第13話 ストーキング
浩太朗は帰りに花壇に寄って、長方形の花壇に水をあげていた。
名前が分からない花や、なすやピーマンなどといった野菜に水をあげていると、なんだか後ろから視線を感じた。
首を回転させて、後ろを確認する。
一見何もなさそうに見えたが、大きな木の影から誰かが顔を覗かせていた。
目が合った瞬間、その顔は引っ込み、木の影に隠れてしまった。
一瞬しか見えなかったので、顔だけでは誰かはわからなかったが、ピンクの髪が揺れるのを見て、その正体がなつめだということがわかった。
浩太朗のことを追跡していたことがバレたと確信したなつめは、急いでその場から去ろうとする。
だが、自分に何か用があるのかと思った浩太朗は、迷わずなつめの名をよんだ。
「なつめ?なんか俺に用でもあんのか?」
「ひっ!?……ななな、何も見てないから!」
ビクッと背中を大きく振るわせるなつめ。テニスの件もあり、浩太朗に対して少し恐怖を抱いているのだ。
「……まだなんにも言ってないんだけど」
「えっ!?……ちがっ!」
いきなり挙動不審な動きを見せるなつめ。どこからどうみても怪しいのだが、
(言えない!2人のやりとりを一部始終を見ていただなんて言えるわけない!)
浩太朗と神宮寺が廊下で話しているのを見てしまったなつめは、バレないように2人を追跡していたのだが、気づかれるのを恐れていたなつめは、近づきすぎることはせず、遠くから二人のことを見守るように見ていたので、会話は聞き取ることができていなかったが、浩太朗が神宮寺の腕を引っ張って階段まで連れて行くところは見ている。
そのためなつめは、2人の関係がどのようなものなのかを知ることができず、気になったなつめは、浩太朗が雪華と別れた後も、跡をつけていたのである。
「えっ、と、俺に用があるのか?」
なつめはただ、浩太朗と神宮寺の関係を知るべく、ストーキングしていただけなので、特に用があるわけでもない。
話したいことは山ほどあるのだが、動揺していてそれどころではない。
「いや……とくに、用があるってわけでは……たまたま通りかかっただけだから……」
「そうなんだ。てっきり既に帰ったかと思ってた」
とても苦しい言い訳では合ったものの、少し鈍感な部分がある浩太朗は、その態度に特に怪しむこともなかった。
「……あと、今日はごめん。急に暴言吐いて……だから-」
今日の午後のような感じで授業を受けるのはやめてくれ。そう言おうとした時、なつめが大きな声で遮った。
「別に、おにぃが謝ることじゃない!……私がっ!私があんなこと言わなかったら!」
急に大声を出されたのもあり、浩太朗は驚きつつも、なつめを宥めようとする。
「なつめに何の非があるんだよ。さっきも言っただろ。お前は何も悪くない」
「でっ、でもっ!」
そう断言したが、なつめは浩太朗の言葉を聞き入れず、いつまで経っても自分が悪いと思い込んでいた。
「いい加減にしろ?」
「あっ……!」
はっと驚いたような顔をするなつめ。
それは、中学生の頃、蓮斗と話している時と同じ音色の声だった。
「おにぃ、今、声が……」
思わず言葉にしていたなつめ。なつめにとって、昔の浩太朗は特別だったのだ。
「どうかしたか?」
「いや、なんでもない」
浩太朗自身も、この1年間味わうことができなかった感覚に、現実味を持つことがなかった。
(あれ……なんだ、この感じ。なんか、懐かしいような……というかなんでなつめと何の違和感もなく話せてるんだろ)
今となって、なぜなつめにあんなことを言ってしまったのかがわかった気がした。
蓮斗という、家族よりも身近にいた存在が突然いなくなり、話す相手もいなくなった。
ほぼ毎日のように話しているめぐの存在は、バイト先の店長兼恩人であって、それ以下でもそれ以上でもない。
必要最低限の気配り、配慮だけを必要としていた関係というのが、浩太朗にとって唯一の心の拠り所だった。
人と話す。この行為を故意に避けていた理由。それは蓮斗との日々を思い出してしまうから。
(何過去に縋ってんだろ、俺。……変わらなきゃいけないんだろ?助けなんかなくても、一人で生きてけるように……)
浩太朗は右手の拳を胸の前で力一杯に握った。
現在はめぐに頼っている部分も多く、完全に独立できているわけではない。
いつ何が起こるかわからないこの世界において、依存というのは大きなリスクになる。
依存が強くなれば強くなるほど、信頼は高まるが、壊れた時の代償が大きくなっていく。
そのためにも、いずれはめぐからも離れなければいけない。
これ以上好きにならないために近づかないようにする、よくある話だ。
浩太朗が少し考え事をしていると、なつめが重たい口をこじ開け、喉の奥から言葉を捻り出した。
「……全部聞いたよ。
「お母さん」という単語を聞いた瞬間、浩太朗の頭の中に、もともと住んでいた家のリビングの風景が浮かび上がってきた。
そして、今まで思い出すことのなかった、両親との最後の会話が、頭の中で自分で聞き取れるくらいにはっきりと響いていた。
「っ!?そうか……」
そしてなつめは、浩太朗が家を出て行った後の両親について話し始めた。
「最初の方は、おにぃが家から出て行ったのは、おにぃ自身の意思だって言ってた」
「はっ、なんだよそれ。あれのどこが俺の意思なんだよ。強制だったじゃねえか」
浩太朗には選択する権利などなく、勝手に進学先を決められては、勝手に下宿先も両親が決めてしまった。
進学先を勝手に決められた時点で察することができたため、浩太朗は両親に家を追い出される前に、ある程度部屋を片付けていたのもあり、たった一晩で家を出ていくことができた。
「……実は私、あの日のリビングの会話を聞いてたの。だから、あの人たちが言っていることは嘘なんだってすぐにわかった」
「それで、親になんて言ってここに転校してきたんだよ。あの親が、なつめに転校なんて許すとは思わないが」
なつめを独占するために浩太朗を追い出したのに、そのなつめが家から出ては意味がない。
両親の考えていることが全く理解できない浩太朗だが、理解できないのも無理はない。何せ、まだ中学を卒業したばかりの男子に一人暮らしを強いる人たちなのだ。
「それは……言えない。……あっ、いやっ!別に、嘘をついて親を説得したわけじゃないから!」
急に言葉に力がなくなったなつめ。大した理由ではないが、浩太朗の前では面と向かって言えることではなかった。
「まあ、もう俺には関係ねえわ」
じょうろを片付けて、帰る準備を始める。とっくに夕日は学校の陰に入っており、あたりはオレンジ色から暗闇へと移り変わっていく。
浩太朗が帰る準備をしている間、何もせずにその場で立っていたなつめ。まるで浩太朗のことを待っているかのように。
「おにぃは部活に入ってないの?」
浩太朗がリュックを背負ったタイミングで、なつめがそう聞いた。なつめは転校してきて間もないので、どこの部活にも所属していない。別に部活は強制ではないのだが、どこかの義兄を見て育ったため、運動すること自体は好きなのだ。
「入ってるけど、なつめが想像してるような部活じゃないぞ」
「サッカー部じゃないってことか……」
「……まあな」
小中とサッカーを続けていた浩太朗は、当時一緒にサッカーをしていた蓮斗とともに、高校でもサッカーを続けるつもりだった。
だがこんな状況下に立たされた浩太朗にサッカーをしている余裕などなく、たまたま見つけた園芸部に入ったのだ。
「じゃあ何部に入ってるのよ」
「園芸部」
浩太朗の後をつけていたのなら、浩太朗がさっきまで何をしていたのかわかるはずなのだが、雪華のことでいっぱいいっぱいだったなつめは、水やりのことなど見えていなかった。
「園芸部?……え、お花とかを育てたりしたりするあの園芸部?」
「そうだけど。……何?俺のことバカにしてる?中学まで運動しかしてこなかったこの俺が花を育ててることがそんなにおかしいか?」
「そ、そんなわけない!……むしろ今のおにぃならお似合いっていうか、……逆にそのキャラで運動してたら逆に引いてるっていうか」
「それもそうかもな」
浩太朗はなつめから目を逸らし、正門へと向かっていく。
グラウンドには、球技大会の練習をしている生徒たちであふれかえっていて、まさに青い春という言葉が似合う。
「そういえば、今日のテニス、ボロボロだったね。もともと私が運動音痴ってことは知ってたけど、あそこまで下手だと嫌になっちゃう」
練習している生徒たちを見て、今日の授業のことを思い出したのか、なつめが呆れた口で言った。
いつの間にか隣になつめがいたのだが、なぜか気にならなかった。
「俺はそんなことよりも、テニスっていう競技自体が意味わからんわ。なんで男女二人で行う競技なんて選んだんだよ」
「えぇー、私はいいと思ったけどなぁ……だって、おにぃとこうやって話せたし。あわよくば、このままおにぃと……いや、なんでもない」
男女混合ダブルスだったからこそ、浩太朗と話すことができた。もし、テニスのダブルスではなくてバレーボールだったら未来は変わっていただろう。
「なあ、ずっと気になってたんだけど、その『おにぃ』っていう呼び方どうにかなんないのか?おにぃって聞くたびに変な感じがする」
強いていうなら、ゾクっと全身が震える感覚。同級生、ましてや隣の席の女子に『おにぃ』と呼ばれているのだ。事情を知らない人からしたら意味がわからないだろう。
「それはもうどうにもなんないよ。だっておにぃはおにぃだもん」
理解できそうになかったので、浩太朗は理解をするのを諦めた。
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