくような光を背負った、精霊そのものの、歩んだ道が光り輝き、使ったものがいちいち展示されるような、『私』でなければなりません。


 そしてどういうものかは想像もつかないのですが、『宝』である必要もあるのです。


 しかし現実の私はそのどれとも違う……


 どうすればいいのか?


 考えても答えが出るわけがない私は、ここでもまた、とにかく目の前の問題に解決してほしいあまり、未来に大いなる火種を残すような、そういう行動をとってしまったのです。


 これがのちに編纂へんさんされ、『精霊王は争う妻たちを見て、その身を三つに裂いた』などと呼ばれることの、情けなくも醜い真相なのです。


 私は、この事態の中心にいるらしい三人……ルクレツィア、シンシア、オデットに向けて、ほとんど同時に結婚を申し込んだのです。


 三人は争いを止めてしばし沈黙したあと、いろいろなものに折り合いをつけた顔で承諾しました。


 こうして公爵館襲撃事件はのちに『元国王軍の陰謀であり、精霊王はそれを察し、三人の妻たちと協力して逆に罠にかけ、一網打尽にしたのだ』と記されるにいたったのでした。

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