第45話 完璧人間

 浩太朗は、退屈そうにしているなつめに、外に出ようと誘った。

 それを聞いたなつめは、すぐにスマホから目を離し、ぱあっと顔を明るくした。

「ほんとっ!?やったぁ!」

 出かけようとはいったものの、どこへいくかはまだ決めていないので、後先が思いやられる。

 最近流行りの生成AIに聞くという手もあるが、その方法だけは、機械に負けた気がしてすまないので使いたくない。

 しかし、なつめがどこに行きたいかなど、知っているわけもない。

 そんなとき、なつめがさっきまで操作していたスマホの画面を、悩んでいる浩太朗に見せてきた。

「おにぃ!この映画見たい!ちょっと前から気になってたんだー!」

 浩太朗が、その画面を覗き込むと、そこには、最近話題となっている恋愛系の映画だった。

(よりにもよって恋愛か……)

 少し気が進まなかったが、なつめが見に行きたいと言っているので、観に行くしかないだろう。

 別に恋愛系の映画があまり好きではないというわけではない。

 ただ、妹と二人で観に行くものとしては、少し違うという感じがするだけだ。

「わかった。準備してくるから、ちょっと待ってて」

「はーい!」

 いつになく上機嫌ななつめをリビングに置いて、浩太朗は自分の部屋に戻って、外出する支度をし始めた。

 ショルダーバッグの中に、日焼け止めや財布、その他諸々を詰め込んで準備完了。

「なつめ、準備できたぞ」

 浩太朗がリビングに戻った時には、なつめはカバンを手に持っていて、準備万端だった。

 だが、浩太朗の頭上あたりを見て、何か大事なことに気がついた。

「……あっ、帽子!持ってくるの忘れた!今日とか絶対日差し強いって……」

 今日の天気は晴れ。

 絶好のお出かけ日和かもしれないが、すでに季節は夏に入っており、気温はだいぶ上がっている。

 朝の天気予報では、日差しが強いため、外出をする時は、日傘や帽子などを使用し、熱中症への対策をしましょう、と報じられていた。

 そんな日に帽子を忘れてしまったなつめ。

 もしこのまま外に出さえすれば、もれなくこの前のように熱中症を引き起こすだろう。

 浩太朗が、その状態で外出させることを許可しないということは、浩太朗の性格からして予想がつく。

 せっかく二人でお出かけできると思った矢先、帽子を忘れたという理由で中止になるかもしれない、と残念そうな表情をするなつめ。

「前に確か……」

 しかし、浩太朗は、レディースの帽子に見覚えがあった。

 自分の部屋に戻り、部屋のクローゼットを開くと、そこにお目当てのものがあった。

「あった。前にめぐさんが置いていってやつ」

 浩太朗が自ら女性用の帽子を購入するわけがない。

 つまり、本来ならあるはずのないものだが、めぐが以前、浩太朗の家に来た時に忘れていった麦わら帽子が、クローゼットにしまってあるのを思い出したのだ。

「はい、これ被っていきな」

 浩太朗は、取り出した帽子を、なつめの頭に被せた。

「いいの?めぐさんのなんじゃないの?」

「大丈夫。この帽子をめぐさんに返そうと思ったら、俺にあげるって言って返されたから」

 浩太朗としても、お出かけできなくて悲しんでいるなつめの姿は見たくない。

「でも……」

 なつめは、めぐが浩太朗にあげたものだとしても、これを着用することに少し抵抗があった。

「だからいいって。めぐさんもそれの方が嬉しいに決まってる」

 そう言われて、少しは納得したのか、なつめは深く帽子を被り直した。

「……わたし、助けられてばっかり」

「いいんだよ別に。兄として、妹を助けるのは当たり前」

「またそういう……」

 まだなつめは、妹として扱われることに不服なのか、頬を膨らませている。

「まあいいや!ありがとね、おにぃ!」

 だけど今は、浩太朗と一緒に出かけれるという大切な機会を逃すわけには行かないので、すぐに気持ちを切り替えて、先程みたいに顔を明るくした。

「やっぱり、なつめは笑顔が似合ってるよ」

「ふふっ!ありがと!」

 二人は気を取り直して、映画館が併設されている大型デパートへと向かった。

 そこには、地下鉄で向かうのだが、普段通学する時に使用している電車とは違う路線を使わなければならない。

 方向音痴ななつめは、自分がどの車両に乗るべきなのかはわかっていても、どこで乗ればいいかわからない様子だった。

「なつめ……?どこ行くんだ、こっちだぞ」

 浩太朗の隣で歩いていたなつめが、全く違うホームに行こうとしていたので、なつめの腕を掴んで引き戻した。

「きゃっ!」

 やっぱり意識のある人間は軽いのか、軽く力を入れただけで引き戻せた。

「大丈夫か?」

 なつめの方向音痴にはうすうす気がついていたので、浩太朗は微笑していた。

 それを見たなつめは、浩太朗の腰あたりを軽く殴った。

「わざとだもん……!別に方向音痴とかじゃないから!」

「はいはい。なつめはもう一人で学校行けるもんな」

「わたしのことバカにしてるでしょ!おにぃだって!おにぃだって……」

「俺がなんだ?」

 何かを言い返そうとするなつめだが、反論できる材料がないのか、次第に言葉の力が失われていった。

「うぅ、おにぃの欠点が見つからない……。勉強ができて、スポーツもできて、仕事もできる。完璧すぎるよ……、わたしじゃ隣を歩くのも相応しくない」

 なつめは、少し歩くスピードを遅め、浩太朗の斜め後ろに位置するように歩き始めた。

「そんなことないだろ」

 浩太朗は、自分のことを客観視することができないわけではない。

 なつめから見たら浩太朗は、定期テストで首位を独占するほどの学力を持っており、球技大会では、テニス部を圧倒できる実力があり、仕事の方でも、ミスなくこなせる能力があるような完璧人間だ。

 しかしそれらは、浩太朗がもともと持っていた天賦ではなく、努力の賜物にすぎない。

「家を出てから、勉強は必死にしてたし、昔から運動してたから、身体を動かすことには慣れてる」

 その言葉の真偽を保証するものは一切ないが、浩太朗が嘘をつくような人間だとは思っていないので、なつめはその言葉をしっかりと受け止めていた。

「仕事に関しては、なつめは勘違いしてるかもしれないけど、俺はもともと仕事なんてできなかったよ。バイト始めた頃は、皿なんてしょっちゅう割ってたし、何回もオーダーを取り間違えたり、周りが見えてなくてお客さんに迷惑かけたり。俺がいない方が円滑に接客ができるんじゃねえかなってほどな」

 今の浩太朗からは想像することができないが、浩太朗の言う通り、バイトを始めた当初は、失敗することが多く、何度も何度もめぐに迷惑をかけていた。

 本当にすごいのは、そんな浩太朗を今に至るまで雇い続けためぐかもしれない。

「だから、俺は天才なんかじゃない。それに、一緒にされたくない。あの頃は何事にも必死だったからな」

 引っ越した当時は、放心状態で、娯楽に手を伸ばすほど余裕がなく、勉強しかすることがなかった。

 だが、それだけの理由で勉強していたわけではなく、その時、浩太朗が一番悩んでいたのはお金のこと。

 一人暮らしを始めて、お金の重要さに気付かされた浩太朗は、お金を得るためにも、たくさん勉強する必要があったのだ。

「それなのに、おにぃは自分の順位をみんなに隠してるの?その努力がみんなから認められた方が、モチベに繋がると思うんだけど」

「なつめには言ってなかったけど、俺は目立ちたくない。だから球技大会の時も、内心ではめちゃくちゃ嫌だったな」

 家を出たことが、浩太朗の勘違いだとしても、人を容易く信用しないこと。

 そして、あまり目立たないというモットーは、決して揺らぐことはない。

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