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一八九三年、英米雑誌に短編『最後の事件-The Final Problem-』が発表されると…――世間は大騒ぎになった。
この事件では、名探偵ホームズが”犯罪界のナポレオン”と称される英国闇社会のフィクサー『ジェイムズ・モリアーティ教授』とその犯罪組織員を一網打尽で捕まえるために包囲網を敷くのだが…――その
名探偵ホームズの”死”が明らかになると、英国ロンドン街には喪章を着ける者が多数現れ、英国連載誌『ストランド・マガジン』及び著者コナン・ドイル氏のもとには、名探偵ホームズの生存&連載継続を求める抗議や非難中傷の手紙が多数届けられたという…――そりゃあ当時の読者たちも、さぞ驚いただろうな。俺も小学生の頃に初めて『最後の事件』を読んだ時は、本当にびっくりしたものだ。
そして、月日は流れて約十年後の一九〇三年…――
英米雑誌に掲載された短編『空き家の冒険-The Adventure of the Empty House-』にて、名探偵シャーロック・ホームズは、無事に帰還を果たす。
三年間も消息不明だった親友ホームズの帰還に、ワトソン博士は一度失神しながらも大いに再会を喜ぶ。
そしてそんなワトソン博士に対して、名探偵ホームズは「三年前の真相」を語り始める…――
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我々は滝の崖っぷちでよろめいた。しかし、僕には『バリツ-baritsu-』という” 日本の格闘技”の心得があった。これが役に立ったことはそれまでにも何度となくあった。
<第三短編集『シャーロック・ホームズの帰還』収録~
『空き家の冒険-The Adventure of the Empty House-』より>
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「ふふっ、実に面白い。そう思わないかい?」
にやにやと微笑みながら…――ほむら先生が問いかける。
「あの宿敵”モリアーティ教授”と対峙した時、たしかに”名探偵ホームズ”は窮地に立たされていた。だが、そんな彼を救ったのは…――短編小説『空き家の冒険』にて、たったの二行だけ説明された『日本の格闘技 -Japanese system of wrestling- 』――『バリツ-baritsu-』――だと言うのさ。
だが、これを読んだすべての”日本人”が思ったはずだ…――
”そんな格闘技は、日本には存在しない”……とね?」
まったくその通りだ。
『バリツ-baritsu-』なんて格闘技は――”日本”には存在しない。
当時の英米読者は「そういう格闘技が日本にはあるのか」と疑問に思わなかったかもしれない。だが、日本人の読者だけは、読んだ瞬間に「おや?」と気づく事ができる。
それはまるで…――俺たち”日本人読者”に対する「メッセージ」のようではないか。
名探偵ホームズの窮地を救った、謎の格闘術『バリツ-baritsu-』とは何なのか…――。
日本人にとって、こんなに分かりやすい”謎”はない。
日本人の『シャーロキアン』が、最も興味関心を示す”謎”の一つと言っても良いだろう。
「そういえば、私が昔読んだ本には『※日本の柔術の事』と注釈が入ってたわね! だからその時は、あまり疑問に思わずそのまま読んじゃったのよ!」
あいり先輩の発言を聞いて、ほむら先生が”あははっ”と苦笑する。
「ふむ。最近の翻訳だと、そのように注釈している事が多いようだね。だが実際の原本には、そのような注釈は一切ないのだよ。出版社または翻訳者による”意訳”部分だな。その意訳が正しいかも含めて…――われわれ”愛好家-シャーロキアン-”としては、その”推理”を楽しみたいところだよ」
ほらむ先生は、ゆったり寛ぐように椅子の背もたれに身体を預けると…――
研究室に集まる俺たちを見ながら、颯爽と告げるのだった。
「では、諸君らに課題を出そう。名探偵ホームズの窮地を救った謎の格闘術『バリツ-baritsu-』について調べてきたまえ。次週のゼミで語らおうではないか!」
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俺は自分の部屋に戻ると、ベッドに倒れ込んだ。はぁ~疲れた。
ほらむ先生は、思いつきで課題を出すのやめてほしいぜ……。
「バリツか……」
名探偵ホームズが体得する謎の格闘術『バリツ-baritsu-』――
あいり先輩が言ったように、出版本では「柔術のこと」と解釈するのが一般的だ。
一方で、シャーロキアンの中では”有名な仮説”が二つ存在する。
まず一つは――”執筆者が『武術-bujitsu-』を誤記した説”――である。
名探偵ホームズが再会した時に語った――”ぼくには日本の『武術-bujitsu-』の心得があるんだよ”――という台詞を、その場にいた”ワトソン博士”が聞き間違えて『バリツ-baritsu-』と誤記してしまった――という説だ。まあ真相は”ホームズ達のみぞ知る”っていうヤツである。
そして、もう一つの”有名な仮説”が…――
”当時英国で流行っていた格闘護身術『バーティツ-bartitsu-』を誤記した説”――である。
この『バーティツ-bartitsu-』とは、英国技術者バートン=ライト氏が「日本の柔術にステッキ格闘術と打撃技を合わせた護身術」として考案した『バートン流柔術(Bart+itsu)』の事で、当時の英国雑誌『ピアソンズ・マガジン』で記事を連載していた。で、この雑誌にはドイル氏も小説を掲載していたため、『バーティツ-bartitsu-』の記事を読んだドイル氏が『バリツ-baritsu-』と勘違いして誤記した、または著作権を考慮してわざと綴りを変えて記載したのではないか――という説である。当時の英国新聞『ロンドン・タイムズ』では、『バーティツ -bartitsu-』を『バリツ -bar itsu-』と誤植した記事も見つかっており、この新聞記事をドイル氏が参考にした可能性も示唆されている。
現代の”シャーロキアン”界隈では、この『バーティツ-bartitsu-』誤記説が最も支持されており、ネットで検索すると「バリツの正体はバーティツ」と解説してしまう事も多い。
もちろん”真相”は誰にも分からないのだが…――
この謎は――”ほぼ解明された”――という雰囲気さえ最近は感じられる。
「それなのに……ほむら先生は敢えて『バリツ-baritsu-』を課題にしてきた?」
そう考えると――非常に難しい課題に思える。
ちょっとネットで検索すれば出てくるような”有名な仮説”を、そのまま喋るだけでは能がない。ほむら先生も満足しないだろう。とは言え、シャーロキアン界隈でも人気のある”謎”だから……正直にいうと”語られ尽くした感”もある。
そんな状況下で、なんか”面白くて新しい仮説”を今から考えるのか……。
「はてさて、どうしたものか……」
俺はベッドから立ち上がると、自分の本棚に置いてある”シャーロック・ホームズ”全集を見やった。
そして、何とはなしにその中から一冊を取り出し、パラパラと流し読みをする――と、その時だった。
その”文章”を読んだ瞬間…――俺はある”仮説”に気づいた。
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