第35話 お邪魔します
どうやら、もう聞くことは無くなったようで、私を送るついでに買い物に行ってこい、という話になった。
「あっつーい!溶けちゃいそー」
「さっきからうっせえな」
「だってあついんだもーん!」
エアコンがガンガン効いた部屋に滞在していたからか、マンションの外に出ると、日光によって温められた地面から放出される熱に耐えられなくなったみくは、手のひらをパタパタさせて、僅かな風を送っていた。
「もうすぐ着くから我慢しろ」
目的地である駅は目視できる。みくが言うには、駅に待ち合わせしている人がいるらしい。誰かは教えられなかった。
「浩太朗くん。あおいで」
「無理。耐えろ」
「えー!ひどーい!」
みくは、右手で服をパタパタさせて、新鮮な空気を服の内側に送り込む。
その様子を見た浩太朗は、カバンから一つの小さな扇風機を取り出した。そしてその扇風機を、今にも溶けてしまうらしいみくに手渡す。
「ほれ。使ってないからやるよ」
「いやいや!申し訳ないからいいって!暑いのはマジだけど、耐えれないほどじゃないから!」
みくに渡した扇風機は去年に買ったもの。同じように暑さで死にかけていた浩太朗が、デパートで購入したものである。
ミストなど、色々な機能が搭載されている結構高額なものを買ったのだが、買った3日後には、手が塞がるのが嫌、という理由で、使用するのを一切やめてしまった。
「じゃあ、今日のお礼として受け取っておいてくれ」
「今日のお礼?」
浩太朗は、顔をみくの方に向け、笑った。
「いろいろ話聞いてくれたお礼、かな」
初めて見せられた笑顔に体が固まってしまった。
しかし、よくよく考えてみると、自分が話を聞きに行ったはずなのに、お礼されるわけがないことに気がつく。
みくは目を細めて浩太朗のことを見た。
「そんなこと思ってないでしょ」
「……嘘はついてない」
浩太朗はみくから目を逸らし、足を回す速度を早めた。
浩太朗が言っているのは、自分の話ではなく、なつめの話のことだ。
昨日の夜も、そして今日の朝も、みくはなつめからの相談を受けて浩太朗の家に来たのだろう。
強硬手段ではあるが、直接合わせるのが一番効果的かつ手っ取り早い。
駅で誰が待っているかは聞かされていないが、予想するまでもなくなつめだ。
「わあ、涼しー!ミストも出るんだ!」
みくが、とあるボタンを押すと、扇風機の中心部から水飛沫が飛んできた。
「そのボタン押すと水飛沫でてくるから気をつけて」
ミストのボタンに注意を払いながら、扇風機を顔に向ける。
「これ高いよね?絶対高いよね!?」
電源をつけたほんの数秒で、涼しくなったことを実感したみく。高い金を出したかっただけあり、冷却機能は十二分のようだ。
「まあな。店に置いてある手持ち扇風機で一番高いのを買ったから」
「えぇ!?さすがに申し訳ないから返すよ!」
「だから使ってないんだって。今日久しぶりに使った程度だから」
扇風機が性能に見合った金額なのを知り、扇風機を浩太朗に返そうとするが、浩太朗はそれを拒否した。
「俺が持ってても宝の持ち腐れだからな。使ってくれる人がいるなら、その人が持っていた方がいいだろ」
「うーん……それならもらっても、いいかな?……それにしてもこれすごいね。すぐ涼しくなったよ」
「それならよかった」
みくが扇風機を堪能しているうちに、目的地である駅に到着した。
改札を通ろうとしたとき、みくは辺りを見回し、何かを探し始めた。
「浩太朗くんちょっと待ってね?どこだ?……あっ!いたいた!じゃああとは頑張って!」
みくが手を振った先にいたのは、白いワンピースを着たなつめだった。
高校生になったなつめの私服姿を見たのは初めてだったので、新鮮な気分になった。
中学生の時に比べ、髪も長く、僅かながらも凹凸もある。雰囲気が違うのは当然のことだ。
なつめと目が合うと、彼女はすぐに目を逸らしてしまった。
みくが言っていた、買い物に同行する人、というのはなつめのことで間違い無いだろう。
顔を合わすことに怯えているなつめに対し、浩太朗はなつめとの距離を詰める。
手が届く距離になっても、なつめは浩太朗の方を一切向くことなく、下を向いていた。
一刻も早く買い物を終えて家に帰りたかった浩太朗は、何も喋らない時間にだんだん苛立ち始める。
「何してんの?買い物行くんだろ?」
「う、うん……」
返事はするが、動こうとしないなつめ。何かを待っているようだった。
「どうした?熱中症か?」
「違う」
「じゃあなんで止まってんだよ」
なつめは、ほおを掻きながら恥ずかしそうに呟いた。
「え、えっと……似合ってる、かな?」
予想外の返答に、一瞬思考が停止するも、もう一度、なつめの頭のてっぺんから爪先まで目を通す。
素材がいいからか、単純に服がいいからなのか、もしくはその両方。これ以上ないくらい似合っていた。
「……まあ、似合ってんじゃねえの?」
「ありがと……」
学校では動きやすいようにポニーテールなのだが、今日は髪を縛らずにおろしてきている。それが、休日に外出している感を出しており、なぜか緊張してしまう。喧嘩状態にあるからかもしれないが。
「そんなことより、今日は買い物についていくんだろ?近くのデパートでいい?」
「あっ、うん……」
再会した時と同じ日と同じような気まずさが、2人の間を行き来する。
「あ、あの……」
なつめが浩太朗の服の袖を小さな力で引っ張る。
「どうした?」
「うっ……なんでも、ない」
なにもなかったら、突然引き止めるなんてことはしないだろう。
この会話をあと数回繰り返すことが目に見えた浩太朗は、痺れを切らして自分から切り出した。
「言いたいことがあるなら早く言ってくれ。どうせ昨日のことだろ?」
「そ、そうだけど……ここじゃ、言いにくいし。できれば誰も見てないところがいいの」
「誰も見てないなんてとこなんてあるか?」
浩太朗が知る限り、駅の近くに誰にも見られない場所なんて存在しない。
トイレなら確実に見られないが、あらぬ疑いを持たれるので、選択肢から外す。
「こうたろうの家、とか……?」
「うーん、まあいいか。誰もいないし」
「やったぁ!」
なつめは、右手で小さくガッツポーズをとり、わかりやすく喜んだ。
今朝、みくとの電話で、浩太朗の家にいることを知った時から、なつめは自分も浩太朗の家に行ってみたいと思っていた。
誰にもみられたくないというのは、ただの口実でしかなかった。
買い物を終え、両手に数日分の食料を手にした浩太朗は、昼食の献立を考えながら帰路についていた。
買い物中も会話は一切なく、なつめは、無言で浩太朗が買い物する姿を後ろから眺めていただけ。
横に並んで歩いていたわけではないので、それほど気まずくはなく、時々なつめがいることさえも忘れていた。
「おじゃまします……」
実家の方の浩太朗の部屋ですら入ったこともないなつめは、ひどく緊張をしていた。
玄関よりも前に進むことなく、周りをキョロキョロしている。
「どうした?入らないのか?」
「え、あっ、入っていいの?」
「逆になぜダメだと思った。家に来たいって言い出したのはそっちだろ」
「で、では……失礼します」
律儀に礼をして、部屋の中に入っていくなつめ。
「顔色悪いぞ。熱中症か?」
「だ、大丈夫。多分違うから」
浩太朗がなつめの体を支えようとするが、なつめはそれを拒否して、一人で歩こうとする。
しかし、明らかになつめの様子はおかしく、体を揺らしながら、泥酔しているかのように歩いているので、さすがにやばいと判断した浩太朗は、なつめの肩を担いで、自分のベッドまで運んだ。
「今保冷剤持ってくるから待ってろ」
冷凍庫から保冷剤を出し、ついでに今日買ってきたスポーツドリンクを持っていく。
寝室に戻ると、なつめはベッドに腰掛けて、何かを見つめていた。暗くてよく見えない。
「何見てんだ?」
浩太朗が近づいてみると、なつめが持っていたのは、寝室のクローゼットに飾ってあった写真だてだった。
「……おにぃと、もっと一緒に、出かけたり、してみたかったなあ」
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