虹を架けて、大地を敷いて

「隊長にとって、密香と『湖畔隊』は別物なの? です」


 そこでふと、カーラさんが口を開く。その重々しい空気も、雰囲気も、全て切り裂くがごとく。

 その場にいる全員の視線が集まり、カーラさんは小さく肩を震わせた。……しかしその疑問を撤回する気はないらしく、そのまま泉さんを見つめる。


「だって、隊長、どっちか捨てないといけないみたいな言い方だから……」

「それは……だって、そうだろ」


 忍野さんを助けたら、「湖畔隊」がなくなる。でもこのままでいたら、忍野さんは死ぬ。どちらも泉さんにとっては大事なもので、でも今は、どちらか1つ選ばないといけないのだ。

 忍野さんは警察ではないから、死んでも問題はないのだろう。むしろ彼は異能犯罪者なわけだし、死んだ方が世の中のためというか。実際あの人、ためらいなく罪を重ねるし。


 しかしカーラさんは、その返答に対して不思議そうにしているだけだった。そして、カーラさんは口を開く。



「だって、『1? です。だからそれ、カーラとしては2択になってないと思うけど……」



 その言葉に。

 この場の空気が、固まった。


 それにカーラさんは気が付いたのだろう。え? と、これまた不思議そうに首を傾げている。私たち1人1人の顔を見回していた。だが誰もが驚いたようにそれを見つめ返すので、今言ったことは間違いなのだと、分かったのだろう。


「え、ち、違うです? ……カーラてっきり、密香も『湖畔隊』の1人だって……だ、だって!! 今まで任務とか参加してたし、言い方はちょっと嫌だけど、いっぱいアドバイスくれたし……」

「……あははっ」


 必死な様子で言うカーラさんに対し、気が抜けたように笑う人物が1人。……大智さんは、驚いた様子のカーラさんに、優しく笑いかけた。

 カーラさんは大智さんが声をあげて笑ったことに驚いたのか、ぽかんとしていたが……はっ、と気を取り直すと、大智さんを軽く殴り始める。


「なっ、なんで笑うですか大智!!」

「ごっ、ごめんなさいっ。……だって、ううん、僕も、そうだと思ったから」


 カーラさんに殴られ、あっという間に涙目になった大智さんだったが、すぐにその涙を拭う。……そして泉さんのことを、真っ直ぐに見つめた。


「隊長、カーラさんの言う通りです。……忍野さんは……確かに、立場上は貴方の個人的な部下ってだけで、『湖畔隊』には関係ないかもしれない。……でも、僕たちは、あの人も……『湖畔隊』の一員だと、思いますっ。僕たちは、一緒に過ごしてきたからっ。……だから、分かります」

「……」


 泉さんは驚いたように大智さんを、そしてカーラさんを、黙って見つめている。


「だからっ。……その、忍野さんがいない『湖畔隊』は、『湖畔隊』って呼べないんじゃないかって……だから実質1択なんじゃないかって……というか!! ぼっ、僕はまず、隊長の気持ちが、大事なんじゃないかって思いますっ!!」

「……俺の、気持ち?」

「そうですっ。……隊長、僕に言いましたよねっ。『お前の心が信じられると叫んだ方に行けばいい』って!! ……隊長は、どうしたいんですかっ!!」

「ちょっと待ってここで過去の発言振り返られるのすっごく恥ずかしいんだけど」


 必死な様子で叫ぶ大智さんに、泉さんは耳まで真っ赤にし、そう答えた。いつもよりテンションは低かったが。

 だが大智さんはそれでも何も言わず、ただ自分が投げかけた質問に答えてもらうことを待っている。真っ直ぐに見つめられ、泉さんは押し黙った。


「……確かに、隊長……『そうするのが正しい』とか、『そうするべき』とか言ってばっかりで……隊長がどうしたいか、カーラたちは全く聞けてないよ。そういうのも大事なんだと思うけど……それでも、隊長の気持ちも大事だと思う。……隊長は、どうしたいの?」


 大智さんの言葉を補うように、カーラさんが続ける。


 2人の部下に言葉で詰め寄られた泉さんは、何を言うべきか、迷っているようだった。口を開いては、我慢するように閉じて。……それでも、縋るように2人を見つめて。……ようやく、その口が空気を震わす。


「……仮に、仮にだよ。……俺が助けに行きたいって言って、そうするとするじゃん。でもそうしたら、お前らは明日……ううん、今日から、もう路頭に迷うわけだよ。『湖畔隊』は無くなる。……そうなってもいいって言うの?」


 やはりその言葉通り、泉さんは忍野さんを助けたいと思っているのだろう。でもそれを口にすることが出来ない。

 だって泉さんは、この隊のリーダー。だからこそ、ここを、そしてここに所属する部下を守る義務がある。


 ……私と言葉ちゃんは、あくまで明け星学園の生徒。手を貸しているだけで所属をしているわけじゃないから、まあ蚊帳の外になっている。別にいいけど。


 泉さんから逆に問いかけられ、カーラさんと大智さんは顔を見合わせる。そして笑い合ってから、泉さんに向き直って。


「それはもちろん、この場所が好きなので、なくなったら困りますけど……」

「でもカーラたち、それより隊長の方が大事!! です!!」

「……どうして?」


 泉さんの声が、微かに震える。本当に、分かっていなさそうだった。


 どうして貴方の部下が、ここまで言ってくれるのか。

 そこまで、貴方の気持ちを大事にしようとするのか。


 元「湖畔隊」の隊員は言っていた。あの人は変にひねくれているところがあると。あの人はずっと、自分がひとりぼっちだと思っていると。

 忍野さんは言っていた。あいつは人からの好意に鈍感すぎるのだと。


 だからきっとそんな人には、真っ直ぐに、愚直に、告げるしかないのだろう。



「僕たちは、隊長に助けてもらったから……ですっ!!」

「カーラたちは、隊長に助けてもらったからだよ、です!!」



 2人の声が、重なる。


「ひとりぼっちだったカーラたちを、隊長だけが見つけてくれた。隊長だけが助けてくれた。カーラたちに、未来をくれた! ……だから、その感謝を、返したいと思うのは当然だと思う……ですっ」

「貴方が僕たちの意志を尊重してくれたように、僕たちも、貴方の気持ちを大事にしたいから……ワガママでも、何でも言ってくださいっ!! ……僕たちは、隊長に付いて行きます。どこまでも!!」


 2人の真っ直ぐな言葉に、泉さんは大きく目を見開く。そして……ついに耐え切れなくなったのか、くしゃりと顔を歪めると、半笑い状態になる。1粒涙がこぼれたが、すぐに手の平で顔を覆い、隠してしまった。


「……ははっ、何それ……俺に付いて行きたいって言うの……?」

「そうです」

「……『湖畔隊』がなくなっても、俺がいればいいってこと?」

「そういうことだよ、です!」

「……お前ら、俺のことめっちゃ大好きだね」


 そう言って泉さんは、顔を覆っていた手をどける。そこには、照れたような笑みが浮かべてあって。

 ……ああ、伝わったのだと。そう分かった。


 2人が何の躊躇いもなく頷くので、泉さんはまた微かに赤面した。……それを隠すように、椅子から立ち上がって。


 そうして向かったのは、私のところ。手を差し出されたので、私は差し出した。2通目の、何やら難しいことがつらつらと書かれていた方を。

 ありがとう、と泉さんは笑い、それを受け取ると……何の迷いもなく、破き始めた。

 大雑把に破くだけでは飽き足らず、今までの恨みも込めるがごとく、本当に粉々に破いて。……散っていく紙たちは、まるで雪のようだった。



「……本当に、ごめん。こんなことを言うなんて、隊長失格だと思う。

 ……でも俺、やっぱり密香を諦めたくない。密香を助けに行きたい。……だから、お前たちにも、協力してほしい」



 私たちを見回し、泉さんはそう頼む。カーラさんと大智さんは先程も言っていたように、迷いなく頷いた。私は……とりあえず、隣にいる言葉ちゃんを見つめる。

 ……彼女は、この状況を、どこか温度のない瞳で見つめていた。まるで、没入できなかった物語でも見ているように。


「……これは、『湖畔隊』としての任務じゃない。俺の一存で、俺のワガママだ。だから……今までと違って、協力は、強制じゃない」


 泉さんが冷静に、そんな言葉をかけてくれる。まあ、私たちは対異能力者特別警察の特別協力要請で参加しているわけだから、強制力がないのはよく分かる。


 私は別に、どっちでもいい。そりゃ、助けに行かない方が面倒じゃなくていいけど。忍野さんを絶対助けたいなんて思いもないし。

 ……私は、言葉ちゃんが行かないと言うなら、私も行かないつもりだ。そうしたら、その選択を取るのが彼女1人ではなくなるから。


「……行くよ」


 すると、それなりに時間を置いた後、言葉ちゃんはそう告げる。その顔には、微笑があった。


「正直、あの野郎のこととかどうでもいいけど。……僕もさ、泉先輩のこと大好きだし、先輩の役に立ちたいって……ずっと、ずっと思ってたんだよ?」

「……そっか、うん。……ありがとう、小鳥遊」


 言葉ちゃんの言葉に、泉さんは再び照れたように笑う。その反応を見て、言葉ちゃんも少しばかり恥ずかしそうにしていた。

 そして誤魔化すように、泉さんが私を見つめる。私はため息を吐き、答える代わりにもう1つの紙をその手に押し付けた。


「……そうと決まったら、とっとと作戦立てましょうよ。この間に先を越されたら世話ないですよ」

「……うん、そうだな。伊勢美も、ありがとう」

「……お礼を言われる筋合いはありません」


 だって私、皆ほどやる気があって臨むわけじゃないし。

 言葉にはせず、心の中でそう続ける。……すると泉さんは苦笑いを浮かべ、そして告げた。


「やっぱお前、そうやって現実見てるとこも、なんだかんだ俺のこと助けてくれるところも……すごく密香に似てるよ」


 その言葉に思わず私は固まり、私の隣にいた言葉ちゃんは……はーーーーっ!?!?!?!? と、悲鳴にも似た叫び声をあげるのだった。

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