言語的な部分が”私”を構成する

きりしき

優しさと正しさの呪いと自己矛盾

 人間の行うすべての行動は、当たり前のものであるということ。

 それはどういうことかというと、例えばナイフで友達を刺し殺した人がいたとする。

 そうすると、その人のことを「良くない人だ、罰するべきだ」と考える、のがまあ普通だ。

 しかし、その人は全くの偶然に人を殺したのではない。例えば、ナイフを握る前に、怒りを感じていたのかもしれない。

 こんなふうに話すと今度は「怒りを抱えていたからといって、人を殺してもよいというのか」とこんなふうに返されるかもしれない。いや別に人を殺しても良いと言いたいわけではなく、その殺人という行動は理解できると言いたいのだ。怒りを感じてるだけで、その人は殺人を犯すことはなかっただろう。その殺人は、その抑えがたい怒りに対する対処法をほかに何も学んでこなかったためだ。その人が、ナイフを握るのではなく、例えばいきなり裸になって歌いだすことで怒りに対処できることを学んでいれば、殺人は起きなかった。しかし、そういった別の対処法を学んでこなかったのは、その人のせいなのだろうか。

 「普通の人であれば、だれでも人を殺す以外の対処法を学んでくるはずだよ」と今度はこういった反論が予想される。しかし、その人は”普通の人”ではなかった。そういう環境に恵まれず、また恵まれたとしてもそれを身に着けるほどの能力が欠如していたのかもしれない。

 そんな感じで、私たちには自己決定権も、責任能力もない。

 何度でも言うし、重ねて強調したいが、それは犯罪をしてよいということではない。ただ理解できるということだ。そして、理解できる以上、罰をもって行動を制するのは”常に”正しくない。罰というのは、原義的に人を傷つけることであり、不幸を増やす行為であり、不幸が増えるのは常によくないからだ。

 古典的な言い方をするのであれば「罪を憎んで人を憎まず」だ。

 ある非道徳的な行為をもって「どうしてそんな酷いことができるのか」と責め立てるのは、理解可能な行為だ。自分の中のやりきれなさを他者を責めることで、解消しようとしているのであり、そういった行いをする人もまた今までの人生でほかの方法を学んでこなかったのだから(物事は徹底しなくては)。しかし、そういって責め立てるのは山で遭難して地図を広げてここはどこだと悩んだ挙句に、我々が今いるのは向こうの山だと正面の山稜を指さすようなものであり(この表現は小学生のころ読んだクイズ本に乗っていて、気にいって時々使っている)、自分で目にした事実を否定しようとしている行為で不毛だ。ただ、現実それが起こったということ、それだけなのだ。


 正義の話をするのであれば、もう一つ。すべての物事には良い面と悪い面があるという、これもまた古典的な事実を指摘したい。ある主張は常に正しい部分と間違っている部分を含んでいる。例えば、「胸の大きな女性を広告に使うのは、性的消費であり好ましくない」といった論争が以前Twitter上で見られたが、そういった表現に傷つく人がいたり、そういった表現が現実の性加害を助長する可能性は否定しきれず、かといってそういった表現を必要とする人がいることも否定できない。広告といっても、その適正さは、時や場合、また表現の内容によっても個別に分かれるだろう。

 ある主張は、時や場合、人、特徴を操作することで、正しくも間違っているようにもなりえる。


 以上の話は、人を傷つけず、誰しもがより良い生を過ごせるようにすること。つまり、他者を尊重するための極意みたいなものとして、私は考えてきた。

 正しいというのは、他者を尊重することで、優しくあるということは、正義なのだと思っていたから。


 しかし、他者を尊重することや優しくあることは、本当に正義なのだろうか?

 その普遍性が最近どうにも気になる。

 優しくあるというのは、すべての人を当たり前であるとして認めることなのは、前述したとおりであるが、そういった態度をとり続けようとしたとき、思考は常に空転を続け、決して唯一無二の結論を得ることはなく、思考の牢獄に迷い込む。それは息苦しいことだ。

 ”やさしくあれ”は定言命法ではなく(そもそも可否なく正しい倫理など存在するのか?)、私に課せられた”呪い”なのではないだろうか。

 呪い。正しさではなく、ただの呪いであるという可能性。


 また、すべての人を傷つけない、優しくありたい、というのは矛盾をはらんでいる。私たちが優しくあろうとするのであれば、誰かを傷つける言説に抵抗しなくてはいけない。しかし、そのときにおいてさえも、相手を理解しようとすることは、結局何事もなしえなくしてしまう。

 優しくあろうとすることは常に弱く、弱くて何も変えられないのであれば、結局それは優しさではなく、ただ優しくあろうとしているだけだ。

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