13.

 


 ◆◇◆


◆メアリー・モースタン嬢<-Miss Mary Morstan->


◆ホームズシリーズの第二作『四つの署名-The Sign of Four-』にて初登場する。

 『四つの署名』事件の依頼人であり、事件解決後、ワトソン博士と結婚する。

 『四つの署名』他三作に登場し、また他作でもワトソン博士の述懐にて”愛妻”として幾度となく話題に触れられている。


◆英国領インド陸軍将校の父親に連れられて幼少期をインドで過ごす。両親と死別後は英国エディンバラの寄宿学校にて学び、セシル・フォレスター夫人邸の”家庭教師-Governessガヴァネス-”を務める。

 (ちなみに当時十九世紀末の英国では、働く必要がないことを理想とする上流階級の女性と、生活のために働かざるをえない下層階級の女性との間に挟まれた――働く必要のある知識層の”中産階級の女性”――はまともに働ける場所がなく、当時の彼女らの誇りを守れる唯一の職業は”家庭教師”ぐらいだったと云われている。そのため、時代背景を色濃く反映する”ホームズシリーズ”においても、メアリー嬢以外の”家庭教師”が五名ほど登場する。ご興味があればぜひ調べてみてほしい)


◆ワトソン博士は『四つの署名』にて、初対面の”メアリー・モースタン嬢”のことを「彼女は金髪の若い女性で、身体は小さく、優雅で、いい手袋をし、素晴らしく趣味の良い服を着ていた。しかしその服は地味で簡素であり、あまり裕福そうには見えなかった。 <略> 彼女の顔は、整っているわけでもなく、血色がいいわけでもなかった。しかしその表情は優雅で愛らしかった。そしてその大きな青い瞳には、深い思いやりと気高さが感じられた」と語っている。ばっちり一目惚れである。


◆名探偵ホームズも、初対面の”メアリー・モースタン嬢”には好感を持っており、『四つの署名』冒頭の依頼時に、事件の推理に必要と思われる資料を幾つも持参してきた”メアリー嬢”に対して「あなたは理想的な依頼人ですね。素晴らしいセンスの持ち主だ」と褒めたたえ、事件終盤に至っては「彼女は僕がこれまで会った中で、最も魅力的な女性の一人だと思うし、あの人になら仕事を手伝ってもらっても良い」と手放しで褒めちぎっている。また結婚後も、ワトソン博士を事件に連れまわす際に”メアリー夫人”を気遣う発言をしている。


◆ワトソン博士と結婚後の”メアリー夫人”は、名探偵ホームズの”相棒”という立場を深く理解しており、『ボスコム渓谷の惨劇』の冒頭では、患者の受診予約が多いことから、ホームズの同行依頼を受けるべきかワトソン博士が迷っていると「近隣の医師に代診をお願いすればどうでしょう。最近あなたもお疲れぎみですから、気晴らしされたらいいわ」とワトソン博士の健康を気遣いつつ、尻を叩いてくれている。まさに”良妻”である。


   ◇◆ ◇◆◇ ◆◇





■13.恋心のねじれた男 -The Man with the Twisted Love-





「わたし、小学生の夏休みの時に”シャーロック・ホームズ・シリーズを全て読破する”って宣言して、一気読みしたんですよねぇ……」

「それは、結構な根気だな……」


 めぐみがポツポツと語り始めたので。

 俺は読んでいた本を閉じると、めぐみの話に耳を傾けた。


「それで、第一短編集『シャーロック・ホームズの冒険』に収録されていた『唇のねじれた男』を読んでた時、わたし……”誤植”を見つけた、と思ったんですよねぇ……」


「ああ、それって例の――」

 もちろん知っている。

 長年に渡り、シャーロキアン達を悩ませてきた”最大の謎”の一つと云われてきたものだ。


「あっ、やっぱりワトスン先輩はご存知でしたか?

 そうなんです、この作品の冒頭――夜遅い時刻に、ワトソン夫妻の家に突然の来訪者が現れます。それはメアリー夫人の学生時代の友人ケイトで、ケイトの夫が行方不明になってしまった事への相談でした。夫の安否が分からず、すすり泣いてしまうケイト夫人に対して、メアリー夫人が喋った内容は…――」



   ◇◆ ◇◆◇ ◆◇


「来てくれて嬉しいわ。さあ、ワインの水割りを少し飲んで、ここにゆっくり座ったら私達にすべてお話しなさい。それとも”-James-”には、寝室へ引き取ってもらいましょうか?」


 <第一短編集『シャーロック・ホームズの冒険』収録~

  『唇のねじれた男-The Man with the Twisted Lip-』より>


   ◇◆ ◇◆◇ ◆◇



「夜中に突然訪問してきた友人ケイトを慰める様子は、本当にメアリー夫人の心優しさが表れていて好きなんですが……この時にメアリー夫人は、夫の”ジョン・H・ワトソン”博士のことを――””――と呼ぶんです!

ワトソン博士のファーストネームは「ジョン-John-」ですから、メアリー夫人がワトソン博士のことを「ジェイムズ-James-」と呼ぶのは明らかにおかしいですよね…っ!?

 私は、それを初めて読んだ時――”きっと誤植だ”と思いました。

 それで、お母さんに話をして、本屋を経由して出版社に問い合わせてもらいました。最初は、自分で”誤植”を発見したことに”宝探し”のような達成感をもっていたんですけど……。

 数日後、出版社から連絡されてきた回答は――””――というものでした」


 めぐみは、並木道の木陰から冬空を見上げながら話を続ける。


「納得できないぃ~って私がゴネてると、それに困っちゃった私のお母さんが――言ったんですよね」



 ――”メアリー夫人が、思わず昔の恋人の名前でも言っちゃったんじゃないの?”――



「それを聞いた時、わたし本当にショックで……。頭をガツンって叩かれたみたいな?

 ワトソン博士とメアリー夫人って、本当に素敵な夫婦じゃないですか。ワトソン博士はメアリー夫人をとても大事にしてるし、メアリー夫人はワトソン博士がホームズと共に事件で飛び回るのを優しく擁護してくれて。あの人間嫌いなホームズも、事件に連れまわすワトソン博士に対して「メアリー夫人は気にしないかい?」と気遣いを見せています。物語の随所に――”三人の仲睦まじさ”――が溢れていると思うんですよ。

 それなのに――”メアリー夫人が昔の恋人の名前を口走った”――なんて言われてっ。

 その後、少し気になって調べてみらた、今度は”メアリー夫人が浮気相手の名前を失言したんじゃないか”っていう意見まで出てきてっ!」


 ああ、そういえば”そんな仮説”が出てた時もあったらしいなぁ……。

 めぐみは、しょんぼりと落ち込んだかと思えば、ぷんぷんと怒りながら小さな拳を握り上げたりと、元気に話を続けている。俺はその様子を苦笑しながら見守り続けた。


「わたしの中の”メアリー夫人”は……とても心優しい女性なんです。だから、何だかイヤな気持ちになっちゃって……それからは、この「ジェイムズ-James-」発言問題は、あまり考えないようにしてきたんです。ただ、先ほどのワトスン先輩の話を聞いていて、ひょっとして……と思いまして」


「……なるほどな。俺も”メアリー夫人”は、素敵な御婦人だと思うぞ?」

「あっ、やっぱりそうですよねぇ?」


 俺が同意を示すと、めぐみが嬉しそうに微笑む。

 うむ。これはちゃんと説明してあげないとな。

 屁理屈をこねる変なヤツらと悪名高い”シャーロキアン”が、全世界から絶賛された”研究ごっこ”をご披露するとしよう。



「安心していいぞ。その問題には……素晴らしい”謎解き”が待っている」



   ◇◆ ◇◆◇ ◆◇

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